1社目はレストラン店員が主な仕事だった。
私は全然違う職種につく予定だったんだが
長年働いていた学生バイトが卒業と同時にやめてったので後釜に。
人手不足とはいえ、バイトの後釜に正社員は笑いますわ〜
やりたいことがあって、それ目当てで給料も休みも勤務地も希望殺してやってきたのに
これはなかったんです、自分的に。
で人間関係もクソ、何が楽しくて働けるの?
私には何もなかったんだよ。メリットが。
辞める時はここでも書いたけど
適応障害の診断書を心療内科で書いてもらって
社長と社長の奥さん別室に呼んで渡して辞めますと、言ったんだ。
で、まあすぐ奥さんの妹でもある店長には話が行くよね。
店長は、「お姉さんにやっぱりやめるのをやめるって言ったら?」とか言ってきて、
私も自分で決めたわけじゃなかったから心が揺らいでいたんだがねw
家族経営だからそこら辺はどうにかなりそうだし、
本当に心揺らいだんだけど、店長とその日の最後に「辞めないって言うのよ」「わかった」
って別れて、社長の奥さんに言おうとしたけど奥さんは私の顔を見るとすぐに嫌味を言う人だから、
やっぱりやめようってなって「やめるをやめる」を言わなかったから
その日か次の日くらいに店長から怒りの電話がかかってきて、
「なんで辞めないって言わなかったの??」
ってなって、色々そこら辺でもめて、また癇癪(というかヒステリーだね)起こしてきたから
最後私泣きながら「やっぱり辞めます」
って言って電話切ってやって、「辞める」を決意ができたんだった。
それでも当時律儀だったから突然辞めるのはやめて、1ヶ月頑張ったんだよ。
辞めるのって1ヶ月前に言わなきゃいけないのが礼儀だと思っていたから。
今思えば、バイトもしたことない温室育ちが、よくここまで頑張ったと思うし、
それからよくまた、就職を諦めなかったと思うよ。(そして若者を餌食にする会社=2社目に引っかかったんだがね。)
最近やってるドラマの「コントが始まる」の長浜さんみたくかっこいい感じでやめてはないけど、
「また歩み出そうとしてえらい」って言われて自分も嬉しくなったw
そうだ、
あの頃はあれが精一杯だった。
あんなことがあった✖️2だけど、また就活しようって思っている今が素晴らしい、という結論に至った。
運よくいい会社に入れた人は立て続けに辞める人の気持ちなんて分からないだろう。
かつ自分は何もできんのに歳ばっかとって、ワガママにもなったんだから、
なかなか決まらんのもしょうがないな、どうにもならんとこまで諦めず頑張るよ。
結論:当時は自分を生きられなかったからしょうがないけど、
これからは自分で考え抜いて生きていこう。リハビリ中〜。
追記
診断書書いてくれた先生に店長のヒステリーを録音したものを聴かせたら、
これは誰でも嫌だわって言って、速攻書いてくれたよw
でも私、辞めるために診察行ったんじゃなくて、ADHDの診断をして欲しくて行ったんだけどね。
で、それもらったら母親が「これ出して辞めるんだよ」
って言ってきて。
自分は、続けるつもりだったけど、その時はそういうものだと思って素直に聞いちゃった。
で、まあ、ここでも書いてるけど、その夜疑問に思って、
「辞めるまでは行かなくてもいいんじゃない?これ出して、できない私を許してもらうまでで、辞めるのは違う気がする」
と思ったから、母親にLINEしたが脅されたから辞めることに。
個人的にはね〜ADHDって診断降りれば、できなくても怒鳴られないかな、と思ったし
薬飲めばちょっとはマシに働けると思ったから病院予約したんだけどね。
だからほんと、自分でもよくわからんうちに辞めちゃった。
そっか。頭悪い。今気づいた。そういえば辞めるために行ったんじゃなかったこと、6年たった今気づいたわ。
これが違和感の正体か〜。
どおりで自分でも気づかんうちに辞めてたわけだ。
あの頃、ちょっと鬱も入ってたと思うから(例:部屋が全く片付けられなくなってた)
思い出したくなかったし、気づけないのもちょっとしょうがなかったのかな。
もっと言い訳いうと大好きな祖母が末期癌が見つかった時期で余命1ヶ月くらい(病院行くために母に会った時聞いた)だったり
13連勤したあと慣れない車の運転だったから人身事故起こしちゃったりもあったんだ。
2015~2016年は地獄だったからしょうがなかったな。
あの時よりは心が復活したしそういう重要なとこ忘れてるからあれこれ言えるんじゃないかな。
今度コンサータを使うから、うまい具合に効きますように。