言い伝えに残る城は存在するのか? | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

今回は言い伝えにある城跡探しです。

出雲市にある珍しい苗字儀満、(よしみつ)、足利氏ではありません。

この儀満家に伝えられている先祖についての記述が『雨森精その周辺』にありました。

儀満家の初代長谷次郎右衛門宗義は石見国安濃郡大田之郷長谷城主長谷加賀守平雄久の弟で兄は邑智郡滝原青杉城主の三善連行の幕下であった。宗義は天正年間に平田に移住したのちに帰農した。
三善氏とは佐波氏の事で一族には尼子家臣の赤穴氏がいます。

さてこの長谷城は実在するのかを検証してみたいと思い、大田市大田町長谷という秘境えと向かいました。




県の遺跡分布調査報告にも記載されない長谷城です。それも出雲に移住した儀満家の伝えですから、地元には残っていないと思います
地図をみると付近には高丸山という、いかにも城がありそうな山があります。しかし長谷という地域ではないような場所ですから、長谷の中にそれっぽい山はないかと探してみるとありました。

標高302'7メートル

これ以外にはないかと。。。
取り合えず登ることにして準備を整えて山へ進入

以外と傾斜がある山ですが、地形図では北側が緩そうです。

所々に巨石群


城が明確な山へ来たのではないので期待はあまりせずに頂上を目指します。

少しだけ景色が見れる高さまで来ました。山頂はもう少し

ようやく山頂です。雑木でわからないと思いますが、そこそこの広さで、右端が少しだけ高くなっています。そこに三角点



問題はここが城跡であるかという点については、ただ平坦になっているだけで必ずしも城跡と言えず不十分ですね。
辺りも郭が連なっている形跡もないため、やはり違っていたのかと引き返す所でした

しかし!

傾斜の緩い北側を降りてみると、そこには一本の横筋が見えるではありませんか!

奇跡的に城跡を見つけました。城というか砦でしょうか。


上部からの堀切



横からの堀切

竪堀となって降る

堀切は一本のみでしたが、これが決め手となりました。

おまけで主郭の切岸

城主とあるけれど拠点の砦であっただろうと考えます。長谷地区が山間の地域で小さな集落形成であるので小領主だったとおもわれます。

これがはたして長谷城であったのかは不明ですが、そうあってほしいものです。

以上