ねん挫しました。心も崩壊しました。 | 夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

行ったり来たりの年末年始でした。

コロナ、

けっこうなリスクで行動してしまいました。。。

空港、交通なんて、

(特にフランス)どんなに気をつけても、

無理があります。



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日本で正月を過ごし、

12日深夜便でフランスに戻りました。

3日日曜日にCDG到着、自宅に戻り

4日月曜日には研修の一環である実習、つまり畑にでました。

朝はマイナス2度!

日本から持ってきたホッカイロやユニクロの極暖の重ね着、ダウンの重ね着。

フル装備で臨みました。

 

冬のワインの畑の仕事は春夏に伸びた枝の剪定、

枝を切る作業です。

 

習う前は「地味な作業、 枝切ればいいんでしょ?」

と思ってましたが、

これがとても大切な作業。

ワインの畑の作業でもしかしたら一番大事かもしれません。

 

夫はこういう事をやってたのかぁ。

妊娠中の散歩で夫を見かけたりしたな。

Mが生まれた後は病に伏してたから見ることできなかったな。

今、一緒にいたらいっぱい質問したり語り合えたのに。

と思ってました。

 

そして!

先週の水曜日の朝(畑に出て3日目)、Mを抱えて家の階段を降りる際に足を滑らせました。

Mを守らねば!

というので変な体制になったらしく、足がやや痛い。

 

そのまま、大丈夫と思い、仕事してたら夕方15時からだんだん痛くなり、

16時には激痛で、歩けず強制送還させられました。

 

痛くて歩けず、

職場の人々に心配かけたり、

右足だったので車の運転もできなかったり、

通常の事が出来ない不安、

 

何より、

もし夫が居たらまず迎えに来てくれて、

解放してくれて、

心配してくれて、

「大丈夫だから!」と安心できた、、、、

 

つまりは、夫が居ない現実を直視せざるを得ず、

涙が止まりませんでした。

 

周りからはこの涙は痛みのせいだと思われたと思います。

 

更には、義理の母の勧めで

一応URGENCE 救急外来へ。

結果、足の骨が折れたわけではなく、

ただのねん挫と確証出来て良かったです。

 

しかし、

 

このURGENCE及び病院は、

夫の闘病の思い出がいっぱい。

 

何度も連れてきて、見舞いに来た場所、

最後に夫が歩いたのを見た場所、

レントゲンの場所ももう歩けなくなっていた夫と付き添った場所、

 

涙を流さざるを得ませんでしたし、

 

Mと共に義理両親の家に泊まることにしたのですが、

自分の中での緊張がプツンと切れました。

 

たかがねん挫なのでずが数日休まざるを得ず、

 

大したことではないのですが、

時期も良くないのでした。

夫が抗がん剤治療を始めたのが2019年の12月、

闘病中は、

頑張って前向きに、

生存の確立が低い事を考えないようにしてた辛かった時期、

 

日本で結果8週間も過ごせた事、

しかも年末年始という辛い時期を温かなものに変換できた事は

有難い事で、

 

研修でワインの仕事を学んで夫を近くに感じ忙しくできる事で上手く紛らわせていました。

 

それがねん挫をきっかけにぷつんと、

キレてしまったのです。

 

その後、週末を経て

今週は仕事に出れたので

気もまぎれて

 

落ち着きました。

 

でも、

今回のねん挫をきっかけにした落ち込みは激しいもので、

改めて、

悲しみや、

心細さや、

闘病の時の感覚が

自分の中で

強く残っているんだなと再認識しました。

 

辛くなかったら、逆におかしい。

 

最近はそう思うようにしています。

 

愛する人が、

亡くなって、ハッピー!なんて方が珍しいはず。

 

Mは最近なんでも

ノー!

 

日本でいうイヤイヤ期なのか、

はたまた、夫の性格の遺伝なのか。

 

眉間のしわや筋肉は

私の家系のものではありません。

 

パパそっくり。