2月2日、朝5時30分に
愛犬が亡くなりました。
ボストンテリアの女の子、
年齢はまだ8才で、
急性心不全による突然死でした。
 
突然死?
何、それ。
意味が分からない。
何でうちのコが?
さっきまであんなに元気だったのに。
 
この想いがグルグル回って、
荼毘に付しても尚
現実を受け入れることは難しく、
さすがに2週間が経った今は
“本当にいなくなっちゃったんだ…”
と思えるようになりましたが、
それでもまだまだ日に何度も
「何で?」、「会いたい…」
と涙がこぼれます。
突然のお別れ程、
納得がいかず辛いものはありません。
 
今日はここに
愛犬が亡くなった日のことを、
時系列に書こうと思います。
我が家と同様の悲しみに
直面してしまった方のお気持ちに、
少しでも寄り添えるなら、という想いから。

こんな時代ですから、あまりに突然のことに
“そんなことってあるの?”
と思った時に、
ネットで同じ事例を探すんですよね。
でも、ありませんでした。
こんなことで“同士”になるのは
好ましいことではありませんが、でも、
「うちの子だけじゃないんだ」
「気持ちを分かってもらえる人がいる」
と思えるだけで、
針先程度ですが気持ちが救われる。
私はそう思ったので、
ここに書くことにします。
 
 ◆ 


2月1日10時30分

8年間通っているスクールのデイケアへ。いつも通り友達と元気に遊ぶ

 


 



18時20分頃

スクールにお迎え。私の姿を見つけてピョンピョン跳ねて喜ぶ。車内にて、ちょっと元気がない様子。沢山遊んだからかな、8才だし、と済ませて帰宅。



19時10分頃

愛犬のお食事タイム。いつもなら用意をしている時から私の足もとをうろうろするのに来ない。そして準備が出来て「よし!」と言ってもなかなか食べ始めない。こんなことは初めて。それでも完食したので“大丈夫ね”と安心する。


娘と私の夕食スタート。いつもは何かもらえるんじゃないかと期待して私の隣に来る愛犬が来ない。様子を見ると、自分のベッドに横になっている。今日はスクールでよっぽど疲れたのね、と思う。


私達の夕食が終わる頃、愛犬が自分のベッドから移動し、私の足もと近くへ。“ふせ”の体勢でじっとしている。何かがおかしい。娘には分からなかったようだけど、私には愛犬の周りの空気が灰色に澱んで見えた。すぐに娘に夜間救急病院に電話を掛けさせ、私は獣医師に見せる為に、愛犬の様子を動画撮影する(約2分)。


このようにうずくまって動かず。
時折うめき声も。



20時58分

夜間救急病院到着。私は車を置きに行かねばならず、娘と愛犬が先に院内へ。私が院内に入った時には、もう愛犬は処置室の中。娘の話では、看護師さんの指示で愛犬を床に置くと、ふらふらと数歩歩いたらしい。ただ、口元を見て、看護師さんが慌てて愛犬を処置室へ抱いて入って行ったらしい。


診察室に呼ばれ、担当医から「簡潔に申しますと、今、危ない状態です、生死に関わる状態です」と言われる。「今、心臓の状態はこんな状態です」と、担当医が手をぐうに握り震わせる。その明らかに異常な速さに、やっと担当医が言っていることの意味が分かる。

又、歯茎が白濁していて、それは命に危険がある状態を示すとのこと。看護師さんが慌てた理由が分かった。


救急病院には

かかりつけの獣医師による

受診記録(診療明細)を持参しました。

慌てていたので

飼い始めた2015年7月からのものを

ごっそりと束で持参してしまいましたが、

でも今回の担当医はちゃんとその中から

重要なことをいくつか見つけてくれました。



我が家に来て4カ月後、
愛犬の心音にスキップがあることに気付き
心電図をとった所、不整脈がみられました。
ただ、ごく軽いもので治療は必要ないとのことでした


「最期をこの先生に診て頂いて本当に良かった」

と思える獣医師との出会いに、

今も気持ち的に救われています。


薬の投与などの治療の開始。娘と二人、待合室で待つ。心臓の状態は変わらず悪いものの立ち上がり、目もぱっちり、生気を感じられる状態になる。


実際のモニターです


担当医に再び呼ばれる。連れて帰って翌朝かかりつけ医に診てもらうか、このまま1泊入院して翌朝かかりつけ医に行くか、の選択をしなければならない。何かあった時の為に入院を選択。入院中は、愛犬の身体に負担が掛からないぎりぎりの治療(微量の薬の投与など)を行って下さるとのこと。何かあればすぐに連絡しますと言われて、私と娘は帰宅。


