今日も一日お疲れ様でした。
先日受講した中村文昭講師のセミナーは、
※ブログ
http://ameblo.jp/madam-mituko/entry-11944211308.html
本当に素晴らしく、心に残ることが多かった
のですが、今日はその中から、
特に印象に残った伊勢神宮の参拝者のお話を
お伝えしたいと思います。
宜しかったらおつきあい下さいませね。
彼は三重県出身なので、伊勢神宮には、既に
何十回も足を運んでいるとのことですが、
何度も訪れる中、とても興味深いことに気が付
いたというのですね。
12月31日の午前0時までに訪れる人は、お礼参り
と言って、今年一年が無事過ごせた事に対し、
「ありがとうございました]
「おかげさまです」
と、神様に感謝をする人々だそうで、
想いが、自分に対してではなく、
自分以外の他に向いていて、
何だかとてもキラキラ しているように見える。
一方、午前0時過ぎの参拝者は、お願い事が多く、
想いが全て、
自分の方にばかり向いているようで、
何だかとても、ギラギラとしているように見える
というのですね。
う~ん・・なるほどなあ
と、とても印象深いお話。
かくいう私も、つい数年前までは、神棚の前では
お願いごとばかりをしていました。
それがいつの頃からか、
「感謝いたします」
「ありがとうございます」
に変わったのです。
私の座右の銘は
「蒔かぬ種は生えぬ」
でした。
建築営業の業界で、ある意味、土を耕し、水を
やって、毎日手入れを欠かさずにやっている
のに、
小さな芽が芽吹き、若葉がつき、やがて
つぼみが膨らんできても、
未だ芽吹いただけ、まだ若葉が付いただけ、
まだつぼみが膨らんだだけ
と・・・
喜びは一瞬で、その時折々にして消えて
しまう。
そう・・。
花が咲かないうちは、神棚の前では、いつも
「お願い事」なのですね。
そして、
花が咲いても、実がならないうちは、未だ
「お願い事」 のままなのです。
実が熟したのを確認しないと、
「感謝の言葉」 を言えないのですね。
( ほんとうに、不甲斐ない・・)
種を蒔いて、手入れをすれば、お願い事など
しなくとも、ちゃ~んと花が咲き、実は熟す。
これこそが、神様が与えてくれた大事
「ありがたいなあ」