認定心理士とは
認定心理士は「日本心理学会」が心理学に関する標準的な基礎知識と基礎技術を
正規の過程において修得していることを認定する資格です
 
認定心理士の資格を取得するためには 
大学を卒業し学士の学位を取得 + 大学で所定の36単位以上を修得 が必要
 私は 放送大学で学士を取っているので これから36単位の修得をめざします
そして 2019年3月までに申請をするので 旧基準での申請をめざし単位を修得する
基礎科目 a領域:心理学概論   4単位以上
       b領域:心理学研究法 4単位以上
       c領域:心理学実験    3単位以上
選択科目 d領域:知覚・学習心理学 
       e領域:生理・比較心理学
       f領域:教育・発達心理学
       g領域:臨床・人格心理学
       h領域:社会・産業心理学  5領域のうち3領域以上で4単位以上
 合計 36単位以上の修得が必要 
 
まずは入学金24000円を払って 全科履修生として「心理と教育コース」に入学
今学期は ①心理と教育を学ぶために ②心理学概論 ③認知心理学 ④錯覚の科学 
       ⑤認知行動療法 ⑥発達科学の先人たち  の6科目 10単位を修得予定! 
       ・面接授業を1単位受講予定
これくらいを手始めに 順調にいけば来学期はもう少し増やせそうか
では はじめましょう !!
看護学士を取得してから 3年がたちました
早いもので あの頃新人だった人達が 中堅として働いています
周りはドンドン成長しているのに 自分はドンドン老いがすすみます
最近入院してくる患者の家族が一生懸命で 看護師の間で
何かと話題になる人が増えています
『気になったら夜中であろうと時間など気にせず電話してくる家族』『こうして欲しいと 要求ばかりを言ってくる家族』『普通に入院しているのに「顔を見に来た」と夜中に来院する家族』などなど
マザコン?自己中心? 心配なのは分かるけど そこまでやる?
どういう感覚しているのか? パーソナリティ障害?
気にはなるけど  なかなか結論までには至らない
去年も一昨年も 達成感がなく「何か足りない」と感じていました
 
先日新聞の折り込みで 放送大学のチラシをみました
気になって放送大学のサイトで学生番号を入れてみると まだ自分の情報が入っていました
何か『ピーン』というものを感じて 再入学を調べていました
 
ということで 4月から放送大学に再入学して 心理学を学びます
そして2年で認定心理士をめざし 3つめの学位をとります
 
5年前とは明らかに熱意と根性がなくなり 老眼で活字が辛いです
でも 何かに集中している方が楽しいですね!
この時期 どうしようか迷っているあなた! 
一緒に勉強しよう!
20年前の今日起こったこと その2

午後からは2階で人手がほしいと言われ上がる
そこは小児科外来とリハビリのスペース
床に段ボールを敷いて毛布にくるまれ 廊下の換気扇から風が入り寒い場所に
ところ狭しと人が横たわっている
頭もとにレントゲン袋とカルテの紙 まるで「野戦病棟」
小児科部分は本棚が倒れたままで 散乱したものを踏みつけながら仕事をしている
まず散乱している物を片付け レントゲン袋とカルテを回収して 
患者が横たわっている場所に名前をつけ 病棟マップを作成した
毎日日替わりでくるスタッフ 夜勤は大阪のスタッフが担当して
地域の職員がいない 外人部隊の病棟を支えてくれた
医師は内科医が中心に 専門科医が来たら病気がわかり どんどん大阪に送った
バスの救急車やヘリコプターなど各方面の連携プレーがすごい
家族を捜しに来る人も多く 退院した人 転院した人など貼りだすようにした 
余震も多く揺れると病院がミシミシと音がする 
壁の亀裂から外が見えるところもあり 途中で立ち入り禁止にする所もあった
携帯電話も普及していずTVやラジオもないが 近くの公衆電話が使えたので
大きな余震があると 自宅に電話してTVのテロップを見てもらった

電気は通っていず検査も限定 エレベーターも動かず担架部隊が頑張る
トイレも水がでず 近くの川から水をくんで 用が終わるとバケツで流すトイレ部隊 
薬剤師も全国から送られる薬と 全国から来る医師のオーダーで てんてこ舞い
患者さんには弁当が3食あたるが 自分たちカロリーメイト中心で 
階段の踊場で仮眠をとるだけでずーっと病棟いる感じ 
でも看護師さんはすごい! どんなときでも原点に戻れるんだー
どこから持ってきたのか お湯とタオルで患者を拭きだした

どこも大変 でも支援は帰れば通常の生活がある
現地の人は震災から家に帰っていない人もいる 親が亡くなっても働き続ける医師もいた
最終日に外来機能が戻りつつあり 外来にいる患者を東2階に移すことになる
また満床になった

午後からホッカイロと血圧計を持って地域に出てみる
国道2号から山側は 外見は痛んでいないが中がグチャグチャで住めずに
公園でテント生活をしている人も多い
海側は 土壁でペッチャンコに潰れており 戦後の焼け野原を感じさせる光景
貧富の差が命の差になることを感じた 
その中に1日半後に救出された90歳代の患者の家もあったが 屋根の部分しか残っていず よく外傷もなく救出されたと 奇跡を感じてしまう
近くにある小学校に向かう途中の公園に 自衛隊のテントが沢山あった
中には食料が沢山積まれている
避難所に行くと食べ物 水がない状態 一家4人で朝から菓子2個とバナナ1本だけ
さっきの食べ物はどこに? 初めての大災害で どこも指令系統が崩壊!
しかし これを教訓にされ その後に起きた災害時には活かされていく

病院に戻り これから大阪でお腹一杯ご飯を食べてお風呂に入って帰る 
そして通常の生活に戻る しかし現地の人たちは今の生活が続く 
これからも数ヶ月数年 いつになったら通常になるのか


こんな感じで話してみた 
やはり 東日本大震災の津波の印象が強く 阪神の印象は弱い
東日本は 津波と放射線のダブルパンチで 復旧にも時間がかかっているので
阪神の風化が早いように感じたが 自分たちぐらいは風化させないようにしないと