「ぼくのエリ 200歳の少女」( Låt den rätte komma in) | シネマの万華鏡

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ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]/アミューズソフトエンタテインメント



◆エリは「少女 」?◆

2008年のスウェーデン映画。監督は、トーマス・アルフレッドソン。
スウェーデン内外で人気を博したヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストのホラー小説『MORSE -モールス-(Låt den rätte komma in)』(2004年)が原作で、原作者が自ら脚本を手がけています。

物語の時代設定は1980年代。
ストックホルム郊外の新興住宅地に母と2人で暮らす少年・オスカー(12歳)が主人公です。
オスカーは鍵っ子。両親は離婚しており、学校でも苛烈なイジメに遭っている孤独な少年です。
苛めっ子たちへの激しい憎悪を胸に秘めているものの、現実には何もできず、されるがまま。
そんなオスカーの前に現れた、美少女のエリ。エリもまた、孤独な少女です。
2人はお互いの孤独な心を寄せ合うように距離を縮め、2人だけの特別な関係を築いていきます。  
しかし、やがてオスカーはエリが吸血鬼であることを知って――
  
原作小説では、エリは大人の性暴力によって去勢された少年。
映画でもエリの(去勢された傷跡のある)下腹部が映るシーンはあるものの、日本版ではその肝心なシーンにボカシが入れられているため、タイトル通りエリはほぼ少女と扱われる形になっています。
ちなみに原題は「正しき者を招き入れよ」との意味で、エリを「少女」とするタイトルは、日本版独自のものです。

◆思春期の全てが包含されている◆ 

オスカー役のカーレ・ヘーデブラントは、2008年当時13歳。
この年齢にしてはやや幼く感じるほどの透明感とあどけなさを纏った、子供らしい少年です。
オープニングで窓ガラスに映った自分に話しかけるオスカーは、少女みたいにキュートで、てっきり彼をエリと思い込んでしまったほど。
女の子みたいなその子が実は男の子である驚き、そして彼がガラスに映った自分に浴びせる、
「豚め!鳴け!」
という汚い罵り言葉とのギャップにも心を掴まれ、さらには本物のエリ(リーナ・レアンデション)の神秘的な可憐さにも魅せられて、あっという間にこの作品の世界に引きずり込まれました。


(あどけない容姿のオスカー(カーレ・ヘーデブラント))


(少し大人びた「12歳」のエリ(リーナ・レアンデション))

オスカーは、その内面に、深い孤独と心の闇を抱えています。それは、彼が隠し持っているナイフ(原作によると万引きしたもの)のように、鋭くて危うい狂気。
母親も、たまに会う父親も、本当のオスカーを知りません。
彼の中に、人を殺したいほどの憎しみが宿っていることを知っているのは、エリだけ。
彼らが理解し合えるのは、エリもまた、人を殺すことで生き延びてきた、孤独な少年だから。
彼らはある意味で、同類だから。

原作ではエリと一緒に暮らすホーカン等大人も含めて、どろどろした人間の心の闇が描き出されていますが、映画版ではそういった部分はエッセンスだけを残して削ぎ落とされ、オスカーとエリの関係に焦点を当てた構成になっています。
暗闇に生きる存在・エリと、一歩踏み出せばエリの側の闇に転びそうなところにいる、オスカー。
人を殺す存在か、昏い殺意を胸に秘めた人間か?
彼らの間にあるのは、とても曖昧な脆い壁。  

子供は純粋でイノセントなもの?
大人は子供を守ってくれる?
美少女は清潔でいい匂いがする?
人を殺す吸血鬼は、否定すべき存在?
倫理って何より大切なもの?
善意の人は報われる?
恋は異性としか成立しない?(この問いは上に書いた通り日本版では消されていますが)
さまざまな先入観を、この作品は壊していきます。
あらゆる表層を剥ぎ取った上で、最後に残る透き通った結晶のような真実だけを、掬い上げようとしているかのように。

2人が物語の最後に選んだ、2人だけの旅立ち――
それは愛? 永遠? 2人は何処へ?
そこに、確かな未来は見えません。(何しろ私たちは、エリとホーカンの関係の残酷な終わり方も、苦しみのあまり死を選ぶ吸血鬼の存在も、知っているのですから・・・)
何かとても、刹那的。でも、だから一層2人の結びつきが、純粋で美しいものに思えてしまう。
今まで観たどんな映画とも違う、不思議な世界観の作品です。

この映画に似ているものがあるとしたら、それは思春期そのものかも。
少年の中の、変わりたいという気持ち、得体の知れない激情、排他的な内輪だけの閉じた世界、恋、挫折、そして、旅立ち。
思春期の様相の全てを、この映画は包含している気がします。

◆闇に降りしきる雪のような静かな余韻◆

トーマス・アルフレッドソン監督作品を観たのは、「裏切りのサーカス」(2011年)に続き2作目。
「裏切りのサーカス」とは全く毛色の違う作品ではあるものの、確かなものを提示せず、かといって観客に決めつけを許さない作品の雰囲気、映画を観終わった後に残る静かな寂寥感は、両作品に通じるものがあります。
映像から伝わって来る、冴え冴えとした空気の冷たさも、この監督ならではでしょうか。

普通なら、メリーバッドエンドと呼んでしまうところですが、ハッピーエンドかバッドエンドかを決めることができるのは、あくまでもオスカーとエリだけ。そんな気がします。
この作品の前では、観客はとても無力な存在にさせられてしまう。
既存の価値観という鎧を剥ぎ取られてしまうと、もう受容するしか術がなくなってしまうんですね。
でも、それがとても心地良い。心が砂になって、こぼれた水を吸い込んでいくような感覚。

クライマックスの凄惨な殺戮シーンの後に挿入された、暗闇の中にただ深々と雪が降りしきるカットは、まさにこの映画の余韻のイメージそのものです。

◆リメイク版はこの映画の余韻を反芻しつくしてから・・・◆

アメリカでも同じ原作の映画化作品「モールス」(原題:Let Me In 2010年)が製作されているようですね。
監督は、「クローバーフィールド HAKAISHA」の、マット・リーヴス。
アメリカを舞台に設定したこちらの作品では、オスカーとエリは、「オーウェン」(コディ・スミット=マクフィー)と「アビー」(クロエ・グレース・モレッツ)に。
また、昨日の「映画.comニュース」によれば、アメリカでドラマ化も予定されているとか。

しかし、そちらを観てみる気持ちには今の時点ではなれません。
この映画があまりにも原作の世界観にピッタリで、あまりにも自分の好みのテイストすぎて。
もしリメイク版があったとしても、それはベツモノにしか思えない気がするんです。
興味はあるのでいずれ観てみたいとは思うんですが、酷評してしまいそうでコワい(笑)


  
(画像はDVDより抜粋したものです。使用に問題がある場合にはご連絡いただければ速やかに削除します。)