FEELING -2ページ目

原爆

娘が無事に修学旅行を終えて帰ってきてからもう4日がたった。
帰ってきたその日に旅行中の出来事をいっぱい話してくれた。
列車の中でのこと、ホテルでのこと、バスでの移動、帰りの船の中でのこと・・・
その中でも一番印象深かったのは原爆記念館だったらしい。

写真を見ているうちに悲しくなって涙がでたそうだ。
広島の記念館は私はまだ行ったことがない。
長崎は2回ほど行った。
初めはアズと同じ中3の修学旅行で!
私も強い衝撃を感じ、涙が出たのを覚えている。

2回目はだいぶ期間があき、私も結婚してアズが生まれて2年ほど経ったときだった。
少女だった私が大人の女性しかも母親になってから・・・
あの頃とは又違う哀しみ怒りがこみ上げて涙がこぼれた。
感情が母になっていたのだ。

記念館の写真が泣いて訴えていた。
その中から様々な思いが横切った。

親と離れ離れのままなくなった子もいただろう。
やけどを負って痛くてたまらず、母親の名前を呼びながら泣き叫ぶ子もいただろう。
反対に、わが子を心配しながら焼け爛れた体を引きずりながら探し回る母、父もいただろう。
運良く一緒にいたとしても、苦しみながらなくなっていくわが子に何もしてやれず悲しみに暮れる親もあっただろう。
大好きな親が苦しみながらなくなる様を目の当たりにした子もいただろう。

あんな時代に皆生まれたくて生まれたんじゃないし、望んだ戦争でもなかったはずなのに・・・
本当に悲劇である。
残酷な運命を背負いあの頃を生きてきた人たちもあったのだ。

私たちは今何をすべきなのか・・・
あの悲劇を忘れることなく、いつも心に平和を願いつつ、今を精一杯生きていけることの喜びに感謝しながら生きていかなければいけないんじゃないだろうか。



