「てめー!ぶっ殺すぞ!」
古今東西、洋の東西を問わず電話での第一声は柔和なものか挨拶と決まっている。日本であれば「もしもし」だし、英語であれば「Hello」だとか、悪い印象を与えないものが使われる。顔が見えない音声だけのコミュニケーション、それだけにファーストインプレッションを柔らかいものにしようという努力が垣間見える。
ちなみに、日本語の「もしもし」はドイツ語では女性器の名称(ムシ=Mushi)を連呼しているように聞こえるらしく大変面白いらしい。電話かけたら相手がいきなり「おまんこおまんこ」言うんだから、そりゃあ、さすがのドイツ人もビックリする。そんなことはどうでもいいとして、今の話題は冒頭の電話の挨拶だ。
たぶん、現在の日本で一日にどれくらいの電話通話がされているのか知らないけれど、それこそ9割以上の通話で初めに「もしもし」という言葉が交わされているように思う。テレホンセックスをする時だって最初に「もしもし」と言うだろうし、郷里の親に金を無心する時だって言う。恋人に捨てられて自暴自棄になってもう徹底的に汚れてやる、どんなオヤジ相手でもいいから抱かれてやる汚れてやるんだから、猛り狂った身悶えるような、内臓まで届くようなセックスをしてやるんだから、と決意してテレクラに電話、それでも彼女は恋人との楽しい思い出が蘇り、そういえばいつも寝る前にこうやって高志に電話してたっけ・・・。わたしなにやってるんだろう・・・。バカだよね・・・。受話器を握る手にぎゅっと力が入り、頬には一筋の涙が・・・。芳江はギュッと下唇を噛み締めた。もう・・・高志のことは忘れなきゃ・・・。受話器の向こう側からはプルルルと電子音が鳴っている。4コールほどしただろうか、突如ガチャっと電子音が途切れ、電話の向こうから30代半ばの男性の声が聞こえてきた。怖い、逃げ出したい。わたし、こんなとこに電話してなにやってるんだろう。もうこのまま電話を切ってしまおうか。ううん、それじゃあダメ、それじゃあ何も変わらない。以前のままのわたしのまま・・・。誰でもいいから抱かれるって決めたんだから。そう、今は何でもいい、人の温もりが欲しい、偽りでもいい刹那的でもいい体だけって分かってる後悔したっていい。表面だけの優しさでもいいから・・・。芳江は声を絞り出すように震える声で言った。「もしもし」と・・・。
どんな通話でも「もしもし」から始まる。これはもう最近話題の「振り込め詐欺」いわゆる「オレオレ詐欺」でも揺るぎないものであって、詐欺の場合でもキッチリ、「もしもし。婆ちゃん、オレオレ、オレだけどさ」ときちんと礼節を持っている。これはもう決まり事とかマナーとかを超越し、飯を食う寝るのごとく人間の身に染み付いた習性じゃないだろうか。
電話の冒頭、かなりの高確率で交わされる「もしもし」。しかしながら、そんな「もしもし」を超越したとんでもない電話が僕の元に舞い込んできた。それが冒頭のセリフである。
「てめー!ぶっ殺すぞ!」
どこの世界を探したら、こんな言葉で始まる電話があるのだろうか。「もしもし」なんてぬるい、ぬするすぎるわと言わんばかりの文言。電話に出た瞬間に「テメー」呼ばわり。おまけに「ぶっ殺す」までついている。まるで生きた心地がしない。
これがまあ、気心知れた友人が相手とかなら、まだ納得できるかもしれないが、これが見ず知らずのオッサン、それも初めての会話で交わされた言葉だから驚きだ。
ある平日の昼下がり、不意に携帯電話が鳴った。いや、正確には音声もバイブ機能も全てカットし、仕事時用のサイレント仕様にしていたので音なんてピクリとも鳴らなかったのだけど、画面を見ると「着信中」の文字。そこには覚えのない携帯番号が表示されていた。
実は、その二日くらい前からこの番号からは頻繁に電話がかかってきていたのだけど、僕の携帯番号はとにかく架空請求やら詐欺的電話、脅迫的家賃の督促などが多いため見ず知らずの番号の電話には極力出ないようにしている。死ぬほど暇な時は出て相手をしたりしてネタにするのだけど、基本は出ない。
