馬来氏は神門氏系か? | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

出雲神門氏族の小野氏は天葺根命を祖とする日御碕社家日置小野氏という。
真野二郎政方は古庄、朝山を領して300年間余り、政方は社家日置政時の弟で神門郡と近江真野を領していたようです。

小野日置氏は日本海側の出雲から因幡にかけてを領していました。朝山氏が小野の一族であるならば、神門郡に日置伴部が遣わされ政務を担ったのも関係している。祖の地は出雲市伴部辺りになります。朝山氏が大伴氏や勝部を称しているが、元々は小野氏と同族関係だったと見るべきでしょうか?

初代神西城主は日置政近の弟神西小野高通であるとしています。神西城の別称は滋賀県の竹生島からとられた名で竹生城といい水の神龍神より名ずけた竜王山に築城されたのです。神西城が琵琶湖に似た神西湖に近い事も関係しています。

さて幾度も果敢に挑戦してきた馬来氏についてですが、真木氏の一族に岸氏がいるとする記述が気になり、岸氏系図を以前取り上げました。岸氏は山名一族として記されています。もちろん馬来氏も山名一族と記されているので、岸氏と同族という事になりますが、岸氏は美作国に竜王城を築城しているのです。このネーミングは小野一族のシンボルのようなものではないのでしょうか?
であれば、山名一族となった小野系の人物がいたと考えられます。馬来氏の家紋は賜ったものか、元々神西氏と同じ二つ引両であったのかわかりませんが、
同じ家紋であるのには何らかの暗示があるように思えます。

また馬来氏初代の名に綱が入っているのが気になりますが、これは朝山勝部一族が綱を受け継いでいることからも、小野氏が朝山氏であり朝山氏が馬来氏ではないかと思えます。
ちなみに行基菩薩は高志才智の子で、高志氏(こし)です。出雲神門郡には古志町がありますが、大昔越の国から人々が来た伝えています。高志氏は北陸を出身としていますが、畿内にも高志氏があるといいますので、馬来氏が摂津国から来たというのも高志氏に関係があると思います。古志町の隣接地は馬木町、朝山町、神西町なので、すべての始まりの地かもしれません。出雲の古い寺院の仏像は行基の作という物が多いのも関係があると思います。

文面ばかりの記事で申し訳ありません。。。