映画好きなわたしは、今までたくさんの映画を

観てきたが、どこの国にいても、どこの街に住

んでいても映画館はある。誰かと一緒のときも

映画を見た後、お互いの感想をいいあって思い

もつかない発見はある。相手が監督や脚本家に

詳しい場合、裏話も聞けて楽しい。しかし、

ひとりで映画を観て、その後、内容を思い

こしてゆっくり味わうのもわたしはけっこ

う好きだ。

「ニューシネマパラダイス」「コックと泥棒

とその愛人」など、いくつかの忘れられない

映画があるが、そのひとつが「モロッコ」。


1930年製作の古い映画だが、名前だけ知って

いたこの白黒アメリカ映画をわたしは1998年に

観た。ヨーロッパ大陸で食いつぶれ

酒場の女性歌手がモロッコに流れてきて、外

部隊の兵隊であるゲーリー・クーパーと

恋愛する、という分かりやすい映画だが、

あの当時ハリウッドで、いや全世界に旋風を

巻き起こしたとか。それは彼女の姿があまり

にも新鮮だったからだろう。


主役のマレーネ・デートリッヒの男装姿、彼女の脚線美に加えて

誰にもこびないそっけないといってもいい態度、

女性は美しく着飾り、男性を頼るという女性

としてのイメージを超えたものだった

のではないかしら。

男装姿の彼女がクラブで歌ったとき、女性客に

花をささげてついでに唇にキスをした。思い

切った振る舞いに酒場の客はどよめいたが

女性の羞恥に官能の香りをかいだ。



1992
にパリで亡くなった彼女が、わたしの

パリ時代に住んでいたアパルトマンから歩いて

20分の距離に住んでいたこと、たまにわたしは

その前の通りを歩いていたことを後で知って、

より興味をもつことになった。


その当時としては自分の思うままに生きた女性だと

思う。ドイツ人として生まれた彼女は、アメリカ

ハリウッドに渡り、俳優として活躍。第二次世界

大戦中の母国のナチスに対する反ナチ運動に積極

的に参加した。カトリックだったドイツ人の夫と

は離婚はせずに別居。たまに情熱的な恋愛をして、

フランス人の名俳優のジャン・ギャバンとは同棲

までしたが、結局自立の道を貫いた。「モロッコ」

の兵隊役のゲーリー・クーパーとも恋仲になり

監督の嫉妬をかったとか。


その後、わたしは、ドキュメンタリー「マレーネ」

84)を観た。もうその時は、彼女は83才で

映画界を引退していたが、恋愛や男性や人生、

映画、歌にたいして、確固とした自分の意見

を述べていた。老衰した自分の姿を映すことを

拒否して彼女の姿は画面には見えなかったが、


薄暗い室内、何重もの薄いカーテンの向こう

から聞こえてくる映画や歌で聞き覚えのある


ハスキーな声、ゆっくりした、質問によっては、


苛立った声のトーン、を聞くと、頑固なまでに

自分のいき方を貫いた、気骨ある強い魂の持ち

主のように感じた。


その映画の中で、マレーネの親友が久しぶりに

電話をかけて、

「今、あなたのアパルトマンのすぐ下にいる

のよ。」と会いたいと告げると、

「わたしは随分年をとってしまった。会いたく

ない」

答えたと語った。人は誰も平等に年をとるが、

美女で有名だった人は他人に自分の変貌ぶりを

さらすのを恐れるのだろうか。われわれは、

自分の顔の変化は日々少しずつだから気づかな

いが、久しぶりの人には動揺を与え、それを見

て自分の変化をい知らされることがある、

そのほうがずっとショックだ。久しぶりの友人

に会うよりも自分の存在を守る。偉大な人間は

孤高を守る。


「モロッコ」では、砂漠への任務に赴く外人

部隊の男性を、ハイヒールを脱ぎ捨てて追う。

大金持ちの婚約者を捨てて。その後、結局ど

うなったのだろう、とわたしは気になった。

多分アミー・ジョリーは兵隊たちの後を追って

いく他の一群の女たちのように男の食事を作り、

男の世話をしていっただろう。


しかし、マレーネの場合は違ったのだと思う。

好きな男性には夢中になり尽くす母性的な要素

性格だが、溺れきることはなかったのではないか。

少し寄り道をしたが最後は自分の生き方

に戻っていく女性だったのだろう


自分の人生や恋愛を振り返ると、結局わたし

もマレーネ型の女なのだろうと思う。

ラストシーンを何度も観なおして、わたしには

真似できなかったアミー・ジョリーの姿が

長く心に残った。