ほんのyoung girl だった頃、今思うと無知で、それが自分でわからず、中途半端な知識をえらそうに他人に話していた、とは最近とみに思うことだ。



本を読んでも、自分の無知をしみじみ感じる今日このごろ。

一ページのひとつの文章に含まれる歴史が、透けて見えることがあり、

なんでもっと勉強してこなかったのだろう、と後悔することが多い。



The day is short, and the work is much.



若いときは、食わず嫌いで、おまけに、人と違うところが自慢で、はすにかまえていて、

あんな本、興味ない、○○?行かない、あんな国、野蛮だから。

○○さんの講演会?嫌いだから、いい。

party? 行きたくない、気が進まないから。

とはねつけていたが、もったいないことをした、としみじみ思うのだ。



生きていて、つきあたったできごとは、偶然ではなく、人生を変えるかもしれない出来事だったり、人だったりする。



ある程度の年齢になると、28才くらいだと思うが、自分の心がgo!と教えてくれることはそれに従ってもいいと思う。

自分の心が頭を横に振っても、頭がgo!ということを選択した時は、ことごとく失敗してきた。女の勘はすごいから。



生きていて、自分のしていることが、そこそこ満足はしてはいるけれども、ほんとうは、自分のしたいことではなくて、自分の心が喜ぶことと少しずれている、そうやって感じてきたが、それは、あまりにも自分自身の頭が考えること-知性とかいわれているもの-にあまりにも左右されてきたからのように思える。




たぶん、わたしは、ほかの人たちより、自分に関心があり、自分の一生を120%生きていきたい、という欲求が強いのだろう。

子供の時のトラウマがそうさせるのだと長い間そう思っていたが、わたしはこういう風な人間なのだろう、とそう思う。



Provinceに住んだり、地中海文化に浸ったり、興味のある人物や歴史を専門的に学んだり、etc , 自分の中の意識が示す方へすすんでいくのだろう。

そしてもっと・・・・・