昨日は愛犬が亡くなってから

初めての外出でした。

 

まだまだ涙は絶えないので

酷い顔をしているし、

出掛けたくて出掛けたんじゃない。

ただ、飛蚊症が酷くて、

最高に不幸なことが起きた後は、

またそういうことが

続くんじゃないかと思って眼科へ。

飛蚊症もごく稀に

網膜剥離につながることがあるようなので。

 

うちは完全なる住宅街にあって坂が多いので、

病院へ向かう為に外に出たお昼過ぎでも

まだマンション前には雪が普通に残っていて、

「ああ、こんな日じゃなくて良かったな」

と、愛犬が危篤になった日の夜のことを思い出す。

ガレージから車を外に出す時に急な斜面を上って、

その後は、急な下り坂の私道を下りないと

一般道へ出られない。

あの日の夜は自宅と救急病院を2往復したから、

雪が降り積もる天候だったら、

あんなに迅速に動けなかったと思う。

 

バスに乗って外の景色を見ていると、

やっぱり愛犬のことで頭と胸がいっぱいになる。

バスに乗ってみて気が付いた。

その道は、あの晩、救急病院へ向かったのと同じ道。

 

眼科では、とても丁寧に見て頂き、

結果、現段階では

網膜剥離になる状態にはないとのことで

ホッとした半面、

もしも網膜剥離で手術になっても、

もう愛犬はいないからどうでもいいや、

と投げやりな気持ちにもなる。

愛犬がいたら、入院中のことや

退院後のことを考えなくてはならないから。

そんな、ある意味自由な身になったことに

悲しみを感じる。

 

薬で瞳孔を開かせて検査をした為、

院外へ出たら眩しくて、ものが見えにくくて。

だからタクシーで帰宅。

その道はやはり、あの日

救急病院から自宅へと運転したのと同じ道。

そして愛犬が大好きな葉山からの帰り道でもあって、

高速道路走行中は昼寝を決め込む愛犬は、

下の道におりるとむくっと起き上がって、

R246に入ると外を眺めるのが常だった。

 

病院の後、

視界が悪い状態だったけれど、

寄り道をしようと思えば出来た。

もしくは自宅で休んで、

気晴らしに出掛けることも出来た。

だって愛犬はもういないのだから。

今までは、例えば病院で

思っていた以上に時間が掛かってしまったら、

留守番中の愛犬のことや

帰宅後の散歩のことが気になっていたけれど、

もうその必要がない。

時間は全て私だけのもの。

そんな「自由」に

現実を突きつけられているのが辛い。

 

そして病院から帰宅して玄関を開けて、

リビングルームのいつものあの椅子に

愛犬の姿はない。



 

昔、猫を同時に2匹飼っていて、

それぞれ15歳と16歳まで生きました。

が、2匹とも最期の1年間は

月曜日から土曜日の、朝から夕方まで

点滴の為に通院。

そんな時間があったために、

お別れもきちんと受け入れられた。

けど今回は、愛犬はまだ8歳。

しかも体調が悪くなる2時間前は

スクールで元気に遊んでいたのだから、

全く訳が分からない。

納得いかない。

 

葬儀を済ませたタイミングで、

恐る恐る「犬 突然死」と検索してみた。

けれどもさして関連記事は出てこなかった。

「犬 心室ひっ迫」も同じ。

こんな悲しい愛犬との別れ方が

そうそうあってはならないけれど、

悲しいことに今後似たような状況に

遭ってしまう方の為に、

当日の状況を別の記事で書いて残そうと思います。