メキシコ回想記8.バハカリフォルニア縦断
僕は何のために、旅をしていたのだろう?
自分の人生を変えたいとは思ったのだろうか?
今ある人生の経路の全てをそれて、新しい人生を送りたくなったのだろうか?
今、僕は、人生の経路を変えることは可能だろうか?
今、僕は、今ある人生の道を歩んでいく必要があるだろうか?
守りたいものはあるだろうか?
捨てられないものはあるだろうか?
ゆっくり、考えればいい。
もし、捨てて、新しい道を探してみたいのなら、旅に出よう。
人生は一度しかない。
選ぶのは、自由だ。
この日本に生まれ、この時代に生まれ、恵まれているのに、何もしないのは、勿体ない。
僕は旅に出たいのだろうか?
君は旅に出たいだろうか?
ティファナからラパスまで、長いバスの旅があった日を覚えている。
24時間、バスに揺られ、バハカリフォルニアを縦断した。本州を縦断するような距離だったかもしれない。
まずは、ティファナから太平洋西岸のエンセナダという街までバスで移動する。バハカルフォルニアの北端あるティファナから南端のラパスまで行く方法はない。
メキシコでは大半がバスでの移動となる。そうでなければ飛行機でショートカットする。基本はメキシコ横断の旅だからバス移動が基本だ。
ティファナからエンセナダまではバスでの最初の移動となった。
ティファナからエンセナダまでは一時間ほどの移動だ。
僕はここで、アマという名前の少年に出会った。だいたいのバスは二人掛けになっている。隣に座った高校生がアマという少年だった。
メキシコ人といっても様々な人がいる。彼は恐らくかなり優秀なメキシコ人だっただろう。僕が日本人だと知ると興味を持って話しかけてきた。
2004年当時、僕が持っていたCDウォークマンを見て、「薄いなあ!すごい技術だ!」と英語で感嘆した。ソニーのCDウォークマンを見て、とても関心していたのを忘れはしない。「僕のはモトローラだ。これもいいだろう?ドイツはすごい。日本もすごいなあ」と感心していた。
世界的にも、日本とドイツの技術はスバ抜けていたのだろう。電化製品はソニー、車はトヨタ、メキシコでも当たり前のように売られていたことを覚えている。アマもそんな日本の技術に感嘆していた。
日本人として生まれたこと、その恵まれた世界に、少し誇りを感じた。僕はアマに東京の様々な科学について話したのかもしれない。つたない英語で話した。彼が目を輝やかせて、嬉しそうに聞いていた。
その出会いを忘れはしない。今日、彼は立派な科学者として、どこかで働いているだろうか?ひょっとして日本にいたりして。そんな事を少し思い、、、。
エンセナダについて、彼は唯一知る日本語「ありがとう」と言って去っていった。
僕は正午のエンセナダ発ラパス行きのバスを待って、僅かばかりの時間を過ごした。
エンセナダからラパスまでは長い道のりだった。二人掛けの隣の席にはメキシコ人のおじいちゃんが座った。僕があまりスペイン語を話せないのを確認すると、僅かな挨拶をして、後は話さなかった。
だから僕は窓際の席で、ずっと外を眺めていた。数メートルある巨大なサボテンが地表から生える乾いた大地を眺めていた。
他には何もない広大な大地だ。夕暮れになり、家も何もない、人工物の一切ない、大地しかない。地表に大きな夕陽が沈むのを見ていた。自然の大地。どこまでもどこまでもそれが続く。そういった場所に来ると、人間の小ささを感じる。
『人は、地球という大地の一部に街を作って住んでいるだけなんだ』
そう、思わされる。
やがて、闇に包まれ、眠った。
長い長いバスでの旅立った。
夜中には何もない町で、トイレ休憩を取った。途中に物売りのメキシコ人がバスに乗り込み、タコスやら何やらを夜食を売りにきた。旅人はそれを飯に、24時間近い、長い旅を過ごす。
翌朝の日が昇り、目覚めるころに、バハカリフォルニア南部のラパスのバスターミナルへ長距離バスは辿り着いた。
『旅をしたな。ああ、あれは旅だったな』
長く無駄な時間だったけれど、長距離移動が一番旅をしたな、感じる時間だったのかもしれない。
自分の人生を変えたいとは思ったのだろうか?
