今日、私が京浜東北線のK駅で電車に乗り込むと、後ろから某私立小学校の生徒が3人乗り込んできたと同時にカランっビックリマークと音がしました。


低学年の女の子が持っていた手提げの中から水筒が転がり出て、電車とホームの間に落ちてしまったようですショック!


小さい女の子はたちまち泣き顔しょぼん

一緒にいた少し年長の男の子と女の子は、「諦めなよ!しょうがないよ!」と、とっさに小さい子を電車内の中央に進ませ、電車のドアは閉まって動き出しました電車


泣き続ける小さい女の子を宥めながら、年上の子たちはこの事態にどうしたらいいのか、一所懸命話し合っていました。


「次の駅で降りてもう一度K駅に戻る?」


「戻らない・・・しょぼん


「明日、お母さんと拾いに来る?」


「明日は英検だからダメしょぼん


「お母さんに話せば何とかなるよひらめき電球


「だって、お母さん怒るもんビックリマーク水筒高かったって!2000円したって言ってたもん!怒られるぅしょぼん


「2人くらいでホームから降りれば、水筒拾えるんじゃない!?


↑ ↑ ↑

(えっ!!えっそれは危険だからダメだよぉ叫び それは駅員さんにお願いするんだよぉ汗



2~3駅先で、3人のうち男の子は「あとは2人で考えてね~!(^_^)/~」と、先に電車を降りました。


まぁ、仕方ないか・・・。


残った学年の違う女の子2人。この子たちは姉妹でしょうか?

年長の女の子は、携帯電話を取り出したり、いろんな策を提案したりして、泣く子を宥め続けています・・・。


さて、そばで一部始終を見聞きしていた私は、このまま子供たちの力で何とかすると信じて見守るべきか、

どこかで助け舟を出すべきか、ずいぶん迷いました。


余計なお世話をしないように、でも、高い(?)水筒を落としてショックを受け、途方に暮れてい少女たちの心を、少しでも落ち着かせてあげたくて・・・。


しばらく悩んだあと、二人にこんなふうに声をかけました。


「お嬢ちゃんたち、ここのドアに『6号車・1番ドア』って書いてあるでしょ?さっき落とした水筒のある場所は、K駅のこのドアの位置だよ。」


「おうちに帰ったら、お母さんに『K駅から電車にのるときに、この番号のドアのところで水筒を落とした』って言うんだよ。」


「お母さんにK駅に電話をしてもらって、水筒の場所を駅員さんに伝えたら、駅員さんが安全に水筒を拾って、駅に保管しておいてくれるよ。月曜日に学校に行くときにでも、駅で受け取ることができるよ。」


「水筒を落としても、慌てて危ないことをしなくて偉かったね。ちゃんと話せば、お母さんはそんなに怒らないと思うよ?」


・・・そのように話して聞かせると、女の子たちは「本当?駅員さんは水筒を拾えるの?目


(そうだよ。駅員さんは秘密兵器を持っているんだから得意げ


「6号車、1番ドア・・・6号車、1番ドア・・・音譜


そう言いながら、二人は少し笑顔になって電車を降りていきましたニコニコ


私も子育て中、きっと何度かは「これ高かったんだから、失くすんじゃないわよ!」とか、「○○円もしたんだから、すぐに壊さないでよね!」とか、安易に子供に言っていたかなぁ?と、古い記憶を手繰り寄せてみましたが、無責任にもよく覚えていませんあせる


大人は何気なく経済的不安や不満を口に出して、子供を脅すようなことをしてしまいがちです。


うちの子が幼稚園のとき、同じクラスの男の子たちが、同じウルトラマン柄の弁当箱を「僕のお弁当箱の方がお前のよりイイものだ!だってこれ、高いから!」と言って、取っ組み合いの喧嘩になった事件がありました。

片方の子の母親が、「壊さないでよね!これ高かったんだからプンプン」と、確かに言った覚えがあったそうですあせる


大人の何気ない、値段が高い=価値がある高い物を与えてやった→だからそれに見合う行いで返せ ・・・


というメッセージは、子供に対する条件付きの愛という脅迫ドクロであることを、改めて感じた出来事でした。



あの子たちがおうちに帰って、お母さんにちゃんとお話しができるといいなぁ・・・。


無事に水筒が戻るといいなぁ・・・。


そう思いながら、寄り添って電車を降りていった2人に、無条件の愛のエネルギーを送りましたキラキラ