Matukawabisi Matubakurosu
本日の画像は、松だけの「松皮菱松葉久留須」です。
百木の長松は中国に於いて古き時代より、風雪に耐え 厳寒にも常緑を保つため節操(主義主張などを固く守って変えない)高き者の象徴とされていました。
また、神仙思想と結合して延命長寿の意味もあり、日本でも常緑である事から「常盤樹」と呼ばれて古くから吉祥樹とされてきました。
一説には、松に神が天から下りて来られるのを「待つ」意味とされ、神の憑代(ヨリシロ、神霊を招き寄せる力を持つ)とされています。
菱紋を初めて家紋として用いたのは清和源氏義光流の武田氏です。
このことは足利時代の「見聞諸家紋」に、これによると永承五年(1050)、前九年の役の時、住吉神社に祈願し、神託によって拝領した鎧の袖に割菱の紋があり、それを用いたと載っています。
①菱紋は二種類に大別される
(1) 主として直線からできた幾何学的模様のもの
割菱・重ね菱・三階菱・松皮菱など
・割菱は斜方形に四分割したもので、武田氏の定紋として用いたので「武田菱」ともいわれます。
・三階菱は菱を重ねたもので、下から上へ小さくなっていきます。
・松皮菱はこれも三階菱であるが、中の菱が上下の菱より大きいものです。
(2) 絵画的で植物の花形のもの
・花菱
・花菱は割菱の四つの菱を花弁の様に美化したものです。
唐花と同じく、実在する花ではなく、想像的に作られたものです。
②姓氏関係
菱紋、花菱紋は清和源氏義光流の代表家紋であり、その一族、子孫も多く使用しました。
又、三階菱と松皮菱は義光の孫の遠光の長男を長清といい小笠原氏を称しました。
この小笠原氏が三階菱と、松皮菱を用いました。その理由はいろいろな説がありますが、藤原時代からの文様であったもの、家紋として用いたもので、武田家が割菱を代表家紋としていたのでそれにならって用いたと思われます。
菱を三つあわせた三菱です(寄せ三菱)として有名です。
これは、武田氏の末裔岩崎弥太郎が、自家の三階菱をアレンジして創案したものだそうです。
百木の長松は中国に於いて古き時代より、風雪に耐え 厳寒にも常緑を保つため節操(主義主張などを固く守って変えない)高き者の象徴とされていました。
また、神仙思想と結合して延命長寿の意味もあり、日本でも常緑である事から「常盤樹」と呼ばれて古くから吉祥樹とされてきました。
一説には、松に神が天から下りて来られるのを「待つ」意味とされ、神の憑代(ヨリシロ、神霊を招き寄せる力を持つ)とされています。
菱紋を初めて家紋として用いたのは清和源氏義光流の武田氏です。
このことは足利時代の「見聞諸家紋」に、これによると永承五年(1050)、前九年の役の時、住吉神社に祈願し、神託によって拝領した鎧の袖に割菱の紋があり、それを用いたと載っています。
①菱紋は二種類に大別される
(1) 主として直線からできた幾何学的模様のもの
割菱・重ね菱・三階菱・松皮菱など
・割菱は斜方形に四分割したもので、武田氏の定紋として用いたので「武田菱」ともいわれます。
・三階菱は菱を重ねたもので、下から上へ小さくなっていきます。
・松皮菱はこれも三階菱であるが、中の菱が上下の菱より大きいものです。
(2) 絵画的で植物の花形のもの
・花菱
・花菱は割菱の四つの菱を花弁の様に美化したものです。
唐花と同じく、実在する花ではなく、想像的に作られたものです。
②姓氏関係
菱紋、花菱紋は清和源氏義光流の代表家紋であり、その一族、子孫も多く使用しました。
又、三階菱と松皮菱は義光の孫の遠光の長男を長清といい小笠原氏を称しました。
この小笠原氏が三階菱と、松皮菱を用いました。その理由はいろいろな説がありますが、藤原時代からの文様であったもの、家紋として用いたもので、武田家が割菱を代表家紋としていたのでそれにならって用いたと思われます。
菱を三つあわせた三菱です(寄せ三菱)として有名です。
これは、武田氏の末裔岩崎弥太郎が、自家の三階菱をアレンジして創案したものだそうです。