先月から、左の膝が痛くて

正座ができない(お寺さんのお経のお付き合いできない)

歩くの遅い(ヨタヨタ歩く)

階段辛い(エスカレーター探す)

 

 

そして

悲しいことに

バレエおやすみしなきゃ!になってしまった。

 

 

 

 

 

 

変形性膝関節症

 

華麗な加齢によるもの

アラコキ(アラウンド古希)ともなれば

あちこちガタもくるし

中にはお迎えも来る人もいて

同級生にはさよならしちゃった人も何人か、、、、、

寂しい、、、

 

 

ああ、毎朝目覚めることが奇跡かも

と、朝日に感謝する

そんなBBA

 

 

 

左が痛いけど

両膝サポーターです。

 

あら?両膝サポーター

どこかで、、見たよね?

 

照ノ富士と色違いのお揃い?サポーター?

照ノ富士は、変形性膝関節症じゃないけど。

 

痛いのに相撲もとって

えらいなーと思いますが

 

なんと!うちの子の1人と同じ年

ひゃー今年33歳ですって

ワタクシ、こんなおっさんの母親?

いやいや

きっと照ノ富士のお母さまの方が若いと思う。

 

 

 

サポーターしていると

楽になります。

歩けます。

でも、正座はできない。

 

そもそも正座って、人間には苦行でしかない。

座るのも大変だし

座ってたら痺れるし

立ち上がるときに

立てない

立っても、グキってやって捻挫したり

 

誰が考えたんだろ?

 

wikiさんによると

 

江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民にが普及し始めた頃であったことも要因であるという。入澤達吉『日本人の坐り方に就いて』[1][2]では元禄享保に広まったと推測されている。それに対して、川本利恵と中村充一「正座の源流」[3]東京家政大学紀要第39号 1999年)では、この座り方そのものは『日本諸事要録』(1583年)の記載から、16世紀後半にはすでに下級武士や農民にまで浸透していたことを指摘しており、古代遺跡や奈良時代の仏像にも現代の正座と同じ座り方があることから、座り方そのものは江戸時代以前から一般的であったとも考えられる。

江戸時代以前には「正座」という言葉はなく[注釈 2]、「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた。1889年に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。 書籍でのもっとも古い「正座」の使用例は、明治15年(1882)に出版された『小学女子容儀詳説. 上編』[6]の文中にある「凡そ正坐ハ。家居の時より習ひ置くべし。」と考えられている。

かつては儀礼的な座法は身分や階層によって異なっていた。武士には蹲踞や跪座(きざ)、公卿や茶人には亀居(割座)が尊者に対して敬意を表した座り方だった。明治維新以後の修身四民平等を実現する過程で礼法を統一する必要が生じ、国民に共通するかしこまった座り方を「正座」と規定したとみられている[7]

 

 

よくわかんないけど、

令和には合わないってことですね。

 

母も、よく膝が痛いと、三日にあげず整形外科に通っていたけど

 

あの時

なぜもっと寄り添ってあげなかったのか?

👸「痩せたらよくなる」とか

👸「整形外科ばかり行ってもよくならないよ!」

なんて

なぜ言ったのか?

 

母は、それを言われて

悲しそうな顔をしていた

ワタクシは、心にちくっと痛みがあった

 

 

いまなら

母の

あの痛みも

老いる悲しみも焦りもわかるけど

 

優しくしてあげたい母は、

もういない。