友人のブログに「弱音をはけない私」というものがあった。

彼女もかなり自分で抱え込んでいたのだと改めて実感した。

それに気が付くことができたら、そして自分の感情を感じることができて、抑圧をやめたら(過剰な感情の放出ではなく)、身体も喜んで回復できると思う。

思えば、私も悩みをごく親しい友人2人くらいにしか、打ち明けられなかった。でも、だめな私を思いっきり出して、弱音をはくという感じでもなかった(私にしてみれば)。

親には絶対に悩みは打ち明けないし、結婚するつもりで家を出た手前、心配させないようにいつも幸せなところを見せなければと思い込んでいた。これもかなりの負担になっていた。

会社で大変なことがあったときも、人の信用に関わることだったので、会社の人には誰も相談できず、その人のことを知る友人に話を聞いてもらえたことだけが救いだった。それも、私のせいで友人のその人に対する見方が変わってしまうという罪悪感と表裏一体の複雑な気持ちだった。

彼といろいろとあったときは、親しい友人たちには話を聞いてもらっていたけれど、「こんな話を聞かされても迷惑だろうな」といつも思っていたし、多分、友人たちは彼に対しても、そんな彼と別れない私に対しても「ええ加減にせいよ」と思っているだろうと考えて、どうしようもない自分を思い切り出せずにいたようだ。

そして、その頃、彼の会社でのストレスがピークに達し、家に帰ると彼のゴミ箱、実家に帰れば母が父の文句(そして母のいないところで父が母の文句)、会社では主に2人にゴミ箱にされ、1人には夜の時間や週末まで追いかけられていた。

私はどこにも逃げ場がなくなってしまった。今思えばいくらでもあったのだと思うが、少なくとも当時の私はそう思っていた。

私は全てをあまりにも真面目に、そして、まともに受け取ってしまっていただけなのだ。

人は逃げ場がなくなって追い詰められると、自分の中に逃げ場を作ってしまう。

ある暑い日、道路を歩いていた私の意識が一瞬遠のき、「あの世とこの世の境界線」を見てしまった。こんなとき、人は突発的に命を絶ってしまうのだと悟った。

我にかえり「このままでは私は本当にだめになる」と思ったことが、コーチングやヒーリングを始めるきっかけとなった。

全ては結果良しなのだが、「弱音をはいてはいけない」という思い込みは持たないほうが気が楽だったと思う。

本当に全部自分の思い込み。

いつも弱音をはくのは論外だけれど、たまにそうなってしまう自分を認めてあげて、友達にもそんな自分を見せられる人は、実は魅力的だったりすることもある。

だから私は、友人には「辛いときはじゃんじゃん弱音をはいて!!」と言いたい。

そして、私も、へたれな自分もありのまま受け入れる。

人間は、いつまでも同じ状態でいられない生き物らしいから、へたれて、弱音をはいたら「さて、次はどうする?」と、案外早く前に進めそうに思うのだ。