EmT.48 友人Hのモロッコ外伝 | 小説と未来

EmT.48 友人Hのモロッコ外伝

1999年12月8日、僕はオランダにいたが、オランダに来たのは友人Hのモロッコ話を聞いた為でもある。彼の一人冒険記は、その間スペインのアンダルシアでダラダラと過ごしていた僕の心を刺激した。

 というわけで、話は1999年11月17日まで戻り、17日から25日までの「友人Hのモロッコ旅行」について、少しだけ触れてみたいと思う。


 友人Hの話だからあまり多くは覚えていない。自分の記憶さえ定かではないのだから、他人の旅の記憶まで覚えているわけがなくて当り前かもしれないが、それでもその話はセビーリャでの再会後、何度も聞いた話だから深い記憶として刻まれた。

 しかしその記憶もだいぶ薄れた。覚えている限りの話をしよう。


 モロッコには、スペインのアルへシラスという町からフェリーで30分ほどで渡れる。特に観光ビザで入れるので、パスポートを差し出せばすんなり入れたと言う。

 初日はまだアルヘシラスだった。友人Hは浮浪者のようなおじさんに会ったという。そのおじさんは金はたんまりと持っているのだが、わざと金のなさそうな身なりをして、世界中を放浪しているそうだ。本当かどうかは知らないが友人Hはそう言っていた。

 そしてその放浪おじさんに無料の食堂を紹介された。付いていくとそこは浮浪者のための配給施設だった。まあ無料だが、、、、ですね。飯はまずくはなかったらしい。

 そんな一日目の出会いの話から、友人Hの話は始まった。


 モロッコに渡り、最初に出会ったのは子供達だった。どんな子供達かといえば、「マネープリーズ」というような極貧の子供達だ。インドを旅した人がそんな話をしていたが、モロッコも同じようだ。貧しい人間が多い国だと言う。またマリファナを吸う人間も多く、昼間から路上の脇でラリっているダメな人間もたくさん見たとの事を聞いた。モロッコはインドのような国という印象が出来た。

 そんな貧乏小僧を振り切り、やってきたのはタンジェという町。地中海沿いの町だが、やはりヨーロッパとは違う独特の雰囲気を感じたそうだ。イメージは殺風景という感じだろうか?きっとそんな感じだろう。同じ白い家の集落でも何かが違うらしい。

 友人Hはすぐに子供達に囲まれてしまうので、一人のガイドを雇った。一人雇うとそのガイドの少年少女が近づくものを追い払ってくれるようだ。

 そして彼は数日間をタンジェで過ごした。


 安っぽい物騒なホテルに泊まったそうだが、どこも同じ感じだったそうだ。

 毎日同じ食堂に行って、毎日同じバーに行く。友人Hも僕と比べてさほど大冒険旅行をしていたわけではないのだが、その雰囲気一つ一つがヨーロッパとは違い新鮮だった事を熱く語っていた。

 食堂ではアブドゥーが二人いて、店主はウエイターのアブドゥーを呼んだり、厨房のアブドゥーを呼んだりするのだが、どちらのアブドゥーも間違えずに返事する。そんな食堂に通い、いろいろと仲良くなったという話をしていた。バーだかなんだかでは、女の子を紹介され、紹介した男がその女の子との結婚を勧めた、みたいな話をした。アラビア美人だったらしいが、さすがにそれは断ったそうだ。

 モロッコではお金のある日本人がもてるのだろう。


 ある日の話、友人Hはいつものように夕飯を食べて、ホテルに帰ると、誰かにつけられた。最初は気にしないようにしていたが、ホテルに戻っておとなしくしていると、つけてきた何者かはドアをノックしてきた。ホテルの従業員でもなさそうだし、彼を訪れる人物がいるはずもない。そう思った彼は無視をしていたが、ノックはやまない。きっと開けた瞬間に殴りつけられ、物を盗まれると思った彼は、ドイツで買ったナイフをバックから取り出した。

 そしてナイフの刃を出して、いつでも切りつけられる準備をして、ドアの内鍵を外した。かなりドキドキ、びくびくだった。ドアノブを開く。そしてナイフの刃を向ける。

 そこに立っていたのはレストランの店員だった。

「あの、食事代を」と言われた。

 友人Hは飯を食った後、そのまま金を払わずに帰ってきてしまったそうだ。すでになじみで泊まっているホテルを知っていた店員が彼の部屋までやってきたのだという事に、そこで彼は気づいた。

 僕も時々思っていたが彼の物忘れは時々困らされる。まさかモロッコ人まで困らせているとは思わなかったが。


 数日後、友人Hは内陸の街、フェズへと移動した。

 フェズは内陸の町で、彼はせっかくだから砂漠を目指そうと思い、まずはそこまで行った。フェズにはメディナと呼ばれる狭い路地が迷路のように入り組んだ場所がある。そこに迷い込んだら土地を知らない人間では二度と出てこられない。と友人Hはガイドに雇った少年に言われたそうだ。

 だから路地には奥まで入り込まなかったそうだが、彼はその路地にぞくぞくと恐れを感じたようだ。その話も僕の心には強く残っている。

 アフリカの移動はバス。しかもヨーロッパのように道が良くないようで、散々疲れたことを言っていた。後でけつが痛いと言っていたのもこのせいだったのかもしれない。

 砂漠は岩砂漠だった。いわゆるあの砂の砂漠でなく、まださらさらにならない風化した岩の大地だ。それはそれで何もない風景を感じることができたのだろう。砂の砂漠はかなり南の方まで行かないとならないらしく、それはあきらめて、彼は戻ってきた。


 それから、カサブランカには行ったと言っていただろうか?それ以外の事はあまり覚えがない。

 そんな風にして友人Hはモロッコで1週間程度を過ごした。彼の彼らしい旅行に思う。確かにヨーロッパに比べたらカルチャーショックが大きそうだ。友人Hが感じたその全ては一緒に旅行していた期間ではなかったようなエネルギッシュな話だった。

 僕はそんな話を聞いて、このままでいいのかと思った。自分も何かを感じなくてはいけない。そんな思いに強く駆られた。モロッコには行かないけれど、僕は僕なりにどこかへ行きたいと思った。そして選んだ結果、オランダとなった。結局はヨーロッパだけど、最後の一人旅、僕ももう少し何かを得て成長するにはそこしかないと思った。


 11月25日、モロッコから帰ってきた友人Hと僕はセビーリャで無事再会した。そして12月8日、今度は一人パリを離れ、オランダへと一人旅に出たのだった。


つづく。