自閉症スペクトラム・中度知的障害の

6歳の女の子を育てている

精神疾患を持つ母親の日常ですクローバー



昨日は心療内科を受診しました。

主治医と障害児育児について話す中で

あなたの育児に対する考え方は
理想的だけれども

それで上手くいくケースもあれば
いかないケースもある

客観性に欠けているのではないか

と言われました。

なんでも
主治医が担当したことのある患者で

支援学校で厳しく指導されていた時には
おとなしくて従順だったのに

作業所に移った途端、問題行動を起こし
それからずっと自宅にひきこもっている
男の子がいるらしく

厳しく指導しなければどうにもならない
子もいるのだと力説されました。

私の心の中は違和感でいっぱいでしたが

主治医はあくまでも私の主治医なので

私が理想とする育児を追求するあまり
キャパオーバーになってしまうのではないか
という懸念が

そのような発言に繋がったのかもしれない
と思いました。

内心穏やかではありませんでしたが
主治医の意見に反論はしませんでした。

主治医と正解のない育児について
意見を交わしあう理由も意味も
見いだせなかったからです。

主治医との限られた診察時間は
私の治療にあてる貴重な時間であり

私が主治医に求めるものは
私の育児に対しての
アドバイスではありません。


私には障害児育児をするうえで
指標にしている心理師さんがいます。

私のメンターといっても
過言ではありません。

それは、心理師さんと出会った
4年前からずっと変わりません。

4年間、私なりに発達障害について学び
色んな支援者さんと出会い
色んな経験をしましたが

その想いは今も変わりません。

私は自分に自信がなく
人の意見に流されやすく
すぐに不安になってしまいますが

育児に対する方針
心理師さんに対する絶対的な信頼は
この先もきっと揺らぎません。

私は自分を信じているのではなく
メンターである心理師さんを信じている
からこそ揺らがないのかと思っていましたが

よく考えると私は

心理師さんの障害に対する考え方
子供達に向ける優しい視線
ご著書の中で語られている想い
生き方

それらを知った時

その全てに心が震えたのです。

私はその時に感じた
自分自身の感覚を信じています。


『何度でも』という
ドリカムの曲が好きです。

歌詞をネットより
引用させていただきました。


10000回だめでも
10001回目を信じられる私で
娘と向き合っていたいです。


主治医には診察の最後に

たとえ理想論だとしても
希望がないと私は前に進めません。

辛い現実だけをただ見つめて絶望して
立ち止まるのは嫌なんです。

と伝えました。


私はできた人間ではないので
時々全てを投げ出したくなります。

それでも、進むべき道が分かっている
ということは幸せなことだと思っています。




長くなりました。

最後まで読んでくださり
ありがとうございましたクローバー