今回のテーマは「玉砕」。
・玉砕とはどこから来た言葉か
この「玉砕」と言う言葉は、1943年5月29日、アリューシャン列島アッツ島の日本軍守備隊約26000人が全滅した時に初めて使われました。この言葉は、大本営(日本軍司令部)が、報道の際、「全滅」と言う民間人の動揺を少しでも軽減させるため、“玉の如くに清く砕け散った”という印象を与えるため使われました。ですが、この言葉はアッツ島以前にも使われていた記録があります。
・主な玉砕戦
- 1942年 (昭和 17年)
- 1943年 (昭和 18年)
- 1944年
(昭和
19年)
- 2月5日 :マーシャル諸島 のクェゼリン環礁守備隊玉砕
- 2月23日 :マーシャル諸島のブラウン環礁守備隊玉砕
- 7月3日 :ビアク島守備隊玉砕
- 7月7日 :サイパン島守備隊玉砕
- 8月3日 :テニアン島守備隊玉砕
- 8月11日 :グアム島守備隊玉砕
- 9月7日 :拉孟守備隊玉砕
- 9月13日 :騰越守備隊玉砕
- 9月19日 :アンガウル島守備隊玉砕
- 11月24日 :ペリリュー島守備隊玉砕
- 1945年 (昭和 20年) 等です。
これは完結に書きます。
島などの孤立したところで多く見られました。
・玉砕前提の攻撃
★万歳攻撃
太平洋戦争で、日本兵が行った玉砕覚悟の突撃。軍事的には浸透攻撃の一形態とされている。
戦術的な意味よりも、「捕虜になることなく潔く死ぬ」という思想のあらわれとも言われ、敵軍優勢の中、補給や増援を望めず撤退も不可能な状況の日本兵が、自決する際のように「天皇陛下万歳」などの雄叫びを上げて突撃したもの。「万歳」の歓声とともに敢行されることから、連合軍兵士から『バンザイ・アタック』(banzai attack)又は『バンザイ・チャージ』(Banzai charge)と呼ばれ、バンザイ突撃とはこれが和訳されたものとされる。英語から再輸入された日本語由来の言葉であるので、漢字で「万歳突撃」と書かれることもある。
当時のアメリカ兵などからは、バンザイ突撃は狂信的な兵士達による理解不能な自殺行為として受け取られ、バンザイ突撃を受けた兵士の中にはストレス障害(戦闘ストレス反応)などの精神的ショックを受ける者もいたことが記録されている。
また、ガダルカナル島の戦いにおけるバンザイ突撃の日本側視点の資料としては、バンザイ突撃に加わりながら生還した歩兵第30連隊第11歩兵中隊の中隊長・勝股治郎大尉の著作「ガダルカナル島戦の核心を探る」がある。
・戦術的意義
島嶼 部での戦いでは、長期の包囲により備蓄した食糧弾薬が不足し、輸送船も沈められ補給の望めない日本軍によって行われたが、自動火器や火砲の充実したアメリカ軍に対し、武器弾薬の欠乏した日本軍による突撃で勝利した事例は無い。これに対し、アッツ島の戦いやタラワの戦い、ビアク島の戦い、ベリリューの戦い、硫黄島の戦い、沖縄戦などではこうした自殺的突撃が戒められ、防御線を敷き持久型の縦深防御戦術が採られた。ペリリュー島で戦った海兵隊員ユージン・スレッジは、自著の中で、バンザイ突撃が始まりこれを撃退すれば早々に決着がつくので、むしろ行われるのを待ち望んでいたが、実際は縦深防御によって戦闘が予想以上に長引き、海兵隊は多数の死傷者を出したと述べている。日本軍がバンザイ突撃を実行したのは二ヶ月以上後、武器弾薬が尽き玉砕を決意してからのことであった。こうした戦術は米軍側の損害を増やし、バンザイ突撃の戦術的評価が低かったのとは対称的に、『日本軍の兵士は極めて勇敢、精強であった』という評価につながった。
米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」
第二次世界大戦の欧州戦線に於いて、日系人のみで編成された米陸軍の「第442連隊戦闘団」 は、日本語の「バンザイ」を含む各種の雄叫びを上げての突撃を実行した。ただし海外で認知されている『進退窮まった部隊が最後の戦術として行う自殺的な突 撃』を意味する「バンザイ突撃」とは別物で、通常戦術としての、鬨の声を上げての白兵突撃であった。用いられた言葉も「バンザイ」だけではなく、ピジン英語で「死ね」という意味の「マケ」、日本語の「バカヤロー」など、個々の兵士の叫び声がこだまし、その絶叫は近隣の村にまで響く程であったという。
一説には1943年11月3日のナポリ南方、ボルツレノ川渡河作戦で、ドイツ軍狙撃兵に対しスコップを武器として突撃をかけたのが最初とされる。こ の時は個人による突撃に続いた小隊規模のものであったが、後に戦闘の決着をつける着剣しての白兵突撃が中隊単位でも行われるようになった。最も日系部隊に 限らず最後の突撃は一般的に見られたが、特にブリュイエール(ブリエラ)の解放を巡る戦いでこの戦法が多用され、戦場となった丘は記録者により「バンザイ ヒルズ」と命名され、アメリカ国務省に報告されたという。