「『ひきこもり・不登校の理解と支援』 講演会レポート」その2となっています。
文章量が多くなっていますので、お時間のありますときに、じっくりとご覧になってみてください。
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3 親や周りに心がけてほしいこと
【吉川】
子どもが不登校や引きこもりになり始めたときの対応についてですが、両親に怒られるという事は本人にとってきっとツライことだと思います。
本人は、学校や社会に疲れたり、心に傷を負って「ひきこもりと」いう状態、つまり「身を守る状態」に入っています。ですから、まずは“今まで大変だったね”とか、“家で少し休んだら”と暖かい言葉をかけてもらえると、うれしいと思います。
逆に子どもがひきこもったしまった時に、叱ったり怒ってしまうと一般的にひきこもりが長引く傾
向にあるみたいですので、そこが「別れ道」と言ってよいほど大事なところなのだと思います。
【野村】
ありがとうございます。今、吉川さんがお話したことは、私どもが毎月開催している例会でも、繰り返し出される話題で、親がこのあたりのことをクリアできると、親子関係が良くなっていくことを私も実感していますので、ちょっとお話させていただきます。
吉川さんが『叱ったり怒ったりするのではなく、まずは“今まで大変だったね”とか、“家で少し休んだら”と暖かい言葉をかけてほしい』とお話しましたが、私もこれが一番大切なことで、これができない限り、親子関係の修復は難しいと考えています。
わが家の場合は、長女の中学4年目のとき、妻が「どうもこれは変だ。自分たちのやり方が間違っていたのではないだろうか」と気がついて、不登校についていろいろ勉強をし、無理に学校に戻そうとしたことで長女をおかしくしてしまったことを知って方針を変えましたので、娘と母親との関係は回復していきますが、私はなかなか気持ちの切り替えができませんでした。
「アンダンテ」に登場するヒロインの父親もそうですが、これは一般的によくあるパターンで、父親は「そんなことで世の中は通用しない」「もっと強くならならいとダメだ」といった意識からなかなか抜けられないのです。
しかし、妻からずいぶん説教され、長女のいよいよ辛そうな状態を目の前にして、いろいろ考えてみましたら、長女を必死になって学校に行かそうとしたのは、私は「長女のため」と考えたつもりですが、実は「高校に行けないと困る」という親の気持ちであることに気がついていったわけです。
そこから「でも、まてよ?本当に高校に行かなければ、この子の人生は無いのだろうか?」という気持ちにだんだん変わっていきましたが、このときの解放感は、今でも本当にはっきり覚えていて、本当に気持ちがすっと楽になっていきました。
自分の気持ちが楽になると、自然に子どもとやさしく接することができるようになるもので、そこでやっと「たいへんだったね。学校はゆっくり休んで、これからのことは元気になったら一緒に考えよう」と言えるようになったわけです。そこから長女とのコミュニケーションも回復し、長女はだんだん元気になっていって、そのうち、アルバイト先で知り合った青年とさっさと結婚してしまい、今は札幌で、一番上が中学3年に女の子と、小5と小2の男の子の3人の子育てに奮闘中です。
次女については時間がありませんので、詳しいことは省略しますが、要するに長女とは全く反対の対応をしました。つまり、不登校を始めたときから、「たいへんだったね。ゆっくり休もう」と言えたわけです。
次女は今年26歳ですが、小学4年生の1学期が始まって間もなく不登校になります。原因はよく分からないのですが、ともかく学校に行くのが辛くなったのは間違いないわけで、朝になると姉のときと同じように「あそこが痛い、ここが痛い」と訴えますが、休ませますとやはり昼頃までには症状が消えて家では普通に生活することができます。
しかし、長女に対しひどいことをしたという反省や、不登校についていろいろ勉強していたこともあり、次女に対しては一切無理強いしないでゆっくり休ませ、学校にもきちんと説明してプレッシャーをかけないようにしてもらいました。すると、次女の身体症状は本当に不思議なくらいすぐに消えて、朝から家の中では元気に生活できるようになりました。
長くなりますので次女の話はもう止めますが、結局は学校に戻らないまま小学校を終え、中学では最初の2か月行っただけであとはずっと不登校で過ごし、いろいろありましたが今は旭川で共働きをしながら元気に暮らしています。次女にもこの4月に子どもが生まれましたので、孫が4人のジイサンになったわけですが、本当に「孫という名の宝物」です。