しかし、二日前から尋常じゃない回数かかってきているという事実、おまけに何分間もコールし続けていると言う尋常ならざる執念にいたく感服した僕は、その電話を取ることにした。さあて、どんなやつがかけてきてるか知らないけど、また架空請求か何かの類か、何が飛び出すがドキドキだぜ、と通話ボタンを押し、
「はい、もしもし」
と話しかけると、相手は開口一番、
「てめー!ぶっ殺すぞ!」
である。野太いオッサンの声。かなり興奮してるのか、受話器から風が吹き付けてきそうなほどに息遣いが荒い。架空請求かなーとか思っていたらそれ以上にパンチの効いた電話。ハッキリ言って震撼した。全米が震撼した。こんな電話、やまだかつてない。
僕はこれまでに星の数ほどの架空請求やら怪しげな業者、キチガイ女などを電話で相手にしたのだけど、それらのアナザーワールド的な電話であっても全てが「もしもし」と普通のセリフから会話が始まっていた。架空請求なんてもっと顕著で、最初は丁寧な事務的対応、それが金が取れないと分かると突如激昂、気の弱い人なら自殺しちゃうんじゃないのってくらいに猛り狂うのだけど、それでも最初は温和に「もしもし」だ。
それが、それら全ての怪しげな通話をぶっちぎって始まる電話の到来。僕の胸は自然と高鳴った。
「はい?」
とりあえず、いきなり殺されても死んでも死にきれないものがあるので、あなたに殺される覚えがないことをアッピール。相手の出方を待つ。
「テメーはなんで電話に出ねーんだ!俺をバカにしてるのか!」
しかし、電話の相手はブレーキの壊れたダンプカーのごとく止まらない。血が沸騰してるとしか思えない。僕の首を取ってかからんばかりの勢いだ。そんなもの「見ず知らずの番号だから面倒そうだったから出なかった」わけなんだけど、そんなこと言ったら火に油っぽいのであえて言わない。
「はあ、申し訳ありません」
と、なんで怒られてるのかも分からないのに謝っておいた。
「テメーな、ちょっと対応がいい加減過ぎないか?」
「わしが何回電話かけたと思うんだ」
「アンタが対応してくれないと困るんだよ!こっちも死活問題だから!」
「アンタも社会人なんでしょ。だったら責任持ちなさいよ!」
「ホント、ぶっ殺すよ!」
とまあ、僕が意味も分からずに謝ったことに勢いづいたのか、電話口のオッサン、マシンガントークで怒る怒る、とにかく怒る。すっごい怒られてて、こんなに怒られたのは前の職場で自分の裸体のコピーを取ろうとしてコピー機に馬乗り、リースのコピー機をぶっ壊した時以来なのだけど、ぶっちゃけると、何で怒られてるのか全く意味が分からない。
「そもそもな、信頼ってのは大切なんだよ。あんたは悪いことをした。私が被害をこうむった。それを公にしなかったんだから、きちんと同義的に責任を取るべきだ。そもそも、社会っていうのは・・・」
なにやらオッサンも当初の怒りがクールダウンしてきたのか、冒頭ほどエキサイトはしていなくて口調も若干柔らかくなっているのだけど、相変わらずこちらに発言させない勢いで説教を延々と語っている。
何のことか身に覚えがなく、おまけにトークの主導権を取られてしまって発言する機会すら与えられない僕は、「はい」と適当に相槌を打ちながら、「何で男は女のオッパイに憧れるんだろう」的なことを考えてました。
「で、金はいつ払ってくれるんだ」
一通り説教が終わった後、電話口のオッサンはこう言いました。もう意味が分からない。挨拶代わりに「殺すぞ」言われて、意味不明に説教、おまけに金払えだなんて。
「そもそも、何でお怒りになってるのか理解できませんので、お金を払うことには納得できません。もう一度落ち着いて、ここまでの経緯を話してくれませんか」
ここは冷静に対応する必要があります。キッチリと金は払えないという意思を伝え、そもそもなぜ相手方が怒っているのか意見を聞く必要があります。何も分からないのに金なんぞ払えるか。
「はあー?あんたなにとぼけてるの?もしかして知らんふりしてやり過ごすつもり?こっちはね、あんたの職場でも何でも抗議してもいいんだよ、あんたがこんな非人道的行為をしたってね。いくらでもツテはあるんだからさ!知らん振りでやり過ごせるほど世の中甘くないよ!逃がさないからな!」
