勉強のこと | マイヒーリングノート

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気持ちをクリアに、穏やかにするために、自分に送る、ヒーリングノート


連休は夫の体調不良で遠出できずでしたが、
かえってそれが良かったようで、
落ち着いた日々を過ごせました!
申し込んだ選考試験、私自身の選考は問題なかったのですが、
諸事情により今年度は開催できないかもという連絡があって心配していました。

友達が、開講できるように祈ってくれました。
無事開講の運びとなりました。
お祈りが届いたのかもしれません。

先生の先生は
大学の神学科で牧師を目指していたそうで、
ラテン語で聖書を読める人だったそうです。
知らなかったです。
家族はクリスチャンではなかったそうです。
なぜ若くして牧師になろうとした時期があったのだろうと興味が湧きました。

先生からの言葉で印象に残ったことがあります。

清濁飲み合わせるということは
限りなく濁に近づくということ

これは先生の先生の言葉だそうです。
思わず、へぇぇぇと、ため息が出てしまいました。
聖職者ならば考えそうなことだなぁと思いました。

習い事だと思って続けてください
と言われたのですが、
深い意味のある表現のように感じます。
一朝一夕には習得できない、
例えば楽器の練習みたいに、
毎日数十分を何年も続ければ
気づかないうちにできるようになるような。
常に学んでいるという意識でいなさいということかもしれないし。

とても考えさせられて
何冊か本を読むことにしました。
今まで、一冊だけ集中して読んでいましたが、
何冊かを並行して少しずつ読むことにしました。
先生の先生のそのまた先生の時代に、
どのように勉強していたかが少しだけネットに載っていました。
古典原文を読むことが日課だったそうです。
古典は難しいです。いくら学者でも、
読めても1日では数ページだったのではないかと。
古典の文献の勉強だけしていたわけではなく、
いろんなことをしながら少しずつ読んでいたのだと思います。
まさに習い事という表現がぴったりかもしれません。
いつのまにか自分はそういう勉強の仕方をしていなかったと気付かされました。

テストを通るということと、
勉強をするということはまた少し別物。
共通する点もありますが。
わかっていても、じゃぁ何をどうすることが勉強なのか、ピンとこない。
図書館に行って本を借りても読む気があまり起きなくて。

1500年代の医師、曲直瀬道三は
イエズス会の司祭を診療したのがきっかけで、
77歳で洗礼を受けたそうです。
曲直瀬道三が晩年キリシタンであったことは知りませんでした。
洗礼後数年で禁教になったはずで、
その後信仰を放棄したのかなど詳しいことは私にはわかりません。
イエズス会の記録では、
当時、秀吉が洗礼を受けた事よりも
曲直瀬道三が洗礼を受けた方が、
日本社会に与えた影響は大きかったのではないかと書かれているそうです。
偉人である、ということは何度も習ったのですが、
今まであまり興味がありませんでした。
でも思いがけず、先生の講義は先生の先生を通してこの曲直瀬道三からつながっていると強く感じ、
ものすごく興味が湧きました。
先生の先生が牧師になりたいと思ったのは、
曲直瀬道三の影響もあったのではないかとか。
しばらく、曲直瀬道三について調べることにしました。

今日も良いことがたくさんありますように!