松田力也「今から行ってくるから」亡き父への思い胸に | SAITAMA Panasonic WILD KNIGSの応援するブログです

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NHKニュース|NHK NEWS WEB


「今から行ってくるから」亡き父への思い胸に 松田力也


ラグビー日本代表の松田力也選手が、試合前にいつも心の中で唱えることばがある。

「今から行ってくるから」
「見といてな」

伝える相手は、亡き父。みずからをラグビーに導いてくれた存在だ。ときに厳しく、優しく、みんなから愛される人だった。日本の司令塔は、そんな父へ恩返しを誓ってワールドカップに臨む。

いよいよ始まるラグビーワールドカップ。ベスト4以上を目指す日本代表のキーマンが、司令塔・松田力也だ。亡き父に活躍を誓い、困難に立ち向かう日々を追った。

クリスマスに亡くなった父
6歳のとき、元ラグビー選手だった父・大輔さんの影響でラグビーを始めた松田選手。

親子のラグビー人生は順調に進んでいたが、別れは突然やってきた。

松田選手が小学5年生のクリスマス。

地元の京都でラグビースクールの試合に出場していたところ、密集で下敷きになり肩を負傷。

救急車で病院に運ばれた。

当時、飲食店を経営していた父は1年で最も忙しい時期だったが、わが子のために試合も、病院も、付き添ってくれた。

病院での診察を終えて自宅に戻ると、父は夜からの仕事に備えて寝室に向かった。

「軽く寝るわ」

これが最後の会話になるとは思ってもいなかった。

その後、父は帰らぬ人となった。

くも膜下出血だった。

■松田力也選手

「寝る前に『ちょっと頭痛いな』と言っていたような記憶があります。僕が見に行ったときはもう息をしてなくて。母が心臓マッサージをしていたのは覚えています。父は救急車で運ばれて、僕らきょうだいは、おばあちゃんといっしょにタクシーで追いかけました。会うまでは亡くなったと信じたくなかったですね」


病院に到着したとき。

目の前に亡くなった父が横たわっていた。

その姿を見て、ある思いに駆られた。

 「自分がけがをしなければ、違う未来になっていたんじゃないか」


小学5年生の松田少年は自分を責め、泣いた。

父・大輔さんの親友、木村與さんも当時、病院に駆けつけた。

そのときの様子を鮮明に覚えていた。

■木村與さん

「大輔(父)が寝かされている部屋に入ったとき、ぱっと力也と目が合ったんです。そしたら『僕のせいでお父ちゃんが死んだ』と泣きながら言っていました。もうその場面だけは忘れられないですね」


木村さんは、松田少年にすかさず声をかけ、頭をなでた。

■木村與さん

「おまえのせいじゃない、おまえは何も悪くない」


父との約束
早すぎる死を迎えた父と松田選手。

2人の間には約束があった。

 「高校日本代表に入ればラグビー選手として、おまえの勝ちでいいよ」


悲しみに暮れる松田選手を救ったのは、やはりラグビーだった。

京都選抜に選ばれるほどの実力があった父を超えることが、いつしか目標になっていった。


■松田力也選手

「ラグビーをやっているときは何も考えずにいられたので、切り替えができたのだと思います。父との約束を胸にまずは高校日本代表になりたいなっていう思いがありました。父を超えるじゃないですけど、ひとつの約束というか目標としているところではありました」


父の親友、木村さんは、松田選手がたくましく育っていく様子を見守った。

■木村與さん

「大輔が亡くなる前は大輔の後ろにふっと隠れたりするようなおとなしい子だったんですけど、亡くなってからどんどんしっかりしていきました。自分がしょぼんとしていたらだめなんだと。悲しかったとは思うんですけど、一生懸命そうやって頑張ってきましたね。父親も他人に弱いところを見せなかったですが、そこは似ているんじゃないですかね」


