今日は、手芸の材料を買いに、浦和駅周辺へ出掛けました。
ユザワヤで布や糸を数種類を買い、
伊勢丹でMy光り物をGET。
更に、デコパージュ用に綺麗な柄のペーパーナプキンを買おうと思ったのですが…
テーブルウェアの店、キッチン用品の店、輸入雑貨の店、デパート、高級スーパー…など、過去に陳列してあるのを見たことがある店には全部行ってみたけれど、ペーパーナプキンの取り扱いをやめた店ばかりで、辛うじて数点置いていた店でも、輸入物のインパクトのある柄はありませんでした
たかがペーパーナプキン…
売れない品を扱わなくなるのはしかたないことだけど、代わりに雑貨売り場の幅を占めているのはエコバッグ。今やお買い物の必需品
な〜んか世知辛い
と感じたのは私だけでしょうか?
生活の『ゆとり』が世の中から消されて行っている
ほんの少しの贅沢、余裕、豊かさ、潤い、喜び…
私にとっては生きる上で大切な要素が、
求めても得られない世の中になっているみたいで、ゾッ!としました。
そう言えば、今は世界中が情報戦争の真っ只中でしたね
うっかり三次元の世界にフォーカスしちゃったから、気分が落ちちゃった
危ない危ない!
自分の世界は自分の責任で作り出す。
平和でいましょう
ベーパーナプキンは、ネットで探せばあるある!
近ごろ頑張った自分にご褒美も買ったし、
美味しいランチも食べて、
自分だけの時間をたっぷりと楽しんだし
今日のアファーメーション
『私の創造する世界は、平和で豊かで幸せ』
そして、そのとおりです
ところで、
綺麗な柄のペーパーナプキンは、私にとっては豊かさの象徴の一つなんです。
私がまだ看護学生だった20歳前。
家庭科の調理実習のときの出来事…遠い昔。
私達生徒が作った個性的な(?)サンドイッチを皿に盛り付けようとしたとき、
先生が「これを敷いてから盛り付けましょう♪」と、
とても美しい柄の(高そうな)ペーパーナプキンを、みんなの皿に敷いて下さいました。
当時、生意気だった私が「そんなの贅沢です!もったいない!」と言うと、
先生は、
「こういうのが『ゆとり』と言うのよ。」と、静かな重みのある口調で教えて下さいました。
そのとき私は、
【食事】という生きるための営みに、心を豊かにする演出を加えることの大切さを初めて知りました
親から、
「うちにはお金が無いから贅沢は出来ない。無駄な物を買ってはいけない。」
と言われて育った私には、生活の『ゆとり』という言葉は衝撃的な教えでした。
そんな思い出があったから、
今日のペーパーナプキンが店から消えた事件(?)は、私にとってはネガティブに落ちる罠だったのでした
さぁ!
気を取り直してご機嫌な私な戻ろう
二人くらいでシェアしたいボリューム
だけど生憎お一人様だった私