ですから、長女が中学4年目のときに私の気持ちを切り替えることができずに学校に行くように責め続けていたならば、そして、次女に対して「姉が不登校なのだから、せめてお前は普通に学校に行ってほしい」とプレッシャーをかけていたならば、宝物と巡り会うことはできなかったのではないかと、つくづく思っています。つまり、目の前の子どもを否定しないことが大切で、今の状態は本人にとって何か意味のある、大切なプロセスではないかと受けとめるように親も努力する必要があると思うわけです。
そこで、吉川さんにうかがいたいのですが、不登校やひきこもりは、本人が一番辛いわけですから、親や周囲の人たちに、是非このことを分かってほしいということについて、お話いただけますか。
4 「親子関係」のあり方を考える
【吉川】
一つ目は、ひきこもりは怠けているわけではないということです。本人も働きたいけれどもうまく社会に馴染めないことで悩んでいますし、実際にいろいろなところを面接して仕事を探しているけれど、なかなか採用にならない方もいます。
今は不況で、それでなくても仕事がない状態ですので、障害を持った方や、コミュニケーションの苦手なひきこもりの人には、どうしても働けない人は出てくると思いますし、ほとんどの人は怠けているのではなく、先が見えなくて悩んでいるのだと思います。
子どもがひきこもった時に親ができることなのですけれども、できるだけ親子だけで抱え込まずに、外とつながりを持っておくことが大事だと思います。ひきこもりの会などがあれば参加したりすることもいいと思います。
親子だけではどうしても視野が狭くなってしまったり、親子だからこそ見えていない部分もあると思います。親が数名集まれば、他の子どもへの対応に関して“そこは甘やかし過ぎだよ”とか“もっと親は、堂々としていた方がいいよ”とか、客観的に考えられるようにもなってきますし、外と繋がっているという安心感も持てると思います。
また、極端な言い方かもしれませんが、ひきこもりをプラスで考えますと、社会に上手く適応出来ない自分自身を新たに見つめ直すチャンスでもあると同時に、いろいろなハンディを持った人が社会参加しにくい、今の社会を見つめ直す機会になっているとも言われています。
ひきこもりが長引くことはともかくとして、ひきこもっている事自体は、それなりの意味があるのだと思っています。
二つ目は、「親子間の理解のすれ違い」についてなのですが、子どもがひきこもってしまったことや、子どもを理解できていないということで自分自身を責めている親御さんもいらっしゃいますけれど、親が子どものことを100%理解するというのは、そもそも難しいと思います。
お互い理解できないために、子どもが親に反発して家を出て一人暮らしすることもあり、それが、親元を離れて独り立ちするきっかけになる場合もあります。
親子は分かり合えないようにできている部分もきっとあるような気がしますので、無理に子どもを100%理解できなくてもいいのではないかと思います。
また、子どもは親に対していろいろな不満とか行き場のなさを訴えてくることもありますが、親が一番近くにいるので親に当たっているだけで、親を憎んだり、非難しているわけではないと思います。
ひきこもりは別に親のせいではないとよく言われていますが、私もそう思います。本当の原因はきっと、本人のとても辛い体験とか、働きたくても働けない不況とか、発達障害とか、いろいろな理由が重なりあって起きるものであり、特に誰かのせいというわけではないのだと思います。
ちなみに私と両親との関係なのですが、引きこもり始めたときは、「働くか、学校へ行け」と言われたこともありましたが、わたしが一歩を踏み出せずに苦しんでいた時には、父が函館の方の資料館に連れて行ってくれたり、海に釣りに連れて行ってくれました。
今でも、例えば車のガソリンが少なくなっている時には、母が何も言わず、さりげなくガソリンを入れてくれたりしています。そういうふうに、見えないところで気にかけてくれています。
【野村】
とても素敵なお話ですね! 特に「さりげなくガソリンを入れてくれる」というお母さんにとても感動しました。この「さりげない」という親の関わりがとても大事だと思います。
それと「ひきこもりをプラスに考える」という吉川さんのお話も本当にそう思います。私どもの「親の会」においでになる多くの親御さんも「子どもの不登校やひきこもりのおかげで、自分を見つめ、家族関係を見つめ直すとても貴重な機会になった」とお話されています。