周囲のサポートもありラグビーに打ち込んだ松田選手は、順調にステップアップしていった。

地元・京都の伏見工業でキャプテンを務め、高校日本代表としても活躍した。

強豪の帝京大に進んでからも1年生でレギュラーを獲得し、全国大学選手権で4回の優勝を果たした。

高校時代の恩師、高崎利明さんは、松田選手の成長をこう振り返っている。


■高崎利明さん

「力也は家族に心配かけたらいけないと、いろんな悩みを自分の中で消化して頑張ってきた子でした。徳のある子で、いい指導者、いい仲間に出会って成長していったと思います。能力がある選手はたくさんいるけど、そこから抜け出すのは難しい。その点、自分の立ち位置を受け止めて努力できる選手でした」


2019年の挫折 その後の大けが
その後、日本代表に選出されるようになった松田選手。

大きな挫折となったのが、2019年のワールドカップ日本大会だ。

日本は、この大会で史上初のベスト8進出を果たすなど、国内に空前のラグビーブームを巻き起こした。

しかし松田選手の胸中は違った。

スタンドオフとして先発出場した試合は1試合もなかった。

すべての試合で先発したのは田村優選手。

松田選手は、控えとしてわずかな時間しか出場できず、歴史的勝利を挙げたアイルランド戦では出場すらかなわなかった。


■松田力也選手

「自分自身のパフォーマンスもそうですし、試合に少ししか出られなかったのはすごい屈辱でした。次のワールドカップに向けてエネルギーを燃やせるきっかけになったと思うし、次は絶対、自分が10番で出てチームを勝たせるんだという思いが強くなりましたね」


屈辱を糧にワールドカップへ歩みを進めていたやさき、松田選手にさらなる試練が訪れる。

リーグワンの試合中に左ひざの前十字じん帯を断裂した。

復帰まで1年近くかかることもある大けがだった。

ワールドカップをよくとしに控えたタイミングでの大けが。

焦りが募った。

亡き父の存在が後押し
松田選手が困難にぶつかったとき訪れる場所がある。

ここに来ると、力をもらい前向きな気持ちになれるという。

墓に置かれているコップは松田選手が小学生の時、父に買ってもらったもの。

憧れだった伏見工業の菅平合宿に行った際のお土産だと聞いた。

左ひざを手術するときも、父がこの場所で背中を押。


■松田力也選手

「すごく不安だったので『力を貸してほしい』とお願いして、手術後は『今よりも強くなって戻るから』と決意表明をしました」


ことし3月。

満開の桜の季節に松田選手は父の墓を訪れ、リーグワンでの近況報告とワールドカップへの決意を伝えた。

墓を訪れる意味を尋ねた時、松田選手の様子が変わった。

声が震え、大粒の涙があふれた。

「自分が唯一、素を出せる場所だと思います」
「シンプルに、生きていてほしかったなという思いはありますね」

ふだん人に弱みを見せない松田選手。

涙とともに本音がこぼれた。

そして、こう続けた。

■松田力也選手

「ボールの転がり方や風の吹き方、そういうところで最後に力を貸してくれるんじゃないかなと思っています。絶対に力になってくれていると思いますし、いっしょに戦ってくれると思っています」


好きな歌に“亡き父への思い”
松田選手には好きな歌がある。

AK-69が詞を書いた「Stronger」。

亡き父への思いを歌った曲だ。

歌詞の中には、♪「俺が見えてるかオヤジ」というフレーズが繰り返し出てくる。

♪「I’m gonna be stronger,I gotta be stronger」

もっと強くなる、もっと強くならなければいけない。

松田選手は、この歌に父への思いを重ね合わせている。

みずからに言い聞かせるように。

W杯出発前に訪れた墓の前で
8月中旬。

松田選手は、ワールドカップのメンバー発表で日本代表に選ばれた。

ヨーロッパに出発する直前、再び父のもとを訪れた。

■松田力也選手

「たぶん『思いっきりやってこいよ』的なことばをかけてくれると思います。いつもどおり『負けんなよ』とも言われるだろうし。厳しくも優しいことばじゃないかな。一番近いところで見ていてくれると思うから、本当に思いきってやりたいなと思います」


9月8日に開幕するラグビーワールドカップフランス大会。

前回大会を超えるベスト4以上を目指す日本は、直前のテストマッチと強化試合で1勝5敗と苦しんでいる。

チーム浮上のカギを握る日本の司令塔、スタンドオフ松田力也選手。
父への思いを胸にフランスでの活躍を誓う。
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