ジャニーズ事務所で2番目にデビューしたフォーリーブスの全盛期を、私はまだ小さかったがうっすら覚えている。


しかし、今回調べたら、フォーリーブスの大ヒット曲「ブルドック」は1977年のリリースで、私は12歳、もう中学生になっていた時だったので驚いた。そして、解散は78年。フォーリーブスは大ヒット曲を出した後に解散してたのね。


YouTubeで検索したら、出てきました。何でも出てくるYouTube👍

ピンクレディーの数々の大ヒット曲も作曲していたヒットメーカー都倉俊一さんの作曲でした↓


フォーリーブスのデビューは1968年(昭和43年)で、すぐに人気が出たようなので、アイドルとしての全盛期はやはり、1965年生まれの私が小さかった頃になるのだろう。



↑このYouTubeは1978年の映像で、すでに解散が決まっている時のもののようだ。フォーリーブス自身が冒頭で語っているが、解散する1978年には、最年長北公次27歳(本当は29歳)、最年少おりも政夫25歳、平均年齢26歳。デビューしたのは12年前で平均年齢14歳。冒頭のメンバー挨拶での観客のキャー✨✨✨の歓声は今のジャニオタとホントに変わってない💕


ジャニーさんの恋愛対象は、男性で、きっと中高生くらい、max20歳くらいまでが一番好きなのではなかろうかと、下世話にも私は推察していたら、


フォーリーブスの北公次さんも「光GENJIへ」の中で「ジャニーさんの"男の好み"はあくまでも"個性の強い10代の少年"だった。」(p168)と書いていた。


人の性癖には、遺伝子に依存する先天的なものと、育ってきたバックグラウンド(経験と環境)によるものがあり、決して他人が良し悪しを裁けるものではない。性的被害に合った人だけが、相手を訴えることができるものだろう。性癖や性の嗜好と性的加害は全く別のものだ。たとえ、"いわゆるノーマルな性癖"であっても、性的加害者には充分になり得るのだ。


フォーリーブスの平均年齢が14歳だった1966年、1931年生まれのジャニーさんは35歳。ジャニーさん、若ーい✨。まだ、性欲ムンムンなお年頃でしたね❤️ 。そんな若い時に、好みのタイプと、しかも主従関係にある相手と、性欲を抑えてフラットに仕事するのって大変そうだなぁ😅。性欲に負けまくってきた私には、できる気がしません🙏


さてさて、

私は爆笑問題の田中さんと同学年。ザ・ベストテンど真ん中世代だ。私達が中1の1月にザ・ベストテンが始まった。


ピンクレディの「ウォンテッド」も中1の時。

白と黒のミニスカートの衣装を着たピンクレディ、マジでかっこよかった💖。

作詞: 阿久悠 作曲: 都倉俊一  わーお😍


ダンスなんてしそうにないお嬢様タイプの大人しそうな同級生が、「ウォンテッド」の初テレビ披露の翌日に突然教室で「ウォンテッド」の難しいフリを完コピしてビックリしたからハッキリと中1の時だと覚えているのだ。あのお嬢様は中1の時だけ同じクラスだった。まだビデオデッキなんて、普通のうちには無い時代で、そのお嬢様はテレビで一回見ただけで覚えたと言っていた。驚愕した。今にして思えば、彼女はやはりダンスの天才だったのか、お嬢様なので本当は家にビデオデッキがあったけれど奥ゆかしく秘密にしていたのか。


1977年はビデオデッキが売り出されたばかりで一台30万円もしたらしく、普通の家庭にあるわけないし、ビデオデッキの存在すら普通の人は知らない時代。ビデオデッキが普及するのは1980年代以降、エロビデオ(AV)が出てきてそれを見たいがために多くの人が高額なビデオデッキを買ったからだと思われる。人間の三大欲求って本当に素晴らしい✨。Netflixの「全裸監督」の時代背景も1980年代、村西とおる監督/黒木香主演の「SMっぽいの好き」は1986年の作品だ。ちなみに今、ググって分かったのだが、黒木香さんも1965年の早生まれで、私と爆笑問題の田中さんと同学年でした。笑笑


と、いつものように、どんどん話が逸れてしまったなと思っていたら、なんと!


北公次さんが「光GENJIへ」を書いたのは、村西とおる監督に依頼されたからだった!!!🤣👍


ブログを下書きした後に、Amazonで届いた「光GENJIへ」を読んだら、一番最後に

- 村西監督の誘い

- 村西とおるとの出会い

- ふんぎりがついた

- 出版の決意


とあることでジャニーズ事務所と喧嘩になった村西とおる監督が北公次さんを探し出したことにより、この本が書かれたとあった。びっくり😱。


どおりで、性描写が上手いと思った🤣。


そして、北公次さんは最後に書いている。


あまりに素晴らしいので、長いが引用させてもらうことにした。p232〜233


「一人の男の嘘偽りのない生き方を洗いざらい書いてみた。この本を出すことによって過去の北公次ときっぱり決別する。そして新たな北公次として生まれ変わるのだ。


きれいごとしか書かれてこなかった今までの芸能界に、この本は在りのままの芸能界を開いて見せたはずだ。


そして、今もこの世界に飛び込もうとしている若者たちは、この世界の特殊な一段面を見て、何を感じるだろうか。歓声とカクテル光線と色とりどりのテープに埋もれたステージの裏側で行われている欲望の数々。


ジャニーズ事務所を抜けていったアイドルたちの末路は悲しい。今活躍中のおれの後輩たちよ、けっしておれのような不器用な生き方をするんじゃない、浮かれているのはステージにいる時だけでいい。しっかりと自分の足元を見つめ、なによりもまず自分の未来のことをしっかり見つめるんだ。人気のあるうちはプロダクションもおためごかし、だがアイドルから転がり落ちても誰も何もしてはくれないのだ。


少年愛にとりつかれた男が経営するジャニーズ事務所にいるアイドルたちよ、おれの二の舞にだけはなってくれるな。


解散していったシブがき隊、全盛を誇るヒガシ、そして少年隊、男闘呼組、そして光GENJIよ!


北公次は今一度復活する。」


この本の発行は1988年12月1日

昭和が終わるひと月ほど前のことだったんだな。


結局、光GENJIは北公次さんが警告したとおりになったのかもしれない。でも、ヒガシくんは、そうはならなかった。2022年の夏に男闘呼組はテレビで復活した。


北公次さんが体験し、稼ぎ出したお金がジャニーズ事務所を豊かにし、それが今につながっていることは間違いない。


過去はどうあれ、今、

北公次さんも願っていたように、

ジャニーズ事務所のデビュー組もジュニアも幸せであれ🌈と願う🙏。


「北公次は今一度復活する。」と書かれた通り、フォーリーブスは2002年に再結成され2009年まで活動した。2009年にメンバーの青山孝さんが亡くなり、北公次さんも肝臓がんで2012年に63歳で亡くなった。


北公次さんは亡くなる前日に公式サイトにメッセージを載せ、ファンやお世話になった方への感謝と共に、最後に

「ジャニーさん メリーさん ありがとうございました 感謝しています」と書いている。




ザ・ジャニーズですよね💕。ちなみに北公次さんは黄色のカーディガンです。↑


これもいいなぁ。こちらは左下の紫のシャツが北公次さん。赤いシャツの江木俊夫さん、川崎皇輝くんに似てる💕。↓