入院するかしないかを決めるのは

とても時間が掛かりました。

どちらを選んでも不安要素の山積みです。

決断するまでの間、

ずっと一緒にいて下さった担当医には

心から感謝します。

迷いの中、私が口にする言葉一つ一つを

ちゃんと聞いて、

意見を言って寄り添って下さいました。

又、この時の私の沢山の言葉を

忘れずに頭に留めて下さったおかげで、

結果、愛犬は幸せな最期を迎えられました。


ちなみに夜間救急病院は、

あくまでも夜間の救急病院であり、

後日通院で治療を受けることは出来ません。


2月2日1時28分

担当医から電話。「何かあったわけではないんです、いえ、ある意味あったんですが…」、「○○ちゃんが暴れているので、様子を見に来てくれませんか?その上で、朝まで入院するか帰宅するかを相談しませんか?」


自宅の固定電話が鳴った時、

勿論私も娘も起きていて、

受話器を取るのが怖くてならなかった。


いつどこの獣医さんに行っても

“おりこうさん”しか言われない愛犬が

暴れている?

心電図の管や首に着けられたカラーを

食いちぎっている?

点滴をしようにも狂暴になっていて、

看護師さんも手を焼いている?

そんな話、一つも信じられない。


担当医は電話口でこう続けました。

「先程、○○ちゃんは

△△先生のことが嫌いになってしまった、

と仰ってたじゃないですか」

「もしかしたら○○ちゃんは年を重ねて

好き嫌いがはっきりしてきて、

嫌なことは嫌!と言っているのかな、と」

「だとしたら、ここにずっと居ることが

果たして正解なのか?そう思ったんです」


△△先生とは、

愛犬が我が家に来た時から

お世話になっている、

8年来のお付き合いのベテラン獣医師。

いつも診察後にもらえるおやつが

楽しみだったのに、この1年位、

そもそも△△先生を嫌うようになって、

おやつを口元に持っていっても

真一文字に結んだ口を開けようとしないし、

目も合わせない。


と、そんな話をしたことを

担当医は覚えていてくれて、

愛犬の気持ちを考えてくれたのです。


救急の医療現場ですから、

治療を主とする方針だと思うのですが、

愛犬の気持ちを第一に考えて

「どうするか相談しましょう」

というスタンスで電話を下さったことに

深く深く感謝しています。



3時5分

退院。愛犬、助手席の娘の膝の上に乗って帰宅。途中1度だけ、いつものように首をちょっぴり伸ばして外の景色を見たそうです。


1時28分に担当医から電話を頂き、

2時2分に病院に着いたのは、

今考えれば驚異の速さです。

担当医が処置室にいる愛犬を

動画撮影して見せてくれました。

立ち上がっていました。

睨み付けるような険しい目をしていました。

出して!早く!!

と言っているようでした。


担当医いわく、

「微量の薬の投与で、

ほんのわずかながら心臓の状態が

良くなった気がしないでもない」

「けれども変わらず心臓は良くない状態」

「とはいえ、来た時はぐったりしていたのに、

今はずっと立って、暴れる力がある」。


ちなみに担当医は、

今回の症状の原因を突き止めるべく

様々な要因を消去法で

特定しようとしたそうですが、

該当するものには当たらなかったそうです。

(甲状腺機能低下症の薬の過剰接種や不整脈など)



