義理家族、疲れます。 | 夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

夫はフランス人、膵臓癌になりました (ワイン畑の中の3人家族)

フランスで出会い、嫁ぎ、娘が生まれて7か月、夫が膵臓癌になり、2020年4月に旅立ちました。闘病の記録として始めましたが、その後の日々の生活や想いも綴っていこうと思います。

私はとうとう今日、苛立ちを隠せませんでした。

義理の家族に対して。

 

子供っぽかったかもしれません、でも止められませんでした。

 

Mを連れて義理の両親宅に行きました。歩いて5分。

義理の妹達(年上ですが)も来てました。

 

切り出されたのが以前ちょっと触れたBeljanskiという人の免疫療法の薬草の件でした。

「病院の先生の一人と義理弟が個人の携帯を知ってるので連絡とったところ、4つの薬草のうち2種類は大丈夫らしい。だから

との事。

私は、「あ、そうなんだ、なら話するなりどうぞ。」

と言ったものの、どうも私が大賛成!って感じではなかったらか

説得するように繰り返し話をしてきたので、

イラっとしてしまったのです。

それくらい、解るから。バカではないので!

 

義理の母とは毎日会ってるのに、義理妹達もほぼ毎日連絡とってるのに、

その連絡とったという先生もつい先日家に来てくれたのに。

なんだか義理家族で結託して陰で色々進められたような感覚が嫌だったのだと思います。

 

これとは別に日ごろ、夫が膵臓癌になってから心の底にずーっと不安があります。

万一、夫がいなくなってしまったら…

今の環境だと義理家族との関係は要です。色んな意味で。

家や色んなものは娘に受け継がれますが、おそらく管理する権利みたいなものは義理の両親と思われます。

ワイナリーは夫と義理弟の共同経営です。

私は正直なところ来た時から義理の弟とは壁があるような感じで当たり障りなく居るようにしてました。

あくまでも一般的にですが息子がいる義理弟からしたら私は目障り、と表現するのがしっくりくるでしょう。

義理家族にとっては私なんかよりも義理弟が大事なのは当たり前。

 

凄く、微妙であまり明るい事が想像しにくい「その後」

 

 

ワイナリーから夫の名前がなくなる、想像したくもありません。夫にとって人生の全てだったワイン。

夫一人の経営だったら、何とか私が頑張ろう、そうしてたかもしれません。

でも、弟との共同経営、そういうシナリオにはならないでしょう。

 

そういう話題は絶対に夫とはしません、今は前向きに治療に取り組むのが大事です。

もちろん私は夫の回復を信じたいです。

 

でも、心の底にこういった不安があるのは、しょうがない事ではないでしょうか。

「今考える事じゃない。」

心の奥底に埋め込んでるつもりでした。

 

でも、日々義理母の電話での夫の体調確認、Mの可愛がり…

私の事なんて、別に良いのです。

良いんですけど、

 

他にも色々ある義理家族の夫への愛情は少しづつ私のストレスになってるんだな、

でも助けてもらってるし、皆想う事は同じ…

 

そう考えて、義理家族によるストレスも心の奥底に沈めてるつもりでした。

 

色々押し込めてるものがある中

、今日の薬草の件が「カチッ」と引き金を鳴らしました。

 

社会人になってから、怒ると黙ってしまう癖があります。

頭の中で自分の主張と相手の事を色々想定して、言葉にできず…。

結局

「薬草がどうこうという事ではなくて、陰で話されたのが嫌だった!」

と、いうような事がフランス語で言えたかどうかわからないまま、私はMを抱えて帰りました。

たった200mの間で泣きました。

 

車で40分する隣町に住んでる英語が出来る、人として尊敬できる貴重な友人に一連話して気持ちの高揚は治まりました。

 

つまりは、くだらない事、で器の小さい私はイラだったのでしょう。

ただ、もう心の中に感情を埋め隠す容量がなくなっちゃった。

言っちゃいけない言葉、

疲れちゃった…

 

ふぅう、ありがとう、ブログ…

そして、コメントなども頂いて救われてます。

 

夫が頑張ってるのに何やってるんだろう。

 

家で私が友人と電話中に夫はMを見てくれてて、Mはすやすや寝ちゃってました。

夫どや顔。

 

私の家族。

3人の空間、なんて居心地良いんだろう。

 

とりあえず、寝よう。

明日は夫の4回目の抗がん剤の予定です。

 

ちゃんとできますように。