FEELING

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はだしのゲン

今日も暑さの厳しい1日だった。

子供たちとランチをしてそれから・・・子供たちの靴を買いに行った。

何と平和な・・・


でもだんだんとお盆が近づき終戦記念日が来ると、巷でもテレビでも戦争関連の物が多くなる。

ニュース、ドラマ・・・

それでなくても私の中では必ずこの時期戦争について考えてみる。

もちろん子供と一緒に・・・


先日は本も買った。

太平洋戦争が起こった理由から終戦までの写真入りのものを2冊。

大体の事は今まで学んできたから知っているけれど、この本だったら子供たちも分かりやすいかなと思い購入した。


喉元過ぎれば何とやらで、人はその時はいろいろ考えが時がたてば風化してしまうのか・・・

でも戦争だけは絶対風化させてはいけないと思う。

今の若者は戦争を知らないから、戦争がどんなに悲惨か分からないまま・・・もしかしたら戦争はやってもいいのかなと思ったりしないだろうか?

今憲法改正、9条を改正など・・・怖い事を言い出す人たちさえいる。


この事自体が私は怖くてたまらない。

唯一の被爆国として絶対に核兵器を持たない!2度と戦争はしない!と言う立派な決まりごとを作ったにもかかわらず、又これを改正しようだなんて・・・・

『ふざけるな~~~!!』と言いたい。

戦争は何も生み出さないし、愛する人を大切な人をことごとく奪っていくものなのに・・・


もっともっと一人ひとりがこのことを理解し、絶対にいつまでも平和であるような世界でなければいけないと思う。

あんなバカらしい戦争を始めたことを恥て、そのためにわが身を犠牲にして戦い亡くなった人たち、戦争の被害者たちを絶対忘れず、終戦の旅に心に平和を深く刻み込まなければいけないんじゃないかと私は思ってしまう。


今夜もテレビで『はだしのゲン』を見た。

涙が出た。

誰一人として愛する人を亡くして喜ぶ人はいないはず!

もう二度とこんな悲しくて愚かなことをしてはいけないと思う。


そして自分たちがいつも愛する家族と平和でいられることを感謝しなければ・・・そう改めて感じた1日だった。

又お盆になって終戦がきたら、もっともっとそう思うことだろう。

お願いだから平和な世界でいてください。

同じ子を持つ親として

何だか辛いニュースが流れた。

先日福岡で2歳になる男の子が熱射病により死亡した。


原因は・・・

預けられていた保育園のバスに3時間ほど放置された事によるものだった。

何故に3時間も・・・


誰一人として、その子が残っている事に気づかないなんて、不思議でならない。

何百人もいるのならもしかして・・・と言うこともありうるが、たった数人乗っていたというのに何故?

保育園のあまりのずさんさに憤りを感じてしまった。


結局誰かがいないと分かったのは、お昼寝をさせた後おやつを与えたが、おやつが一つ余ったことで気付いたそうだ。

そんな保育園ってある?

しかもその子を見つけた後、すぐに119番通報もせず車の中に置いたままクーラーをつけたりしていたそうだ。

車内を冷やす前に何故救急車を呼ばなかったのか?

その間30分あったそうだ。


ニュースでその子の父親が保育園の園長に向かって『子供を返せ』と言っていた。

本当にそうだろうと思う!

子供を返せという言葉しか見つからないと思う。

親は誰でも子供がいつも健康で!無事で!と願うはず。

もちろん私もそうだ。

毎日子供の無事を神様に祈って子供たちを学校へ送り出す。

亡くなった子の両親も、今日も元気で帰ってくることを信じて疑わなかっただろう。

だって亡くなる要因が子供側には無かったのだから!


まさかそんなことで子供の命を奪われるなんて・・・

誰も想像すらしなかっただろう。

覚悟も何も無いまま我が子の命が奪われたのだから・・・

奪われるはずの無い我が子の命が、保育園のずさんな管理体制で奪われたのだから!


その子の父親が『しゃべる力も無い。二人の宝物を返して欲しい』と言った言葉が辛かった。



娘の癒しがそこにあった

最近心が疲れ落ち込んでいた私に、娘のあずさがメッセージをくれた。
嬉しかった。

『苦しくても、悲しくても、生きているだけでいいじゃない!
貴女が人生で苦しくて辛いことが多いのは、空気のような小さなことでさえも大きな幸せに感じるためなんだ。
だからもっと深く深呼吸して、焦らずゆっくり前に進めばどんなことでも乗り越えられる。』

このメッセージが私をどんなに励ましてくれたことか!
ありがとう。
そのとおりだわ!と本当に心から思えたわ。
この子が私にはついていてくれる。
そして息子たちも!
きっとどんなことも乗り越えられる。
今までもずっと乗り越えてきたんだもの。
今度もきっと大丈夫!
そんな自信を持たせてくれた。

でも、やはり辛いことや悲しいことは多い。
落ち込んで涙する日も多い。
相手があることだからそれは仕方のないことだけど・・・

でも、そのたびに娘のこのメッセージを読み直し自分を励ましながら過ごしている今の私だ。

幼かった娘が体はもちろんのこと、同じように心が大きく成長してこんなふうに私へのメッセージをくれるようにまでなったことが嬉しかった。
いつまでも真っ直ぐに自分のポリシーを曲げず生きて行って欲しいと思う。

ラジオから聞こえてきた言葉

今日息子と学校帰りに本屋へ寄ったときのこと!
読みたい本を探していると店内にラジオを流してあった。
いつもなら、聞き流しているところだが今日は耳を傾けてしまった。

