恋愛のお話ではありません。女同士の友情のお話です。
同じ学校とか同じ職場、子供同士が同級生…など、同じ立場、同じ環境で出会って友情を育んだ仲良しさん
何年も続いた友情だから、こんなに気が合うのだから、価値観が似ているから…彼女こそ私の親友だわ
そんなふうに思っていた相手と、何故だか急にギクシャクし始めたり、予想外の出来事で突然不仲になったとき、恋人との破局ほどではないにしろ、心に重くて辛いものです
「親友だと思っていたのに…そんな人だとは思わなかった!」と、心の中で叫んで悲しんだり、思い切って相手にその気持をぶち撒けて抗議したり…
突然、離縁状を叩きつけられた方も、「何で?どうして」と大ショック
先に不満・怒りを感じて別れや距離を置くことを決意した方も、そうされた方も、お互いにとても嫌~な思いをします。
もう大人なのに、友達とこんな喧嘩別れみたいになるなんて…という情けなさも重なり、その後、特定の人と深く仲良くなることに躊躇してしまうくらいの傷になったりして…。
『親友』という一見美しい言葉は、使い方を誤ると、相手の自由を奪う呪縛になり、自分の中に、相手に対する依存を生むことがあります。
一人の友達を自分にとって一番の友達=親友だと思うとき、相手に対して「私の友達ランキング1位に昇格させてあげた!」というギフトだと思い込む人が(たまに)います。
でもその場合、「親友というポジションにしてあげたのだから、私に○○してくれて当たり前!」という甘え(依存)が付属している可能性も
「きっと、彼女も私を親友だと思ってくれているはず
親友だから、私が喜ぶことをしてくれる
何かあったときは心配してくれる、励ましてくれる
楽しさ、心地よさ、安心を保障してくれるはず」…等々、
「私もしてあげるから貴女もそうしてね!」という友好条約を、(相手の承諾無しに)結んだ気になってしまうから不思議です。
そして、その期待通りに相手がしてくれなかったとき、「裏切られた!」という被害妄想から、喧嘩や沈黙を経て、破局へと展開していくわけです。
だから女の友情はあてにならない…面倒くさい
まぁまぁ、そう言わずに
親友に限らず友人に対しては、片思いでいるくらいが丁度いいのではないかと、私は思います。
「私はあの人が友達として一番好き。大切な人だから、喜ばせたいし、心配もするし、ずっと仲良くさせてもらいたい。同じような気持でいてくれたら嬉しいけれど…」くらいの、控えめな愛情がお勧めです
「友達とはギブ&テイクの対等な関係がいい」とよく言われていますが、友情の「情」の部分には、「愛」を少々プラスしてもいいのではないでしょうか?
ギブ&テイクという条件を付けずに、見返りを期待せずに与える愛を。
「あげてしまったら、なくなっちゃう!」と、愛を与えることを、惜しまなくても大丈夫です。
何故なら、「私が相手を好きだから○○する」ということは、「私」の思いを大切にしている(自分にも愛を与えている)ということだからです。
他人のために使用した分量の愛をその人から取り返そうとしなくても、与えたいと思って自分の心に溢れ出した愛は、相手に与えると同時にきちんと自分の元に返る(充填される)のです。減ってしまって損することはありません。
だから、大切な人には惜しまずに愛を与えましょう。
もしもその愛に相手が気づいて応えてくれたら、その相手からも愛をもらえるというラッキーなことがあるかもしれないし、そうしたら、自分の愛+相手からもらった愛で、あなたのハートは愛で溢れまくっちゃうという素敵な結果もあるのですから。
…ねっ?だから、親友という言葉で相手に保障を求めなくても大丈夫!
密かな片思いで、存分に友達を愛しましょう。
他者への愛は、自分への愛のプレゼンでもあるのですよ
それから、
一方的な友好条約に振り回されて、傷つき疲れた人は…
大変でしたね
友達の幼い心に縋られてしまったのですね。
あなたが友達として誠実に対応してきたのなら、例え相手が拗ねたり怒ったりして絶交宣言されたとしても、それはあなたのせいではありません。
その人が今回の失敗を省みて、成長してくれるといいなぁ…という愛を贈ってあげてください
あなたもにも経験というギフトが与えられたのです。