ども、僕です。

 

アメブロすっかりごぶさたになってしまいました・・・

気づけばもう5月も下旬、記事は2月末・・・

徐々に更新していきます。

 

2月28日、いわきへ。

四倉から少し北へ。いわき市北部久之浜へ向かいます。

途中国道6号線を走ります。震災後やや高台へ海から離れた場所に移されました。

直線が多く走りやすい道でしたね。

 

久之浜第一小学校の校庭を間借りし、東日本大震災後初の復興商店街として開設した「浜風商店街」。

駐車場の目の前は小学校があります。

食堂や美容院など9つの商店がこの場所で営業しておりました。

この浜風商店街は3月31日をもって営業を終了、それぞれの新しい場所でお店を再開しました。福島、宮城、岩手でも少しずつ復興商店街が移転したり、それぞれのお店が復興に向けて歩き出しています。まだまだ半歩ずつですが復興に向けて明るいニュースが入ってきますね。

ちなみにここの浜風商店街の店舗の壁には

日本はともかく世界各地からこの地を訪れ応援メッセージを書き残しています。

世界から被災地応援をしていてうれしく感じました。

 

つづいては僕が一番気になっていた日本サッカーの施設場に向かいます。

ども、僕です。

間が空いてしまいました・・・

 

今回は2015年1月に行った「いわき~帰還困難区域」から2年、その後をリポートします。

いわきまでは「あぶくま高原道路」という無料(矢吹中央~玉川間のみ有料(310円))の高速道路を平田村まで走りそこから国道49号線をいわき方面へ。

そうすると白河から真東に進むより2~30分時間が短縮されます。

 

さて、最初に向かったのは海のすぐそばにあるいわき市四倉にある「道の駅よつくら」。

ここへ行ったのは2012年10月、この時は

津波で被害に遭った船やがれきが積まれており、

道の駅の中庭も

満潮時には地面から浸水している状態でした。

2017年2月28日には・・・

道も整い

中庭も整備され浸水もなく公園のようになっています。

道の駅の柱には

5年前に見たメッセージが残されています。

この子供たちの悲痛なメッセージをみてそれでも原発を稼働させるつもりでしょうか?

原発はコストがかからず安く電力を供給できます。しかし1986年チェルノブイリ、2011年福島と世界を驚愕させた原発事故が起きてもまるで他人事のように原発を再稼働させる・・・

そこまでして動かす理由が全く理解できません。

 

そしてこの道の駅は海のすぐそばということですが

護岸工事が進められ防波堤が作られました。

津波の備えができたとしても海が遠く感じます。

 

続いてはもう営業が終わってしまった復興商店街をたずねます。

ども、僕です。
 
4月、季節は春になってきていますね。
プロ野球も開幕し、いよいよスポーツのシーズンがやってきました。
 今シーズンの2ndユニ。


ようやくこれを着ることができるぜ☆


そこでこの日、東京へ。
新木場駅前の桜はほぼ満開の状態でした。

そうか、東京は4月初頭で満開か、僕の地域ではあと10日ほど待ちます。
 
さて、鹿児島ユナイテッドFC関東初戦ということで江東区夢の島競技場へ向かいました。

スタンドの近くの桜もこのように色づいています。
 

ここからスカイツリーも見えるんですね~☆
 

さて、試合はというと
FC東京U-23は15歳の久保建英選手に加えオーバーエイジ枠で昨年まで長崎でプレイしたGK大久保選手、元日本代表のMF梶山陽平選手、FW前田遼一選手など1軍半のメンバー編成。
一方われら鹿児島ユナイテッドFCもJ1経験豊富なMF松下年宏選手、DF上本大海選手、タイ人初のJリーガーFWシティチョーク・パソ選手など補強し、J2を狙います(ライセンス交付されれば、ですが)そして監督は三浦泰年氏を迎えます。
 
試合開始後からFC東京ペース。セカンドボールはほぼFC東京が支配、両サイドも鹿児島は守りに終始します。MF久保選手もシュートを放ち、スペイン仕込みのテクニックで年齢一回り以上離れた相手守備陣をかわします。
それでも鹿児島が守り切り前半は0-0。昨年得点王鹿児島FW藤本憲明選手も仕事ができず・・・
 
