前回のことから、父との関係を深掘りして思い返してみていました。
父との関係って、自分の社会性やお金の関係と深く関係しているっていいますよね。もしも、なんとなくうまくいってない、もっとうまくいきたい人は思い返してみるといいかもしれません。
まず、自分で引っかかっていたのが、前回も表現したのだけど、嫌だったこと、とか事象は思い出せるけど、その時の感情が思い出せないんですよね。それが一番問題だなと感じました。父のことも責めてないし、自分に対しての感情もない。。
思い出したことをツラツラと。
夏休みの宿題は学校から出たもの以上を父が決めて宿題として提出した。
父が決めた絵の題材である繁華街の絵を描くために車どうりの少ない早朝から絵を何度も描いた。
習字の練習を夜中3時頃までした。
テレビを見せてもらえなかった。テレビは悪だったため、家にない時が数年があった。
小学3年生で小学5年生の算数をすることを父が決めた。
夏休みの宿題でクラスの子の家を地図にするという課題を父が決め、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋だった私を連れて1人で一軒一軒挨拶して回った。
ランドセルの色が黒になりかけた。(習字道具は黒だった…)
などなど。
最後のランドセルとか本当女子なのに、なぜ黒に?!みたいなかんじなんだけど、武士の様に育てたかったんですよね、父は。
事実を書いてみると、まぁ普通の教育パパですね。(手をあげるとか、他にも色々ありますが。今回は、社会と自分の繋がりか何となくマッチしていない気がしたので、社会を通してみる父と私の繋がりの事実を書いてみました。←ここが目的!!)
私がここまで子供のためにできるだろうか?というと、できないから、彼なりの愛情はモリモリだったんだなと、かなりハッとしました。
これでも、感情は…あんまり思い出せず。
父のことは、
嫌なんだけど。
嫌なんだけど。
それとはなんとなく違う感じ…
それ以上に何か感じることがある…
むしろ。
習字とか絵とか。
父の指導のもとしたものは、意外と賞がとれず。それがショックだった…
…そう。
それがショックだった!!!
父の書いた字とか芸術っぽくて好きだったし、絵も父の言いたい趣旨のことは私の好みだった。(今思えば。)
それが普通の社会である学校では認められなくて。それが悲しかった。
父のやり方が嫌いとかではなく。
それが認められなかったことが悲しかった。
なんで理解されないの?!!って。
父を理解してよ!ってどこかで思ってたのかなぁ。
そう思ってたら。思い返せば、父の好きなやり方(とにかくひたすらやる、とか、厳しい方法を選択する、とか)で、学校や社会で表現して、結果認められないということを繰り返してるかもしれないと思って。
私は本当にやりたい方法は父のやり方なのか?と問いてみると、それは違う!!と断固言えたのでした。そこは、私らしいやり方がいい!と一瞬で答えれた。
そこから派生して思ったのが。
私一年ほど前にチャネリングしてもらった時に言われたことがあって。前世父は私のことをネグレクト状態でほぼ放置していたとかとか。あんまりピンとこなかったんだけど、今フト思い出して。ネグレクトも教育パパも、根本は親の価値観の世界で生きるってことには変わりないなぁと思った。やり方や世界を無言で影響を与えるか、言葉やカラダで影響を与えるか。ネグレクトの方がめちゃくちゃダメージは大きいと思うけど、フト思った次第です。
そして社会に認められないとか、結果私はどうしたいのか?ひとつ答えが出て。
私が認められるとかより、なにかを成し遂げる仲間が欲しい。私のやり方を突き詰めて、結果、誰かと出会いたい。目標を達成するために楽しく日々過ごす仲間に出会いたい。
父の昭和の感じ、センス。
私は意外と愛していました。
父の影響から、アナログのカメラも好きだし、レコードも好き、ラジオも好きだし。
父からも盛りだくさん愛情を受けてました。
やり方はかなりクセがあるけど。
もうこれからは、私のやり方でいい。
そして、私の好きものをちゃんと見つけれる。
ありがとう。
そして、新しい私で世界の好きに出会おう。
そして、仲間に会うという目標を掲げよう。
それから。
また大きな気づきに出会いました。
ようやくたどり着いた答えです。
なぜ感情が感じれないのか?
分からないのか?
本当の私は何を感じていたのか?
ひとつたどり着きました。
また続きます。