周りがそのようにプラス面を受けとめることができずに本人を追いつめるために様々な問題が起きていますので、不登校やひきこもりが「問題行動」なのではなく、本人たちを「問題行動」に追い込んでいるのだと考えていただきたいのです。
それと、『親子は分かり合えないようにできている部分もきっとある』という吉川さんの指摘はとても大事で、親はどうしてもそれまでの経験や培われてきた価値観を通して子どもを理解しようとしますし、できるだけ自分の枠組みに合った生き方をしてほしいと願います。
親である以上仕方ありませんが、「願い」が往々にして「押しつけ」になっていないかよく考えてみる必要があると思います。
例えば、「不登校のままでは進学ができない」と考えて親が焦る気持ちは分かりますが、それは「みんなが高校に行くから」「大学に行った方が何かとその後有利だから」という世間の常識や価値観を当てはめていることが多いのではないでしょうか。
そうではなく、その子自身にとって今一番大切なことは何なのか、その子の置かれた状況や気持ちに寄り添ったものかどうか、よくよく考える必要があると思うわけです。
子どもには子どもなりにいろいろな道や可能性があって、親といえども、子どものことを全て分かるのは不可能であり、つまりは「親は別人格」だということではないでしょうか。
もっとハッキリ言えば、子育てというのは「子どもは親の思い通りにならないということを自覚していくプロセスだ」というのが私の36年間の子育ての教訓であり、先ほどの吉川さんのお話を、親の側からそのように理解した次第です。
ところで先ほど、吉川さんは22歳のときに発達障害の診断を受けたというお話がありましたが、そのあたりのことを、もう少しお話いただけませんか。
5 発達障害について
【吉川】
22歳のときに、発達障害の「アスペルガー症候群」と呼ばれる診断を受けていますが、これは生まれつきの障害と言われています。主な特徴は、人とのコミュニケーションが苦手だったり、こだわりを持っていたりすることで、ひきこもり交流会の「あさがお」でも、お子さんが「発達障害」ではないかというお話が結構でてきます。
私は、小学校の高学年の頃から人間関係をうまくつくれていないことに気がつき初めまして「自分は周りのみんなとはどこか違う」という違和感をずっと持っていました。学校生活やアルバイトをしていた時に人間関係が全然続かないこともあって、自分から進んで診断を受けに行きまして、そして発達障害と診断されます。
障害自体は知識として知っていまして、「もしかすると自分は発達障害かもしれない」と思っていましたので、人によっては診断を受けた時にショックを受ける人もおりますが、私の場合は、自分から診断を受けていたことと、最初からそう思っていたので、とくに診断を受けて落ち込んだりすることはありませんでした。
「やっぱりそうだったんだな」という感じで逆にホッとして、「発達障害が原因で人間関係をうまく作れていない部分もあったんだな」と分かってむしろ良かったです。
外見からは分からないので、なかなか障害を持っているようには見てもらえないところがありますし、障害としてではなく個性として見ることも出来ます。この障害は、同じ診断名がついていてもタイプが幾つかあるみたいで、自分の興味のある話しだけを夢中になって一方的に話し続けてしまう人や、逆に人と話すのが苦手だというタイプの人もいます。
わたしの場合、普段はあまり話さない方で場の空気を読むのが苦手ですし、親しい人にでも、度々失礼なことを悪気無く言ってしまうこともあります。雑談なども苦手なところもありまして、学校でうまく友達がつくれなかったり、職場での人間関係を維持することができなくて苦しんだりしていました。
何か仕事の内容や必要なことを会話でやりとりすることは出来るのですけれども、仕事以外のプライベートの話しや、楽しい、嬉しい、悲しいという感情が入ってくる会話になると、なぜかとたんに話せなくなってきますので、会話でコミュニケーションを維持するのが難しいところがあります。
あと不器用な人が多いですね。例えば5分で終わる掃除の作業とかでも、綺麗に丁寧に掃除し過ぎる為に人よりも10分15分余分にかかってしまったりする場合もあります。
また、言葉を言葉通りに受け取ってしまったり、抽象的な表現で指示されるのが苦手だったりします。例えば、右向け右という指示を出したときに普通ならその場で右を観るのですけれども、人によっては「自分から観て右なのか相手から観て右なのかと」いうように、いらないことを考えてしまって、自信なさげに左を向いたりすることもあります。