後半6分、ペナルティエリア内で鹿児島FW中原優生選手のパスをMF松下選手が合わせ鹿児島が先制!J3初ゴールとなります。
さらに後半28分、PKを得て藤本選手が落ち着いて決め2-0。

ゴール裏も盛り上がりが最高潮でした♪
しかしFC東京もフリーキックのチャンスに後半から出場のMF小林幹選手が頭で合わせ1点返します。そこからはFC東京ペースに。久保選手もドリブルからシュートを放つなど攻勢に出ますが鹿児島GK山岡哲也選手がことごとく食い止め反撃を許さず2-1、鹿児島が今シーズンアウェイ初勝利をあげます!

勝利後のあいさつに来る選手も足取りが軽やかに見えました☆
これで勝ち点は9、上には開幕4連勝の福島ユナイテッドFCのみ。
 
勝利したとはいえ、セカンドボールの対応、サイド攻撃の守備など課題は残りましたが
悪いなりに勝ち点を積み上げることも大切です。
しかし、敵ながら久保選手、すごかった・・・あと10分試合が長かったらゴール決められていたかもしれません。
 

さて、あら、また横!?
彼は「じゃんけんマン」といい、鹿児島ユナイテッドFCの非公認キャラだそうで、ホーム戦ではスタジアムFM放送を手掛けています。
たしか3月28日の日本代表ータイ代表戦にもスタンドにいましたね。
終始子供たち(大きい子供さん(笑))に人気でしたね☆
 
J3、あまり注目度は高くはありませんが、選手、サポーターの距離が近いんですよね。
サポーター同士称えあう精神が特に僕は好きです。
 
次回こそは被災地のその後をお送りいたします。

ども、僕です。

ということで3月も中旬ですね。

来月末にはGW・・・はやっ!

 

さて、仙台城跡で伊達政宗像と対面した後、来た道を戻ります。

今度は下り坂になります。

途中で面白いデザインのバスと出会います、これは仙台市内の史跡を80分ほどで周る「るーぷる仙台」というバスだそうです。今度はこれに乗って史跡を周りたいですね☆

 

大手門まで戻り、ふと横を観ると・・・

銅像が立っています。伊達政宗に仕えた家臣「支倉常長(1571~1622)」です。

彼は江戸時代初期に主君政宗の命により1613年、月の浦(石巻)から太平洋を横断し、現メキシコのアカプルコに上陸、そこから大西洋岸に渡り、そこから大西洋を船で横断、スペインのセビリアに到着。スペイン国王と謁見、さらにローマに渡り、ローマ教皇パウルス5世とも謁見。洗礼名「ドン・フィリッポ・フランシスコ」の名を賜り、アジア人として唯一ローマ貴族の称号を得ます。

しかし時の江戸幕府はキリスト教の弾圧が始まり通商交渉は成立せず1620年帰国。

そのまま失意のうちに2年後に死去。

もし、キリスト教弾圧がなければ一躍日本史の表舞台に立ったかもしれませんね。

 

仙台城跡から市内に戻り

やはり牛タンでしょう☆

そしてお目当てのワンプロ主催ライヴ「ゆく申、くる酉」に参戦、楽しかったわ~♪

さてさて僕の2016年はここで幕を下ろしました。

 

次回は、6年経ったあの場所へ立ち寄りました。

ども、僕です。

かなりの期間放置してしまいました・・・

約1ヶ月ぶりなんですよね、アメブロ・・・

 

おまたせしました。続きです。

仙台国際センター駅から徒歩で仙台城大手門~本丸前と来て・・・

「独眼竜」伊達政宗(1567~1636)像です。

政宗の視線の先には・・・

仙台市街地が広がります。

ここは懸造(かけづくり)跡といい、

崖の上に建てられた建物です。

政宗は天守は築かなかった(実は建てる予定があったとか?)のですが、ここは山の下から攻めてくる敵を広瀬川の流れで誘導しここから一斉に弓、鉄砲で一斉攻撃、という天下を狙っていた政宗らしい城の造りでした。

 

すぐ近くには

仙台生まれの詩人「土井晩翠(1871~1952)」の胸像です。

「荒城の月」や詩集「天地有情」などが有名ですね。

さて、ここから駅をもどります。

次回はその途中で見つけた国際的武将を紹介します。