舞鶴城跡 | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

舞鶴城は京都府の舞鶴ではなく、島根県安来市伯太町井尻に所在する山城。

標高152mの山頂部と麓にある井尻八幡宮の背後にある郭群からなっています。


【舞鶴城】

【出雲・隠岐の城館よりイ8】

当城の北西には平の城イ21があり、北方には尼子十砦の高守山城がある。

この舞鶴城の城主は不明。八幡宮の背後には削られた跡がある事から現在の八幡宮は別の場所から移され境内を広くした結果、鳥居から境内に至る部分の郭は消滅してものと考えられます。


八幡宮の背後は櫓台のように高くなっており、周囲を囲む郭があるが北側部分は斜面が崩され無くなっています。さらに奥に行くと高い郭の間に一段低い郭がある。上部の郭を最後に郭が無くなり急斜面となります。










斜面を直登し標高134m付近に二段の郭が確認できます。ここからは傾斜も緩くなり山頂に至ります。山頂部は北側部分と南側部分の中間を土橋でつなぎ、東に一段低い郭を設けています。
南側頂部は溝が見られ、区画された造りであることがわかります。その東側の下方に一段郭を配し、南西側には帯郭を段床状に連ね尾根は背後へと続いています。



【134m付近の郭】

【南側頂部】

【東下方の郭】

【南西帯郭】

【区画溝:中央】

見た感じですが当城は毛利氏の改修の手が見られない事もあり尼子時代に高守山城の背後を守る支城として築城されたと考えます。