おはようございます✨


以下のエッセイは、作家辻仁成さんの文章講座に投稿したものです。


百通以上の応募のうち、三通しか添削されないので、是非読んで下さい笑い泣き

   


              

 旅先では自分へのおみやげとして、アクセサリーを買うことにしている。


 これは母から二十年以上前に教わった法則で、今でも実践している。


 母は昔からとてもおしゃれな人で、ベルギーのブルージュに行ったときには、日本ではとても買えないような、針金で作ったように直線的なデザインが美しいステンレス製のネックレスを買っていた。


 その旅はとても印象的な旅だった。二年間のフランス生活ですっかり疲れきってしまった私を、母がわざわざ東京からパリまで迎えに来てくれた。帰国前に母がどうしてもブルージュに行きたいと言うものだから、二泊三日で無理して行った旅だった。私はほとんどの時間をホテルのベッドで過ごしたが、時間をもて余した母は、一人でブルージュの街を散策し、ショッピングを楽しんだ。英語もろくに話せないのに。


 このようにアクセサリーを見たり、つけたりする度に旅の思い出話が出来るのが、とても楽しい。残念ながら、あまり高価なものは買えないが、それでも十分に満足している。


 フランス生活最後の思い出として、私はバカラの赤いクリスタル製の指輪を自分へのプレゼントとして買った。それは流線形の丸い形がとても可愛い指輪で、帰国してからはしばらく、お守り代わりに、左手の人差し指につけていた。友人には、「左手の人差し指に指輪をつけると、彼氏がなかなか出来ないらしいよ。中指につけたら?」なんて言われたが、中指につけるとあまり可愛いくないし、そもそも大きすぎてうっとうしかった。私は人差し指にその指輪をつけ続けた。その指輪を見たりつけたりする度に、私は心の中で、美化されたフランス生活を懐かしみ、日本の世知辛い、余裕のない生活を嘆いた。ある日道を歩いていると、その指輪は何故か私の指から外れ、アスファルトの硬い道に落ちて割れてしまい、粉々に砕けた。相当ショックを受けた私は、その指輪のガラスの破片が未だに捨てられず、箱の中に大事にしまっている。


 パリのマレ地区で二十年程前に買った、四角い緑色の七宝焼をシルバーに施したカジュアルな指輪も、大事な宝物だ。三年前の誕生日に家族でステーキを食べに行った。ちょうど五十歳の誕生日だったので、いつもよりかなり盛大にお祝いしてもらった。ところが、帰り道のどこかで落としてしまったようで、家に帰って気がついたら、指輪はなかった。バカラの指輪を割ってしまった後だったので、二十年前のパリの思い出が失くなってしまうような気がして、私はその指輪を必死で探した。駅までの道を戻り、下を向いて何度も歩道を行ったり来たりした。交番や駅の改札口にも問い合わせた。帰り道は「またパリに行ったときに買えば良いや」と自分に言い聞かせて、落ち込む気持ちを必死に建て直したが、「次回いつ行けるかは、神のみぞ知る」くらいにパリから遠ざかっていた私は、目の前が真っ暗になった。家に帰ってタンスの上で、帰宅直後に無意識に外していたその指輪を発見したときは、心の底から安堵した。


 

 残念ながら、ここ十数年は、子供が小さかったり、コロナ禍だったり、子供の教育費がかさんだりして、海外はどこにも行っていない。


 でも、旅先で買ったアクセサリーを身につけると、アクセサリーにまつわる思い出や経験が、私をより強く守ってくれるような気がして、大事な日には必ず身につけるようにしている。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊


楽しい一日を!