は~い、魔導師マダム・ミドリーヌよん
「信じる」
と言うことを考える時に、いつも思い出すのは言語学者、金田一秀穂先生のお父様の金田一春彦先生の話し。
金田一春彦先生・・・昭和生まれで小中高を通ってきた私は金田一春彦先生の監修した国語辞書には大変お世話になった。
私が国語辞書が大好きだったのは金田一春彦先生のおかげといっても過言ではない。(半分オーバーだけど半分は本当)
金田一秀穂先生は一時ニートで引きこもりだった時期があり、仕事もせんと本ばかり読んでいたそうですよ。
息子の将来を案じたお母さまが「あなたから秀穂に言い聞かせてやってください」と言われた春彦先生は
奥様に向かって一言
「秀穂なら大丈夫だ」
と仰ったそうなのです。
この話をTVで秀穂先生から聞いた時、絶壁から突き落とされたようなショックを受けましたのを今でも覚えている。
信じるとはそう言う事か・・・・・・と
何があっても相手を信じ切るとはそう言う事か・・・・・と
相手を信じ切ると言うことは自分自身も信じ切ると言うことだと言うことを
当時、やはりニートだった上の娘のこと、発達障害で先生から呼び出しをよく喰らっていた下の娘の事で悩んでいた私は
自分が娘達を信じ切ってなかったこと、そして自分が自分自身を信じていなかったことに愕然とした。
相手のことを心配してるのは本当は相手のことを思っての事じゃない。
相手を信じ切れない自分自身を心配してるだけなんだよ。
信じると言うことはとても難しい。
何の疑いもなく信じきれたらそれは何よりも強い。
相手を信じるんじゃない。
相手を信じる自分を信じるんだ。