宝慈院鶴
本日の画像は、寺院の名前が付いている既成家紋の「宝慈院鶴」です。
我が家の菩提寺は、臨済宗妙心寺派の瑞鳳寺というお寺です。
宗派、つながりで、宝慈院は、何かと気にしていたのですが、実物を見ていないので、寺院紋なのか・・・いつか調べてみたいです。。。
宝慈院は、樹下山(じゅげざん)と号し、「千代野御所」と称する尼門跡寺院の一つで、無外如(むげにょ)大尼によって創建された景愛尼寺の支院です。
寺号は、はじめ資樹院と称したが、応仁の乱の後、宝慈院と改められました。
光巌天皇皇女華林恵厳(かりんえごん)尼が住持の時、如大尼の幼名千代野姫に因んで「千代野御所」と号し、紫衣を許されました。
これ以後当院の住持は、皇族、あるいは公卿の女子と定まり、江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つに列されました。
本堂は天明8年(1788)の大火後の再建され、収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれます。

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我が家の菩提寺は、臨済宗妙心寺派の瑞鳳寺というお寺です。

宗派、つながりで、宝慈院は、何かと気にしていたのですが、実物を見ていないので、寺院紋なのか・・・いつか調べてみたいです。。。

宝慈院は、樹下山(じゅげざん)と号し、「千代野御所」と称する尼門跡寺院の一つで、無外如(むげにょ)大尼によって創建された景愛尼寺の支院です。

寺号は、はじめ資樹院と称したが、応仁の乱の後、宝慈院と改められました。

光巌天皇皇女華林恵厳(かりんえごん)尼が住持の時、如大尼の幼名千代野姫に因んで「千代野御所」と号し、紫衣を許されました。

これ以後当院の住持は、皇族、あるいは公卿の女子と定まり、江戸時代には比丘尼(びくに)御所の一つに列されました。

本堂は天明8年(1788)の大火後の再建され、収蔵庫に安置されている本尊阿弥陀如来像(重要文化財)は寄木造丈六の坐像で景愛寺の旧仏といわれます。


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