つい先日の仕事での出来事なのですけれども、「机を縦に並べて」という指示をもらいました。実は縦というのを理解できずに教室に机を並べていたのですが、結局わたしは机を横に並べてしまっていたんですね。縦ってどっちなんだろう?何を基準にして縦に置くのだろうという感じです。縦とか横とかの言葉自体が持っている概念を理解する力が弱いので、度々そういう失敗をします。ちなみに職場ではそういうことで怒られることはないので大丈夫です。
わたしもそういうところがあります。ですが、その反面、繰り返し作業は得意だったりします。
他には、初めての場所や人を恐がったりする方もいます。わたしが中学生の頃のエピソードなのですが、休日に家族で初めてボーリング場に行ったとき、自分はボーリング場の雰囲気がすごく恐くて、自分だけ恐くてボーリングができず、家族がやっているのを離れた所からただ観ていたという記憶があります。また温泉の独特の空間や雰囲気が苦手で私にとってはすごく恐い場所だったりします。
今は、だいぶ恐さを克服して行けるようになっていますが、このような特有の恐怖心を持っている方もいます。
それと、自分の気持ちを親に話さなかったり、秘密にする方もいますので、ひきこもりの親の会などで、「子どもが何も話してくれない」と悩んでいる親御さんもいらっしゃいますが、自分の事をあまり人に知られたくないと思っている人もいますので、特に悩まなくてもいいのかなと思います。
外出するときに、行き先を言わずに出かけてしまうことも普通にありますし、また、子どもが何も話してくれないのではなくて、本当は本人自身が自分の感情に気づけていない場合もあります。
例えば食事をいただいたときに、おいしいかどうかを聴かれたとしますが、私は、それがおいしいのかどうか自分ではわからない、判断ができない場合があります。
このように、自分の感情にうまく気づけないので、相手から気持ちを聴かれても答えられないという状況が度々あります。
「昔から感情を表に出さない子どもだった」とか、「小さい頃から少し変わっている子だった」という話しをときどきお聞きするので、きっとそういう事が根本にあるんじゃないのかなと思っています。
とにかくこの障害を持っている方は、コミュニケーションで辛い想いをしながらも頑張っているのだと思いますので、そういう人もいるという事を知っていただきたいなと思っています。
【野村】
ありがとうございます。時間がありませんので、詳しいお話はできませんが、まずなんと言っても、発達障害は本人の努力不足でもなければ、親の育て方の問題でもなくて、ごく簡単に言いますと、生まれつき脳の仕組みといいましょうか、脳の働き方に独特の特徴があるために周囲からは理解されにくい発想や発言、行動になりがちだということです。
ですから、それは誰のせいでもなく、吉川さんもお話したように、まさにその人の個性なのですが、そのことで生活や仕事をするうえで様々な不都合が生じて、当人も辛い状態に追い込まれることを、私たちはまず理解することが必要でだと思います。
それと、対人関係やコミュニケーションがうまくいかない場合が多いのですが、現在はサービス産業が中心の経済社会ですから、それ以前の社会に比べて人と上手につきあえることがより強く求められますので、発達障害の方にとって不得意なことが、生活するうえでも仕事をするうえでも重視されるような社会の仕組みになってきたこともあって、それが大きな「障害」につながっていくわけです。
周囲の人がそのような障害の特徴を理解できないと、自分の考え方や基準で相手にいろいろなことを求めるために、発達障害を持つ方は、それに応えることができないということで自信をなくし、ひきこもったり、強いストレスから精神疾患のような状態に陥ることもあるわけです。
「発達障害が増えた」というのは、「発達障害が目に見えやすい社会」になってきたという面もあるわけですから、周囲がそのことを理解し、適切なサポートをする必要があると思います。
それと、「ひきこもり」について、やはりまだまだ世間の理解は不足していると思うのですが、それでも様々な相談や支援の取り組みが始まっていますので、そのあたりの実情について、吉川さんからお話をお願いします。
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続きは
「『ひきこもり・不登校の理解と支援』 講演会レポート」のご紹介 その3
にてご紹介いたします。