母を思えば、強いひととしか浮かばない。子供みたいな小さな体格のどこにそんな強さを忍ばせているのか、いや

強さだけで形成されていたのかもしれない。


本当に小学生くらいしか無い身丈だが、眼力が半端ない。記憶がある限り優しく微笑まれたような思い出が無い

その代わり、思いっきり叱られた記憶も無いのだ。


母の生い立ちは、昭和一桁の当時ならそれほど珍しくも無い貧しい農家に生を受けて、まだ乳呑児の頃に産後の肥立ちが悪かった母親が他界。父親が近所にもらい乳をしたり、重湯を飲ませて男手で育てた。


兄弟は6歳違いの兄ひとり。

成長期に十分な栄養がとれなかったせいか身体は小さく細く、初潮を迎えたのも二十歳過ぎていたそうだ。

思春期は戦争の真っ只中、B29が田舎の山村にまで飛んで里芋畑に身を隠した話は何度も聞いた。


親同士が決めた先に嫁ぎ、私が産まれた。嫁姑関係は悪くなかったが、小姑がなかなかのイケズだったとか、私にとっても確かに伯母は苦手であった。

おばあちゃんは優しいひとだったが、昔の人らしく何も言わない立ち入らないスタンスの人だったみたい。

嫁いだ先も豊かでは無く、田畑は祖父の借金のかたに取られ、父は母と私を連れ出稼ぎに出る。


人が良くおとなしい性格の父は、出稼ぎ先で騙されたりで、食べるものも無い生活だった。そこで母はビタミン不足に依る目の病になり、夕方になると視力が下り ほとんど見えなかったそうだ。今なら考えられないことだが

見えない目で泣きながら私のオムツを洗ったと聞いた。


昔のテレビ小説で「おしん」と言うドラマが流行ったが、おしんが貧しさ故に口減らしに金持ちの下働きに出されるシーンがあったが、その時母がうちも6歳の時呉服屋さんの赤ちゃんの子守り奉公したと話した時はホンマのドラマがここにあったと思った。