「勇ましい武士、軟弱な貴族」というイメージを持っていませんか?
「平家は貴族化したから弱体化した」
「今川義元は公家に被れていたから弱かった」
貴族が政治の主権を握っていた時代に遡れば、

「平安時代の王朝貴族は暴力沙汰に及ぶ事はなく、和歌を詠んだりしながら平和な都で暮らしていた」
なんとなくそんなイメージが氾濫しています。

しかし、そのイメージは後世に作られた虚像なのです。
『殴り合う貴族たち』はそのイメージを木っ端みじんに粉砕し、

平安貴族の凶暴な実態を藤原道長と同時代の王朝貴族で「賢人右府」と呼ばれた

藤原実資の日記『小右記』を中心とした当時の記録を基に引きずりだそうというものです。

本書は当時の大ヒット小説『源氏物語』の主人公「光源氏」と、

そのモデルになったとされる実在した貴公子を比較して
「光源氏」が「暴力沙汰を起こさない」という一点だけでも理想化された貴公子であると説明しています。
言い換えれば、当時の貴族にとって暴力沙汰は当たり前だったということです。
『源氏物語』の『車争い』に出てくるような出来事が史実の貴族社会では日常茶飯事だったのです。

彼らは天皇の御前であろうと暴行に及び、
天皇経験者や皇子であっても従者に他の貴族に危害を加えるなどの所業にんだことが描かれています。

中でも公的身分だけなら実在した光源氏と言ってもいい(天皇の皇子に生まれながら即位できず、それでいて大上天皇の身分を得た)敦明親王と、藤原道長の子・能信の起こす事件の数々は圧巻です。

かと思えば、敦明親王には親兄弟に対する情の厚い一面も見られ、さらには彼が廃太子させられた張本人である道長の子である能信の名がしれっと「親王の執事」として登場するという意外性にも驚かされます。

 

武士の棟梁と呼ばれる桓武平氏や清和源氏の祖である平高望(桓武天皇の孫、あるいは曾孫)や
源経基(清和天皇、あるいは陽成天皇の孫)が天皇の子孫という貴族の出身ですが、
暴力事件の常習犯であった王朝貴族から高望・経基のように武芸に特化した者が出てきても

不思議ではないと感じさせるには十分です。

 

こうした風潮が武士の世の中になっても続き、

室町時代には喧嘩両成敗という法律が誕生するほど暴力沙汰が日常にあったのです。