またもや怒りの起爆スイッチを押してしまったようで、ノンストップオッサンみたいな状態で怒り狂い出しました。本当に身に覚えがないのに、向こうは僕がとぼけてると勘違いしてるみたいです。
とまあ、ここまでの一連の流れは、形態を変えた架空請求などにありがちな、一方的にまくしたてて金を払えと言う。支払いを拒否すると職場に言うぞなどと脅す、典型的な詐欺の流れであったりするのですが、何やら様子がおかしいのです。
まず、詐欺電話なら、最初から一方的に怒鳴るような行為、それこそ「殺すぞ」なんて開口一番に言ったりしません。前述したとおり、そういった電話は最初は営業電話のごとく丁寧なもの。丁寧に会話をしつつ相手の感情やら性格を分析してるのでしょう。で、いけると判断したらある瞬間から豹変するのです。いきなり怒鳴るなんてありえない。
それに、例え詐欺であってもきちんと筋は通します。嘘であっても「アダルト番組を利用したから利用料と延滞金を払え」だとか、「オレオレ、事故起こしちゃって示談金が要る」だとか、とにかく、詐欺というのは相手に金を払わせる理由が、どんな無理な形であろうと存在し、それを説明してくれるはずなのです。けれども、この電話にはそれがない。ただ感情的に突っ走るだけ。
様々な詐欺的請求を相手に戦ってきた僕の嗅覚とでも言いましょうか、なんだか詐欺とかそういった類とは違って、もっと恐ろしい、何か別次元の電話のような気がしたんです。で、恐る恐る聞きましたよ。聞いてはならない禁断のセリフとも取れる質問を投げつけましたよ。
「あの・・・もしかして・・・電話間違えてませんか・・・?」
これだけは言いたくなかった。このデリシャスすぎる電話を間違い電話で片付けたくなかった。けれども、詐欺じゃないなら間違い電話としか考えられないし、このまま放置してると本気で殺されかねないので、泣く泣く指摘しましたよ。
「なに言ってんだ!?あんた、そうやってとぼけるつもりかっ!あんたが起こした事故だろうがっっっ!」
とまあ、さらに怒りマックス、怒りのアフガンみたいな状態になってました。誰かこの人を止めて。
しかしまあ、オッサンの言葉から、交通事故の示談がらみの話であるっぽいことは分かりました。あいにくと最近は人様に迷惑をかけるような事故を起こした記憶はございません。もう完全に間違い電話確定と言うところでしょうか。
「事故とおっしゃいましたが、あいにく僕は事故を起こした記憶がございません。これは惚けてばっくれようとしてるわけでなく、調べてもらえれば簡単に分かることだと思います。もう一度言います。僕は事故を起こしていません。間違い電話じゃないのでしょうか?」
ここでは毅然とした態度で言う必要があります。それを受けてか、オッサンのトーンも微妙に弱まり、粛々と前後関係を説明しだしました。
1ヶ月前の日中、繁華街の脇の交差点でオッサンの所有するバイク、これがパワフルなスクータータイプのものらしいのですが、それと20代の若者が運転する車が事故を起こしたそうです。
しかし、事故といても大したことはなくて、接触などは全くしてない様子。ただ、相手の車が右折しようとしてるところに、対向車線から直進してきたオッサンのバイクが当たりそうになり、オッサンは必死に避けた。そのまま転倒になったようです。
バイクの側面が傷だらけになっており、オッサンの着ていた服も破れた様子。本人に怪我はなかったようです。
とりあえず接触もしてないので警察を呼ぶのは面倒だ。両者間でそういった話になったらしく、お互いに電話番号を交換して別れたそうです。まあ、オッサンは後の予定が詰まっており、時間を取られるのが嫌だったというのもあるようです。
で、バイクの修理費は相談すると言うことになったのですが、いつまで経っても相手の青年から連絡が来ない。こちらもバイクがないと仕事にならないので困る。ちなみにバイクの修理費はかなりの部分のパーツ交換で20万円ほど。業を煮やしたオッサンは青年の携帯に電話したようです。