今ある人生の経路の全てをそれて、新しい人生を送りたくなったのだろうか?
今、僕は、人生の経路を変えることは可能だろうか?
今、僕は、今ある人生の道を歩んでいく必要があるだろうか?
守りたいものはあるだろうか?
捨てられないものはあるだろうか?
ゆっくり、考えればいい。
もし、捨てて、新しい道を探してみたいのなら、旅に出よう。
人生は一度しかない。
選ぶのは、自由だ。
この日本に生まれ、この時代に生まれ、恵まれているのに、何もしないのは、勿体ない。
僕は旅に出たいのだろうか?
君は旅に出たいだろうか?
ティファナからラパスまで、長いバスの旅があった日を覚えている。
24時間、バスに揺られ、バハカリフォルニアを縦断した。本州を縦断するような距離だったかもしれない。
まずは、ティファナから太平洋西岸のエンセナダという街までバスで移動する。バハカルフォルニアの北端あるティファナから南端のラパスまで行く方法はない。
メキシコでは大半がバスでの移動となる。そうでなければ飛行機でショートカットする。基本はメキシコ横断の旅だからバス移動が基本だ。
ティファナからエンセナダまではバスでの最初の移動となった。
ティファナからエンセナダまでは一時間ほどの移動だ。
僕はここで、アマという名前の少年に出会った。だいたいのバスは二人掛けになっている。隣に座った高校生がアマという少年だった。
メキシコ人といっても様々な人がいる。彼は恐らくかなり優秀なメキシコ人だっただろう。僕が日本人だと知ると興味を持って話しかけてきた。
2004年当時、僕が持っていたCDウォークマンを見て、「薄いなあ!すごい技術だ!」と英語で感嘆した。ソニーのCDウォークマンを見て、とても関心していたのを忘れはしない。「僕のはモトローラだ。これもいいだろう?ドイツはすごい。日本もすごいなあ」と感心していた。
世界的にも、日本とドイツの技術はスバ抜けていたのだろう。電化製品はソニー、車はトヨタ、メキシコでも当たり前のように売られていたことを覚えている。アマもそんな日本の技術に感嘆していた。
日本人として生まれたこと、その恵まれた世界に、少し誇りを感じた。僕はアマに東京の様々な科学について話したのかもしれない。つたない英語で話した。彼が目を輝やかせて、嬉しそうに聞いていた。
その出会いを忘れはしない。今日、彼は立派な科学者として、どこかで働いているだろうか?ひょっとして日本にいたりして。そんな事を少し思い、、、。
エンセナダについて、彼は唯一知る日本語「ありがとう」と言って去っていった。
僕は正午のエンセナダ発ラパス行きのバスを待って、僅かばかりの時間を過ごした。
エンセナダからラパスまでは長い道のりだった。二人掛けの隣の席にはメキシコ人のおじいちゃんが座った。僕があまりスペイン語を話せないのを確認すると、僅かな挨拶をして、後は話さなかった。
だから僕は窓際の席で、ずっと外を眺めていた。数メートルある巨大なサボテンが地表から生える乾いた大地を眺めていた。
他には何もない広大な大地だ。夕暮れになり、家も何もない、人工物の一切ない、大地しかない。地表に大きな夕陽が沈むのを見ていた。自然の大地。どこまでもどこまでもそれが続く。そういった場所に来ると、人間の小ささを感じる。
『人は、地球という大地の一部に街を作って住んでいるだけなんだ』
そう、思わされる。
やがて、闇に包まれ、眠った。
長い長いバスでの旅立った。
夜中には何もない町で、トイレ休憩を取った。途中に物売りのメキシコ人がバスに乗り込み、タコスやら何やらを夜食を売りにきた。旅人はそれを飯に、24時間近い、長い旅を過ごす。
翌朝の日が昇り、目覚めるころに、バハカリフォルニア南部のラパスのバスターミナルへ長距離バスは辿り着いた。
『旅をしたな。ああ、あれは旅だったな』
長く無駄な時間だったけれど、長距離移動が一番旅をしたな、感じる時間だったのかもしれない。