30歳のときって何してた?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
先日、知り合いの男の子が30歳を迎えた。
それを聞いて、
夫:「彼もついに30歳かぁ。・・・僕が30歳のときって、何してたっけ?」
私:「・・・・・・無職」
夫:「 ( ゚ ▽ ゚ ;)!!!!! ・・・ああ、そうでしたね。ハハ…ハ…」
結婚してから約3年後の2003年末、夫が無職になった。(初カミングアウト)
このブログのタイトル、「海外駐在2度目」としてるけど、
実は1度目と2度目、夫が勤めている会社は異なる。
転勤族ならぬ、転職族の妻、とでもいうべきか。
「何で無職になっちゃったの~?」と思った方、
またまた長文ですけど、よかったら読んで下さい↓
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2000年の春、夫(当時は未婚状態です)はそれまで勤めていた会社が規模縮小することになった為、
転職活動を開始。
職安で紹介された会社を訪問すると、
「マレーシアにある工場をマネージして欲しいんだけど」という話を持ち掛けられた。
夫はそれまで東南アジア圏には足を踏み入れたことはないし、
おまけに他に日本人駐在員はいない、とのこと。
「あれこれ悩むより、とりあえず行ってみる」と、2000年の暮れには単身渡馬してしまった。
日本に残った私は何を考えてたか?
なんとなくズルズル、気がつけば付き合い始めてから5年超だったので、
「これを機に結婚できちゃうかも??」とものすごくワクワクした気持ちでいた。
私の両親は「ついて行きたいなら、ちゃんして(つまり入籍して)から行きなさい」と
特に反対はしなかった。
そして半年後に入籍、私も渡馬。
マレーシアの工場は立ち上げたばかりで、(一応)経営者となった夫は
経理、営業(飛び込み)、人事…等々、全てゼロからひとりでやらなくてはならなかったので、
朝は暗いうちから出掛け、深夜に帰ってくる日々が続いた。
(気がつくと、昼間ちゃんと着替えてるのに、パジャマ姿でしか会ってないという…)
ワクワクした気分で過ごせたのは、最初の1ヵ月くらい。
私は唯一の話し相手と話す時間もなく、頼みの綱の紀伊国屋も撤退してしまい、
おまけにネットも繋がっていなかったから、「誰とも話さない日々」が本当に辛かった。
(変なサークルでも、人を求めちゃったこの気持ち、わかってもらえるかしら?)
何とか工場が軌道に乗り、従業員も増えてきてそこそこうまく行ってたのだけど…
日本の本社といろいろあって、(←詳細を書くと2日くらいかかりそうなので割愛します)
2003年末、残念ながら工場を閉鎖することに。
夫は本社に席を用意されたけど、それまでマレーシアの工場の問題点を
解決しようとしなかった体質に嫌気がさしていたので、これを拒否。
こうして、夫は無職となって日本へ本帰国することになったのだった。
(悩み過ぎて49㎏位に激ヤセした)夫と、帰国の為の引越しのお手伝いをしてくれた従業員の方々。
皆さんが幸せであることを祈ってます。
無職となった夫と、どう乗り越えてきたか。
それは次回の講釈で(西遊記(マチャアキの)っ芥川さんぽく言ってみた)※芥川氏…ナレーターです
こんな長文を読んで下さった方、ありがとうございます。
ついでにポチポチ、宜しくお願いします。