時折思うこと

失ったり、離れたりして初めて大事さに気付くこと、誰もが経験あると思う。
私は1月に父を亡くした。
突然だったし、心の準備もないままの別れだった。
それまでは大事だとか確認することもなく触れ合ってきた。
父がいるのが当たり前。
いなくなることなんて考えもせず・・・
ただ、こうやってあいたくても会うことも出来ない、話したくても話せない・・・こうなると気付くのである。
そして後悔が始まる。
ただ人間というのは完璧ではないし(私はというべきかも知れない!)今まで生きてきて後悔なんて何もしてないと言う人のほうが、もしかしたら少ないと思う。
私は4年位前に怪我をして、急遽入院したことがあった。
左の肋骨が2本折れ、その折れた骨がやはり右の肺に刺さり右肺が萎んで呼吸困難になったのだ。
私自身そんなにひどいとは思わず、救急車の中でさえ早く家に帰りたいとそればかり考えていた。
しかしあの激痛と呼吸困難はさすがにこたえた。
救急病院に運ばれ(ちょうどお正月の2日目だった)CTスキャンに入り検査をした。
緊急入院と左脇にドリルで穴を開けて管を通して肺を膨らます手術が行われた。
管をいれるとき神経に触れていたのか、退院するまで激痛が続いた。
普通は管を入れたら痛みはなくなると聞いたのに・・・
やはり医者の技術しだいで決まるのだろうと諦めモードに入ってしまった。
その時、思いもよらない診断が下った。
怪我をした左ではなく、なんともないはずの右肺にガンがあったというのだ。
まさか!の一言だった。
自覚症状もなく嘘だというより、他人事のように聞いている自分がいた。
医者はラッキーでしたねと言った。
あんなに小さいガンならば必ず治るからと言われた。
まずは萎んだ肺が元に戻って退院してからガンのほうは話をするということになった。
退院後抜糸の際に再びCTスキャンに入り検査した。
やはり間違いないといわれた。
手術は念のために肺の4分の3かもしくは全部取ると言われた。
このときもまだ実感が湧かず他人事のようだった私が、その後リハビリ室にまで連れて行かれ説明を受け、今日からずっとリハビリを始めますといわれたときには泣いた。
怖かった!
辛かった!悲しかった!
子供のことが心配だった。
1時間ほど泣いただろうか・・・
すぐには家に帰りたくなくて友人の家に行って他愛もないことをいろいろ話した。
そして決心した。
もう頑張って手術を受けるしかないんだ!と・・・
それからは強かった。
主人には話せず、もちろん子供達には尚のこと・・・
母と親友だけが身近では知っていたのだ。
手術を2日後位に控えた日の夕方、主治医から電話があり、ガンは間違いだったから手術もキャンセルしておくからと言われた。
失ったり、離れたりして初めて大事さに気付くこと、誰もが経験あると思う。
私は1月に父を亡くした。
突然だったし、心の準備もないままの別れだった。
それまでは大事だとか確認することもなく触れ合ってきた。
父がいるのが当たり前。
いなくなることなんて考えもせず・・・
ただ、こうやってあいたくても会うことも出来ない、話したくても話せない・・・こうなると気付くのである。
そして後悔が始まる。
ただ人間というのは完璧ではないし(私はというべきかも知れない!)今まで生きてきて後悔なんて何もしてないと言う人のほうが、もしかしたら少ないと思う。
私は4年位前に怪我をして、急遽入院したことがあった。
左の肋骨が2本折れ、その折れた骨がやはり右の肺に刺さり右肺が萎んで呼吸困難になったのだ。
私自身そんなにひどいとは思わず、救急車の中でさえ早く家に帰りたいとそればかり考えていた。
しかしあの激痛と呼吸困難はさすがにこたえた。
救急病院に運ばれ(ちょうどお正月の2日目だった)CTスキャンに入り検査をした。
緊急入院と左脇にドリルで穴を開けて管を通して肺を膨らます手術が行われた。
管をいれるとき神経に触れていたのか、退院するまで激痛が続いた。
普通は管を入れたら痛みはなくなると聞いたのに・・・
やはり医者の技術しだいで決まるのだろうと諦めモードに入ってしまった。
その時、思いもよらない診断が下った。
怪我をした左ではなく、なんともないはずの右肺にガンがあったというのだ。
まさか!の一言だった。
自覚症状もなく嘘だというより、他人事のように聞いている自分がいた。
医者はラッキーでしたねと言った。
あんなに小さいガンならば必ず治るからと言われた。
まずは萎んだ肺が元に戻って退院してからガンのほうは話をするということになった。
退院後抜糸の際に再びCTスキャンに入り検査した。
やはり間違いないといわれた。
手術は念のために肺の4分の3かもしくは全部取ると言われた。
このときもまだ実感が湧かず他人事のようだった私が、その後リハビリ室にまで連れて行かれ説明を受け、今日からずっとリハビリを始めますといわれたときには泣いた。
怖かった!
辛かった!悲しかった!
子供のことが心配だった。
1時間ほど泣いただろうか・・・
すぐには家に帰りたくなくて友人の家に行って他愛もないことをいろいろ話した。
そして決心した。
もう頑張って手術を受けるしかないんだ!と・・・
それからは強かった。
主人には話せず、もちろん子供達には尚のこと・・・
母と親友だけが身近では知っていたのだ。
手術を2日後位に控えた日の夕方、主治医から電話があり、ガンは間違いだったから手術もキャンセルしておくからと言われた。
とにかく病院へ来てくれといわれ急いでいった。
頭に中がパニックになっていた。
果たして本当に喜んでいていいのだろうかと思った。
でも怖くて再度検査を受けないで今日まで来てしまっている。
もちろん今でも不安はある。
あの癌じゃなかったと言うことのほうが間違いだったとしたら、どんどんがん細胞は大きくなっているはず。
でもこんなに元気なのだから安心していていいのかな?などと・・・
しかし、右胸が痛んだり、右肩が痛かったり、右腕がしびれたりと右側にちょっとした異常があっても不安になるのは事実なのだ。
ふと思った!
人間の先なんて全く分からないのだ。
自分は後悔の無いように生きてるだろうか・・・・
一期一会のように・・・・
私が死を恐れるなら、それは自分が無になることではなく、子供達と永遠に別れが来ることのみが怖いのだ。
いつかは私が先になくなるのだけど、それまではもっともっと子供達と関わっていたいし見守ってもやりたいのだ。
後悔の無いように、少しでも一期一会の気持ちに近づいて過ごせたら・・・とにかく病院へ来てくれといわれ急いでいった。
頭に中がパニックになっていた。
果たして本当に喜んでいていいのだろうかと思った。
でも怖くて再度検査を受けないで今日まで来てしまっている。
もちろん今でも不安はある。
あの癌じゃなかったと言うことのほうが間違いだったとしたら、どんどんがん細胞は大きくなっているはず。
でもこんなに元気なのだから安心していていいのかな?などと・・・
しかし、右胸が痛んだり、右肩が痛かったり、右腕がしびれたりと右側にちょっとした異常があっても不安になるのは事実なのだ。
ふと思った!
人間の先なんて全く分からないのだ。
自分は後悔の無いように生きてるだろうか・・・・
一期一会のように・・・・
私が死を恐れるなら、それは自分が無になることではなく、子供達と永遠に別れが来ることのみが怖いのだ。
いつかは私が先になくなるのだけど、それまではもっともっと子供達と関わっていたいし見守ってもやりたいのだ。
後悔の無いように、少しでも一期一会の気持ちに近づいて過ごせたら・・・