話の内容は夫婦、家族のあり方のようなものでした。

母親が父親を尊敬している家庭のお話でした。
Aさんはご主人の言うことに従順な人らしく、なぜならご主人を尊敬しているからだという!
そこの家庭では、子供たちも父親をとっても尊敬しているらしい。
なんて理想的な家庭なんだろう・・・

母親が父親を尊敬している家庭では、必ず子供たちも父親を尊敬するんだと言っていた。
子供は母親を見て育つから、自分の母親が尊敬する父親だから自分も尊敬する!こう考えるらしい。
父親が又自分の親を尊敬していると子供達は祖父母をも尊敬すると!
反対に父親に尊敬の念ももたない母親だと、必ず子供たちも父親を尊敬しないらしい。

確かにそうかもしれない!
でも、・・・・そうとばかりはいえないことも絶対あると思う。
いくら母親が父親を尊敬してると言いきっても、父親の悪行なりを見て育った子供達は本当に尊敬の念を感じることが出来るのだろうか?
反対に母親がいくら父親のことを悪く言ったり、尊敬など全くしない家庭だったとしても、子供達が父親を見ていて、理想とする父親像ならば母親が何と言っても尊敬するんじゃないだろうか・・・

短い時間の中であれこれ考える自分がいた。

理想を言えば、夫婦がお互いを尊敬しあい、いつくしみながら子供を愛情一杯に育てる。
そして子供たちも両親に感謝と尊敬の念を持っている。
これに尽きると思う。

人間いい所もあれば悪いところもある。
だから少しでもいいところをお互いに見つけあって、いいところを家族同士で好きになっていけたらいいなと思う。
嫌なところはその人の弱点なんだと思って少しでも克服できるように導いていけたらいいなと思う。

我が家も、夫を尊敬できてそれを見ている子供達が父親という存在に尊敬の念を抱いてくれるような家庭でありたいが・・・・

父とは・・・

この文章は息子の小学校の校長先生が札幌に転任され、むこうの小学校の学校通信で書かれたものである。

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6月15日は「父の日」です。
この日は1910年、アメリカのワシントン州スポーケンに住む
ジョン・ブルース・ドッド夫人の提唱で始まりました。
彼女は6人兄弟で、母親は早くに亡くなり、
父の手ひとつで育てられました。彼女は結婚して母となり、
子育てに苦労して初めて父の払った犠牲の大きさを深く認識したそうです。
そこで「母の日」があるのに、
父親の苦労にこたえる日がないことに気づきました。
これでは、男女同権の見地から考えても、不平等であると思って、
牧師やYMCAに熱心に働きかけて「父の日」制定の協力を依頼しました。
その結果、市長や州知事の賛同を得て、
1940年6月の第3日曜日に、
最初の「父の日」を祝う行事が行われ、
全米に広がり、世界にも広まったということです。
昔のことわざに、
怖いものの順番として、”地震・雷・火事・おやじ”というのがあります。
昨今は、家庭での父親不在、父権の喪失がクローズアップされ、
父親が子どもと接する時間が少なくなったことが問題にされています。
しかし、接する時間の長短ではなく、
ふれあいの質に目を向けたいものです。
林 道義氏はその著書「父性の復権」(中公新書)の中で
次のように書いています。
「父の役割は家族を統合し、
理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることにある。
この役割が失われると子どもは、
判断の基準、行動の原理を身につける機会を逸してしまう。
いじめや不登校が起こり、
利己的な人間、無気力の人間が増えるのもこの延長線上にある。
独善的な権威を持って君臨する家父長ではなく、
健全な権威を備えた父が必要だ」

   「わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。
    それをいつもあなたの心に結びつけ、首に巻きつけよ。
  それはあなたの歩みを導き、あなたが横たわるとき見守り
    目覚めればあなたに話しかける。戒めは灯、教えは光。
    懲らしめや諭しは命の道。」
               箴言 6章20~23節(旧約聖書)

父親の慈愛について考え、感謝の気持ちを表し、伝えたいものです。
皆様のご家庭の上に、天来の豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。

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メールで送っていただいたこの文章を拝見して、思わず頷いてしまった。
我が家にも言えることである。

『昨今は、家庭での父親不在、父権の喪失がクローズアップされ、
父親が子どもと接する時間が少なくなったことが問題にされています。
しかし、接する時間の長短ではなく、
ふれあいの質に目を向けたいものです。』

確かに昔と違い家庭に父親が不在がちなところも多々あると思う。
仕事だったり、あるいは遊びだったり・・・理由は十人十色様々かもしれないが・・・

先生のおっしゃるとおり、やはり時間より接し方や質に目を向けるべきかもしれない!

『父の役割は家族を統合し、
理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えることにある。』

そうなのだ。
理念も無くただ意味無く生きていたり、父親としての自覚さえなく生きてる父親の言うことに何の説得力も無いのだ。
社会のルールを教えるならば、まず父親たる自分が社会のルール、モラルを守った上で子供や妻、そう家族に言い聞かせられるのだ。

『独善的な権威を持って君臨する家父長ではなく、
健全な権威を備えた父が必要だ。』

我が家の場合をついつい考えてしまう。

もしかしたら我が家には独善的な権威を持って君臨する家父長はいるようなきになる。
しかし健全な権威を備えた父となると、果たしてどうなのか?
いないかもしれない・・・

うちに限らず世間の父親はどちらなんだろうか?
自信をもって家の父親は健全な権威を備えて最高な父親です。と答えられる家庭は果たしてどのくらいあるのだろうか?
そう答えられる人たちは幸せだと思う。

そんなのは理想でしかない!と思うことなくそれに近づけるように、父だけで無理なときは母も協力しながら支えあって向上して行きたいものだ。