しかし、電話しても電話しても相手は出ない。日を変えて電話しても、時間を変えて電話しても出ない。それでも20万という修理費は太い金ですから、なんとしてでも相手に払わせないといけない。電話に出ろ、出やがれ!だんだんと怒りの感情に身を任せ、やっと繋がった!と思ったら僕が出た。そういうことのようです。たぶん青年に偽の電話番号でも掴まされて、その番号が僕のだったんじゃないでしょうか。
「とにかく、修理費20万円払ってもらわないと困る!」
いや、知らんがな。
さすがの僕も起こしてもいない事故の修理費など払えませんので、ここは断らないといけません。
「事故が起こった日、平日の日中ですよね・・・。僕その時間帯は絶対に仕事なんですけど・・・。抜け出して繁華街の事故現場に行くこともできません。これは調べてもらえばわかります。それよりなにより、なんでしたら僕の車を見てもらえば事故車両と違うと一目瞭然だと思いますが」
「だいたい、相手の車両ナンバーの確認、身分証明書の確認、携帯番号を交換した後にその場でかけてみるなどの確認をしなかったのですか?」
どうやら、相手方の確認を全くしてなかったみたいで、急いで番号を交換したのみ。誰かの言葉じゃありませんけど「ちょっと対応がいい加減過ぎないか?」と言いたい気分です。
結局、事故の相手は僕じゃないと理解してくれたみたいで、それはそれで良かったのですが、問題は彼の言動です。「テメー、ぶっ殺すぞ!」やらの暴力的挨拶やら、偉そうにまくし立てた説教の数々、これらは例え偽の番号を掴まされて起こった間違いであったとしても、正直僕はいい気はしません。せめて「めんご、めんご」でもいいですから、謝罪の言葉くらいはあるべきです。
しかしながら、オッサンの対応は逆ギレに呼ぶとふさわしいもので、
「だいたい!何度かけても電話に出ないアンタも悪い!」
「こっちだってイライラしたんだ!ああなるのも仕方ない」
「誰だって間違いはある!」
と言い出す始末。おいおい、オッサンよ。そりゃねえだろ。いくらなんでもそりゃねえだろ。どんな薬やってたらそんなこと言えるんだよ。逆ギレにも程がある。いくら事故相手に騙されて、このままでは20万円の修理費を自分で払うことになるのが濃厚で、イライラするのも分かるけど、さすがに間違い電話をかけた相手にそれはやりすぎ。「めんごめんご」くらい言ったっていいのに。
しまいには「こんな電話番号なアンタが悪い」と言い出しかねない勢いでしたので、ここはキッチリと言っておく必要があります。
「刑法222条、2が並んでると思うので覚えやすいと思いますが、ここでは脅迫罪が定義されています。あなたの言った「殺すぞ」はまさにこれに当てはまるわけですが・・・」
と言ったところ
「うるさい!もういい!」
と電話をガチャ切りされてしまいました。めんごすらなし。
やれやれ、世の中には困った人もいるもんだぜ、と思いながら僕も仕事に戻ったわけなのですが、時間が経過してくると次第に立腹してくるんです。頭で理解していても釈然としない。何で僕が罵られ、説教までされなきゃいけないのか。
そういえば、あのオッサンは「イライラしてたから」あんな電話してもいい、「誰にだって間違いはある」ってニュアンスのこと言ってたよな。じゃあ僕だってイライラしたら彼に電話かけてもいいはず・・・。
そんな考えが僕の頭の中によぎり、その後に職場のトイレで物凄いウンコをした時にイライラする出来事があったので、携帯の着信履歴に残ってるオッサンの番号に、ウンチングスタイルのまま電話をかけて
「テメー!今ウンコしたら紙がねーじゃねーかー!どうしてくれるんだ!手で拭けっていうんか!」
と開口一番、物凄い勢いで電話しておきました。全然関係ないのに。オッサンは「はい?」とすごい高い声で言ってましたが、紙がなくてイライラしたんだから仕方がない。
今度イライラしたら、「もしもし」という意味で「おまんこおまんこ」と誰かに電話してみようと思います。なるべく女性に。おまんこおまんこ。ムラムラしてたんだからしょうがないという理由で。