EmT.46 マドリード
1999年12月4日、マドリードを出て、国境の町ヘンダヤ行きの列車に揺られていた。6人座席に腰掛け、背もたれを倒すことも、わずかに動くことも、出来ない列車で、とても眠れる状態ではなかった。
本来なら、12月3日の朝、リスボンを出た夜行列車がマドリードに着いたその日に、そのままマドリードには立ち寄らずにパリを目指して乗り換えの列車に乗っているはずだった。しかしどの列車もいっぱいで、僕らが手にすることが出来た切符は、その12月4日夜発の列車のみだった。
僕らにはマドリードに立ち寄りたくない理由があった。ここまで来るまでに出会った日本人がマドリードで危険な目に合っていた。もちろん全ての人がそうだったわけではないが、記憶に残る嫌なイメージがすでに残っている。
ある人は、ホテルに入ろうとした瞬間、殴られて意識を失い、全ての荷物を盗まれたと言っていた。
またある人は、ナイフを首に突きつけられ、財布を脅し取られたと言う。
しかもマドリードの駅では雪が降っていた。酷く寒かった。スペインには大寒波が押し寄せていた。
そんなマドリードには寄りたくなかったのだが、列車もないのでしかたなく一泊する事となった。
駅では、少年達が逃げ回っていて、警官が追いかけていた。何をやったのかわからないが、普通におかしな状況だ。しかしスペインの人々は当り前のようにしている。きっと日常茶飯事なのだろう。
地下鉄に乗り、最大の警戒をしながら街の中心へと移動した。
ホテルは出来るだけわかりやすい通り沿いのホテルにした。あまり狭い路地の安いホテルでは安心が出来ない。それなりのホテルに泊まった。
友人Hはずっと尻が痛いらしく、薬屋で薬を買うと、後はずっとホテルで過ごしていた。僕も黙ってホテルにいればいいのだが、なんだか落ち着かずに街へと一人出た。一応、千円程度の金を持って、後は何も持たずにホテルを出た。
歩いていると、後ろから3人のアラブ系の男が付けてきた。まさかとは思ったが、嫌な予感がしたので、広場まで早歩きで移動、そこにあった小さな売店で物を買うふりをして、3人の行動を伺う。
3人組は僕に近づいてくる。そして僕を取り囲んだ。やばい!とは思ったが何も出来ない。3人組は僕の身体を取り調べるかのようにあちこちをぺたぺたと触りまくってきた。そして何も持っていない事を理解すると、何らかのスペイン語だかアラビア語だかを喋りながら、どこかへ行ってしまった。
何も持たずによかったが、財布でも持っていたらどうなったか、と思う。
僕はその後、ノミの市といわれる露天をやっている入口まで行く。でもさっきの嫌な恐怖感が残って、とても観て歩く気にならない。お金もないし、落ち着かないのですぐに帰った。
その日は、その後、復活した友人Hとデパートに行った。革の財布が欲しいという友人Hの付き合いだ。友人Hはそこで財布を買った。しかしそこでもまたどこかの男が警官に捕まっているのを見た。マドリードはやはり危険な街だ。
夜は中華で飯を食べ、ホテルに戻った。
翌日は映画を観て過ごした。街を歩くよりはその方が安全だと考えた。500円程度で入れるし、時間を潰すにはよい。
映画はスペインの映画を観た。どうせ全てスペイン語に吹き替えられるので何を観てもよくはわからない。日本で言うと、三谷映画みたいなコント映画だった。なんだかよくはわからないがスペイン人の観客は笑って、手を叩き、皆楽しそうに見ていた。映画を楽しんだというよりその雰囲気を楽しんだ気がする。
そしてその夜、僕らはマドリードの駅からヘンダヤ行きの列車に乗った。危険地帯マドリードを僕らは無事に何事もなくクリアすることに成功した。
しかし疲れる列車だ。身動きの取れない椅子に座って、目を瞑る。旅の疲れは何かと限界に達している。この時ばかりは早く日本に帰りたいと思ったものだ。
パリへと戻る。