ヌメラーのヌメラーによるヌメラーの為のNumeri日記 -20ページ目

ヌメラーのヌメラーによるヌメラーの為のNumeri日記

おもにNumeriでお気に入りのブログ転載します。Numeri知らない人はゼヒ読んでヌメラーになりましょう。
※私が書いてるのではありませんので悪しからず(^^)/

僕らはいつだって未完成なんだ。

何が未完成かって?さあ、わからない。でもなにか、自分の中に喪失感というか満たされない気持ちを抱えて生きてるんだ。僕らは絶対的に何かが足りない。何かが未完成なんだ。

どんなに富める人も、どんなに幸せな人も、どんなに人生を満喫している人も、満たされない何かを抱えて生きている。僕らはみんな未完成。完成形も知らずに完成を求めて生きていかねばならない。

小さい頃、空き地で遊んでいたら僕の目の前で弟が車に轢かれた。跳ねられたというよりは踏みつけられるように白の乗用車に押しつぶされていた。口からドス黒い血を流し、弟は2週間生死の境をさ迷った。

内臓破裂していた彼は、どこが破裂しているのか分からないまま腹を開けられ手術された。成功率は極めて低かったのだと思う。手術中は家族全員どころか親族、担任の先生まで呼ばれていた。

結局完治したもの、弟の腹には十文字の痛々しい傷跡が残っている。全長で40センチ以上はあるだろうという傷跡が。あの時、僕の目の前で車に轢かれた弟は、間違いなくその瞬間僕の中で死んでいた。もう死んだと思っていた。人間ってあっけなく死ぬもんだなって。

さらに時間がたち、近所のお兄さんがトラックに轢かれて死んだ。こちらは間違いなく死んだ。ウチの近所の交差点で轢かれたお兄さんは、脳みそがダラダラと流れ出ていた。すごくあっけなく死んだ。

爺さんも婆さんも、母さんもあっけなく死んだ。人ってものすごくあっけなく死んじゃうものなんだなって思った。

この間、街に雪がモッサリと積もった日のこと。雪の中を運転していると、通学中の小学生が歩いていた。楽しそうにはしゃぎながら雪玉を投げ合っていた少年たちだったが、何を思ったのか僕の車に向かって集中的に雪玉を投げ始めた。

フロントガラスに当たっては砕け散る雪玉。5、6人の少年が、まるで鬼に豆でも投げるかのように僕の車に向かって雪玉を投げつける。何かにとり憑かれたかのように雪玉を。

まるで自分が紙袋をかぶった超人で、「やーい、ロボット超人」などと揶揄されながら石を投げつけられてるかのように感じるシーンだ。僕は何も悪いことしていないのに、どうしてそんな風に迫害されなければいけないのだろう。

でも、どうせ子供のやること。僕は26歳の立派な大人だ。ちょっとぐらい子供が暴れたからって、ちょっとイタズラで雪玉を投げたからって、大目にみてやる心の広さが大切だ。温かい目で子供を見守ってあげなきゃね。うん、許そうじゃないか。

なんていう気持ちは全然なくて。その刹那には「このクソガキャー!」とか叫びながらギアをパーキングに入れ、車を降りてクソガキに向かって突進していた。

まさか車を降りて追っかけてくるとは思っていなかったガキども。しかも背の高い無精ヒゲを蓄えたオタクそうなお兄さんが怒り狂ってる。もう目を白黒させて驚いていた。そして、野生の感で自分の身の危険を察知したのか次の瞬間には狂ったように逃げ出していた。

「わー、逃げろーーー!」

「まてー!ぶっ殺す!!!」「わー!」

本気で小学生を追いかける26歳の長身男(今年27になります)というのもみっともないのだが、それ以上に最近の子供はずる賢い。追っ手は一人と分かりきっているので、5,6人が全員バラバラに逃げ始めた。

僕は、その中でも一番足の遅そうな小デブに照準を合わせ、執拗に追いかけた。恐怖のあまり子供は泣きそうになっている。

悪いことに道路は昨日からの雪と寒さでアイスバーン状態。追いかける僕は見事に足を滑らせて転んでしまう。美しく華麗に、まるでバナナの皮に滑るかのように見事にこける。悪ガキを追いかけて見事に転ぶ。俺はサザエさんか。

転んだ瞬間、とんでもないことが起こる。歩道も車道も関係ないようなショボイ道路なので、僕が子供を追いかけていたすぐ横を車が走ってたのだけど、転んだ僕は頭を車が通るエリアのほうに投げ出すような形で倒れこんでしまった。

悪いことに、タイミングよく紺色の軽自動車がそこに通りかかり、フルブレーキング。突如として車側に倒れこんできた僕をこのままでは轢いてしまう、頭をザクロのように踏み潰してしまう。運転手さん、ムチャクチャ肝を冷やしたことだろう。

でも、さっきから言っているように路上はガリガリのアイスバーン。ブレーキ踏んだってすぐには止まらない。ガガガガザザザザザーとか音をたてて滑ってくる車のタイヤ。迫り来る車のタイヤ。その先には蛙のように横たわる僕。

ホント、死ぬかと思った。

迫り来るタイヤが物凄くスローモーションに感じちゃって、「ああ、死んじゃうな」とか、これまでの思い出が走馬灯のように蘇ってきて、サイトの更新とかどうしようとか考えてた。

結局、運転手さんのアイルトンセナばりのハンドルさばきのお陰で、ギリギリ頭は押しつぶされずに無事で済んだのだけど、ホント死ぬかと思った。あと5センチこっち側だったら間違いなく死んでたね。タイヤがはじく雪だか水だか分かんない物が顔にかかったもの。

僕自身もハラハラしてドキがムネムネだったし、運転手さんも鳩が散弾銃食らったような顔して驚いてた。それよりなにより、逃げてた子供が口開けてポカーンと見てた。

それでもまあ、服が濡れたぐらいで被害はおさまりましたし、こうして無事に日記を更新できてるわけですから、天に感謝しないといけないのかもしれません。

でもね、思うのですよ。人間ってどんな拍子に死ぬものか分かったものじゃない。いつも死に向かって突き進んでいるわけです。いつものようにクソガキ相手に本気になって怒ってやろうかと思ってたら、次の瞬間には死にかけているわけです。

こうしている間にもアパートに飛行機が突っ込んできて死ぬかもしれませんし、オナニーしながら興奮して心臓が止まる事だってあるのです。よくよく考えてみると僕らはいつも死と隣り合わせ。

山岳登山隊とか他の危険な職業な方は死ぬ可能性が高くて大変だと思います。でも、僕らが普通に生活していたって、生きるか死ぬかってのは隣にあるものなんです。そしてそれは、死ぬまでずっと続く。ずっとずっと

結局、冒頭で述べた何かが足りないってのは、僕らには死というものが足りないんじゃないだろうか。死というものが足りないから未完成で、それが生きているということに繋がる。死が入った完成形ってのは死体なんじゃないかな。人間としての完成形は死体。何かで読んだような気がするけど、

僕らは未完成の死体として生まれ、完全な死体になるために生きている。

それでも、手っ取り早く完全体になることなんか選ばず、満たされない気持ちを抱えながらも精一杯生きていかなければいけないんだ。死体になるために精一杯。辛いね、人生は。