3時30分頃

帰宅。ケージのあるリビングルームで一夜を明かすことに。私もリビングルームのソファーに横になり、ずっと愛犬を見守る。

一昨年の12月から、

リビングルームのケージ内では

寝なくなった愛犬。

一度はケージ内のベッドに横たわるものの、

後から必ず吠えて

「出して!」と訴えるようになり、

以来、私のベッドで一緒に寝ていました。

けれども今回は身体の負担を考えて、

リビングルームで休んでもらうことに。


なかなか寝ません。

寝ないどころか

部屋中をうろうろ歩き回っています。

横になって休んで欲しいのに…。

体力を消耗させないで欲しいのに…。

心臓の状態は変わらず悪いのだから、

朝、いつもの獣医師に診てもらうまで、

どうか休んでいて欲しい。

でも、それを止めさせてはいけない

神々しい空気が愛犬を包んでいて、

私はじっとその姿を見守っていました。


その時の写真が1枚だけあります。

翌朝、獣医師に見せるつもりで

撮ったものです。



食事台の前にじっと立っています。
他の場所も同じ。
さして広くないリビングルームですが、
ポイント的に訪れては
じっと前を見つめてしばらく立っている。
途中、写真右下のベッドで、
10分間だけ寝ました。
心拍数が高い為に
息も荒いままの帰宅でしたが、
この10分間だけはいつもと同じ寝息で、
このまま朝を迎えられますように…
と、深く深く思いました。

が、またすっくと立ち上がり、
室内のポイント訪問。
一番多く訪れたのは、食事台の前でした。
そして食事台から
脚を一歩横に動かし、
また次は何処に行くのかしら…と思った瞬間、
愛犬がバタッと倒れました。
つまづいたのとは違い、
全身でばたりと倒れました。
「尽きる」という倒れ方でした。
そして全く動きません。
すぐに抱き上げて名前を呼びましたが、
過去に2匹の猫を腕の中で看取った私には、
もうダメなのだと分かりました。
朝の5時30分でした。


5時30分 永眠


愛犬が倒れる姿を

忘れることは出来ません。

ドッグランに行って走れば、

「さすがボストン!速いなあ」

と周囲から言われていた愛犬が、

倒れるはずがない。

何やってるの?ドジったの?

と言いたかったし思いたかった。

けれどもその反面、

「しっかり見送らなきゃ」

という気持ちと。



生後7カ月


その後外が明るくなるまで

愛犬を抱いていましたが、

息を引き取って少ししてから、

大量のオシッコが私の衣服を濡らし、

「本当にもうダメなんだ」

と思いました。


愛犬の名前は「ヴァロ」と言います。

フィンランド語で「光」を意味します。

まさに我が家の光だったヴァロ。

最期は命懸けで、自分の力で

家に戻ってきてくれたんだね。

そしてリビングルームにつまった沢山の思い出を、

ひとつひとつ思い出していたんだね。






その日は愛犬が好きだった場所を、

半日掛けて車で一緒に廻りました。



夜にはスクールの先生も来て下さり、

最後の抱っこをしてもらいました。

「もうアレルギーを気にしなくていいよ」

と、ヴァロが大好きだけど我慢していた

おやつを持って来て下さり、

娘も私も号泣。




様子が変だと気付いてから

半日も経たない時間でのお別れ。

“辛い”の一言では言い表しきれません。


でもそんな中で、

娘が何故だかたまたま会社を早退して

帰宅していたこと。

気持ちに寄り添って下さる

獣医師に出会えたこと。

家に帰って来られたこと。

そして最期は食いしん坊らしく、

食事台の横で息を引き取ったこと。



亡くなる9日前撮影

ちょっとの“良かったこと”は
ヴァロの仕業かな。

8年間、本当にありがとう。
思っていた何万倍も、
私はヴァロから幸せと愛をもらっていました。

救急病院の担当医とは、
昨日も電話で話をしましたが、
やはり特定の原因はなく、
本当に偶発的な心臓障害だったと思うと。
  
愛犬が亡くなって少し経ってから、
中村江里子さんのことを思い出しました。
パリ在住の中村江里子さんは、
我が家と同じくボストンテリアとの
突然のお別れを体験しています。
2年半しか一緒にいられなかったのは
本当にお辛かったと思います。
でも大変失礼ながら、
ああ、ヴァロだけじゃないんだ、
と思ったら、少しだけ何かから解放されたような
そんな気がしました。

私のこのブログも、
同じくどなたかの気持ちを
少しでも変えることができますように。


 って言って、
ひょこんと帰ってきてくれないかな。


二重丸オススメのサイト二重丸

ヴァロとのお別れの後に、
あえて探して見つけたサイトです。
まさに辞典。
犬・猫の症状別に、
簡潔、けれども詳しい解説とアドバイスが
書かれています。