こんにちは。


ルマンドアイス美味だった!

椎名ゆきのです。








2023/11/19


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今日の答え(現時点での私感) 
>>>「子どもを否定すること」ではなく
   「子どもを否定する自分」を許す。

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ダイヤ=何をするかは関係ない、
存在そのものが素晴らしい

は理解できたけど、
「母親はダイヤモンドと即答できる」
には到達できずにいる私。







母だけダイヤモンドって
(私に)認められるなんてズルイ!
私の自尊心ボコボコにしたのに
存在していいなんて許せない!






そんな風に思ってた。
てことは発散が足りないんだなって思った。


発散すればスッキリするけど、
「母親はダイヤモンドって即答」
には至らなかった。







母に対して許せないことは、
私の自尊心を潰したこと。
=私への子育てができてなかったこと



 
これ、私自身が子育て
全然上手くできてないのを許せないのと
一緒だなって思った。



親が子どもを「子ども」として
寄り添うことができなくて、
同じ土俵に立ってマウント取り合ったり、
子どもに否定を浴びせたりするのって、
どう考えてもいけないことだよね?


それを許す、そんな自分を認める
ってことができなかった。
だってどう考えてもいけないことだから。

やめなくちゃいけないし、
変えなくちゃいけない。





だからずっと、
子どもにイライラする自分を
変えようと頑張ってきた。

イライラする度に自分を否定して、
子どもへの一言一言に、
(これって正解かな…)と
不安に襲われるようになった。





でも、自分を変えようとするってことは、
自分を認めるとは真逆な行為。



確かに、
「子どもを否定すること」
はいけないことだ。

それを認めるなんて、
「子どもを否定してもいい」
ってことになるんじゃ?って思ってた。







でも「失敗」という概念がある。



もちろん、「失敗」も私の中では
ダメなことって価値観だったけど、
本来、「失敗」は誰にでもあるものだ。

失敗せずに過ごせる人は、
「何もしない」人だけだ。





じゃあ、

「子どもを否定したこと」は
「失敗」しただけなんじゃないか。




母が私の心を育てられなかったのは、
ただ「失敗した(そもそもできなかった)だけ」だったんじゃないか。



母は、

親がネグレクト気味(からの過干渉)で、
心を育てられなかった。
だから、子どもの育て方なんて
知るはずもない。

その母に育てられた私も同様だ。









「子どもを否定すること」は、
ダメなことだ。


だけど、


「子どもを否定したこと」は、失敗だ。





そんな自分を認めることは、
=「子どもを否定していい」ではなくて、
「それが自分」ってことだ。


「子どもを否定してしまうのが自分」
ってことだ。





そこだけ切り取ると
めちゃくちゃ落ち込むし
絶対認めたくないけど、


そんな自分になったのには、

「心を育てられずに大人になって、
自分も子育ての仕方が、
子どもの肯定の仕方が分からなかった、
子どもを肯定するだけの心を
育てられなかった」

っていう背景がある。



だとしたら、
子どもを否定してしまうって妥当だよね。
誰も悪くない。






「子どもを否定すること」ではなく
「子どもを否定する自分」を許す。



どこまで行っても、
出来事と自分の価値は関係ない。

出来事と自分を切り離す。










長くなったけど、
現実・自分を認める期!




息子を否定した時、






(はぁ…落ち込むけどまぁそれが妥当だよね。)


(これが私ってことだよね…現時点では。)







って、自分を認める作業をしてるよ!

子どもにイライラするのが自分なんだ
って認められたら、 
じゃあどうするかって対策が立てられるよね!



結果、イライラすることが減っていく
って仕組みなんじゃないかな~!







椎名ゆきの



ナリ心理学〈ダイヤモンドを思い出す〉


かわいそうな母親庇いまくり系魂が抜ける

地獄のデスロードをひた走る

ライオンタイプが

ダイヤを思い出すまでの過程を

記しているだけのブログです!


まだまだ全然途中なので、

温かく見守っていただければ!何卒!笑