パリ、という言葉は、口にするだけで、甘やかな響きをもち、あの当時を思い描くだけで、笑みがこぼれる。わたしも、レストランやワイン、絵画、劇場、パリコレ、ショッピング、南仏や海辺への旅、忘れられない友情、近所の人たちとの友好関係、などなど人生最大の喜びと楽しみを享受した。


Hemingwayは、

「もし君が幸いにもパリで青春を過ごしたなら、残りの人生をどこで過ごしたとしてもパリは君についてくる。なぜなら、パリは移動祝祭日だから・・・」

と述べた。


岡本太郎や藤田もパリで育てられた。artistでないわたしもわたしの精神のある部分はパリで芽吹いて、育ったものだ。


しかし、パリで、一つだけ、釈然としない経験をした。


フランスには友人に招待されたり、イギリスから小旅行をしたり、transitで立ち寄ったりはしたが、あまり興味は持たなかった。

最初、パリに一泊した時、学生だったわたしは、ホテルの女主人に東洋の女の子だと珍しがられて、フランス語でいろんな質問をされたり、分からないとおおげさな身振り手振りでわからせようとされたり、bonbonをもらったりしたものだ。そのとき、フランス人は人懐こいなあ、と思ったのが第一印象だった。距離を置く文明になれていたからあまりにもダイレクトに接する態度にちょっと苦手意識をもったのだった。


それが、カナダで数年暮らしてみると、イギリス、アメリカに続くアングロサクソンの文化に飽きてしまった自分に気がついた。離婚の傷をいやすのにのんびりした文化は心地よかったが、それだけでは退屈してしまっていたのだ。その頃、大学で週2回の講師からフルタイムの講師に移らないか、という話に、首を横に振ってフランス行きを決意した。


二つの道を示されると、いつも困難な道を選択する。自分が険しい道への生活力、能力をまだ所有している、まだまだいけるぞ、と思う性格は今もかわらないが、その当時はそれが強かった。


親類や知人は頼らず、一人で最初からやる、それがいつまでできるのか、フランスというそれもパリという、フランスの田舎者にも生き抜くのが難しい街でひとりっきりで。

自分に対するチャレンジだと考えた。


パリで困ったのは住居だった。最初に住んだところはプライバシーが保てなくて

神経質なわたしは、ある大学の寮に移ったが、パリの中央よりあまりにも遠方で

夜、長い橋を渡っての帰りなど、恐ろしい話を散々聞かされていたので、車が傍を通ると、正直脚がすくんだ。


本気になって、毎日新聞や掲示板を捜していると、ひとつの広告が目に付いた。

パリの高級住宅街の一つの区に2Kに浴室つきのアパルトマンを貸す、とあった。

早速連絡をとり、会いに出かけた。


そこで、夫が先に日本へ帰ったので、自分も荷物をしてから帰国するという20

代後半の日本人女性に会った。

決まるまで、何度も彼女に会い、親しくなった、と思ったのはわたしだけの錯覚だったかもしれなかった。


彼女が出発する朝、連絡された時間に行くと、どこかのカフェで食事をしよう、という計画だったのに、もうスーツケースを整えて、アパルトマンを出るところだった。

鍵をくれて、さよなら、とスペインの友人に会うためにさっさと出て行った。

その1ヵ月後か2ヵ月後だったか、電話の請求書が電話局から送られた。

期間は、彼女がこのアパルトマンに滞在していた時期なので盛大に日本やスペインにかけたらしくて、7万円を超えていた。


フランス人の中にはパリの中心街にアパルトマンを購入し、それを他人に貸し、自分たちは郊外の家に住む人がけっこういる。家賃収入があっても、税金を払わなくてもいいように、月に一度アパルトマンにやって来て、内部のチェックをしがてら、家賃を徴収していく。支払いのいい日本人はいいお得意さんで、用心のいいフランス人は、電話もガスも水道など公共料金は自分の名前にしておく。わたしの大家も細心の注意を払っていて、電話料金も彼女の名前で請求が来ていた。


その大家のマダムも驚いて、

「請求書をコピーしてすぐ日本の彼女に送りなさい」といった。

わたしはコピーをした請求書を何度か送ったが、彼女からは何の便りもなく、共通の友人であるフランス人女性の家には手紙が来ることを考えると、結局電話代を踏み倒されたとしか思えなかった。そのフランス人女性は自分に被害はなく、彼女に日本に招待されていそいそと出かけていった。


そういえば、アパルトマンを借りることになったとき、

「今、パリは住宅難で、何度かわたしもアパルトマンを捜して回ったけれど、貸してくれる人にプレゼントをしたりして大変だったのよ」

ということを何度も聞かされた。

それならそれで、家賃の何パーセントをほしい、とかはっきり言えばいいのに、

結局一か月分近い家賃を支払わされたということになったのだが、あれだけ親しく彼女の家庭の悩みや夫との暴力事件などを聞かされたのに、演技だったとは思えないけれど、とがっかりした。確かに、彼女は金銭にはかなり細かい性格だったが。



相互不信なフランスの街で、こんなことは日常茶飯事だろうか。彼女はフランス語もろくに話せずパリにも一年ほどしかいなかったのに、に自分にとって、都合のいい部分だけフランス的でいたわけか。


彼女がアメリカの大学院を卒業している、と聞かされていたし、こぎれいな女性で、

写真を見せられたりしたから、信用しきっていた、というより、だまされたことがそれまでなかったので思い浮かばなかったのだ。


日本に帰国して、ふと思いついて、ネットで彼女の名前を探してみると、彼女の名前がある私立大学のパートタイマーの講師として出てきた。経歴や教えていることを考えると、彼女にまちがいない。


たとえ連絡をとっても、知らんふりをして、平気な顔をしているだろう。そういうやりとりをする事が、情けなくて残念な経験をした、としかいうことはなさそうだ。