今日は思い立って、実家のお墓参りに行きました
各々行けるときに行けば良し
というアバウトな実家ルールに従って、彼岸と来月の父の命日の分を一度に
墓前で父に、家族や自分の近況を伝えながら、
つい先日垣間見た、多分『あの世』のことを思い出していました。
レイキ練習会での瞑想で、源の光に入った私の肉体が薄くなり、半霊半物質のようになったとき、ふと『哀しい』という気持ちが湧きました。
いつの頃からか、
「早く今生の役目を終えて肉体を脱ぎたい。」
「今日、明日にでも、命を終えてもかまわない。」
と思っていたはずの私。
イメージでですが、肉体が薄まって半分消える体験をした瞬間に哀しみを感じたということは、本当はまだ肉体に未練があるのだなぁ…と気付きました。
「パパ…私はまだ肉体を持って体験したいようです。会いたい人に会って、好きな人たちと交流して、行きたいところに行って、見たい物を見て、愛する人と共に過ごして、五感をフルに使って楽しみたい。まだやり切っていないようです。もうしばらく、そっちの世界から見ていてね。」
亡き父に、そんな報告をした秋の日でした。
ついでに覚書をもう一つ。
練習会で、レイキの再アチューメントを受けたときの体験。
アチューメントが始まって目を閉じると、遠くに仏様の姿があり、それは阿弥陀如来だとわかりました。
私は真言密教に親しんだ経験があるので、大日如来に馴染みがあるはずなのですが、婚家が天台宗で、毎日仏壇に向かって先祖を拝んでいるから、今は阿弥陀如来のご加護があるのかもしれません。
頭上から、青い小さな光が右回りの螺旋を描いて降りてきて、身体の中心を抜けていきました。
すると、阿弥陀如来(坐像)がゆっくりと迫って来て、やがて私は大きな仏の体に包まれ、そして仏様は通り過ぎていきました。
私は、紫〜白の光の世界に立たされ、その周りを大日如来や薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来が現れて立ち上がり、私の周りをゆっくりと廻っていました。
そこは、如来の世界なのだと思いました。
アチューメントの前の瞑想で体験した、源の光の中で半霊半物質になったその先はきっと、肉体を失くしてから得る悟りの世界で、如来の世界に近づくことなのかなぁ…と思いました。
お墓参りとセットで、いつも川越市場の食堂に寄ってランチします。
今回も、(海の無い埼玉で)豪華な刺し身定食を堪能しました
肉体があってこその食べる喜び
まだまだ人間は止められません。煩悩万歳♪