雨に沈む町 27.春の仮病
晴れ渡った3月のある朝、揮宇は仮病を使い、山へと向った。
体調が悪いといえば悪い。どことなく風邪だといえば風邪を引いているような気がする。
そう言って自分をごまかす。
揮宇は如月葉月に会おうと思った。
どうして彼女に会おうと思ったのか、揮宇はその理由をはっきりとはしていない。
如月葉月とはこの町に来て初めて会った相手だ。そのせいか、それともただ彼女の明るさに触れたかったのかもしれない。
今日も渓流の流れる音がする。木々は露に濡れて、のっぺりしている。そんな川傍の木々の匂いが鼻に付く。
滝のような川が流れる脇の坂道を上る。
きっと雨の日にはこの道も上れなくなるのだろうと、揮宇は思う。
如月葉月の家はそんな山道を登ったところにある。
独特の雰囲気は変わらない。今日もこの辺りは霞がかっている。
丸太の家にはチャイムも付いていない。揮宇は扉をノックする。
誰も出てくる気配はない。
思い切って、扉を開けてみる。そして大きな声を発する。
「すみませーん!」
声を張り上げてみる。
しばらくして、パジャマ姿の如月葉月が奥の方に姿を見せた。
彼女はちらっと顔を見せたが、すぐに扉の裏へと消えていってしまった。
どうしていいかわからない揮宇だったが、そのまま十分程度待った。
如月葉月は黒いセーターに膝上の赤いスカートを穿いて、髪の毛が艶々にして再び現れた。
「びっくりするじゃない!」
と、彼女は怒ったように揮宇に言う。
「どうしたの?まあ、どうぞ」
彼女は家の中に揮宇を招き入れた。
揮宇は如月葉月の姿に少し女らしさを感じてどきりとした。
「一人なの?」
と、揮宇は如月葉月に尋ねる。
「そう、お父さんは町役場の人に呼ばれて。お母さんは買い物。おじいちゃんはダムを見に」
「今日は君が買い物に行かなかったんだ」
「うん、ちょっと風邪気味だったから」
「そう、奇遇だね!僕も風邪で休んだんだ」
「え、そうなの!」
「うん、仮病だけどね」
「それって風邪って言わないよ!」
「そうだね」
と言って、揮宇は苦笑いを浮かべる。
「それで、どうしてここに?」
「ああ、君と君のお父さんに会いに来たんだ」
揮宇は如月葉月のお父さんにさほどようがなかったが、なんとなく照れて付け加えてしまった。
「どうしたの?」
「ああ、実はね、雨静海町(あめしずみちょう)を出てゆこうと考えているんだ」
「出てっちゃうの?」
と彼女はびっくりする。
そう、それが揮宇の答えだ。
「そうなんだ。
よかったね」
少しだけ、沈んだ顔をした如月葉月だが、すぐに笑顔に変わった。
その笑顔はとても優しい笑顔だった。揮宇の目にはその笑みが焼きついた。
「そうかそうか」と言いながら、彼女は立ち上がった。そして、何も言わず裏に消えていった。
数分後に、彼女はこの間出してくれたのと同じ、ジャスミンティーを出してくれた。
相変わらず心安らぐ味のするジャスミンティーだった。
「これはほんとおいしいよ」と、揮宇は言った。
「ありがとう」と言って、如月葉月は笑顔を浮かべた。
それから如月葉月は家族の他愛のない話をした。
本当にどうでもいい話だった。
一通り終ると、揮宇は自分はこの子の事が結構好きである事に気づかされた。
「でも」と、揮宇は口から出ていた。
何が『でも』なのか、如月葉月にはわからなかった。
「でも?どうかしたの?」と、如月葉月は尋ねる。
「いや、そろそろ行かないとね」
「うん、そうだね」
揮宇は素直な如月葉月に少し戸惑う。
でも少しだけその優しい笑みに大人らしくなった彼女を思う。
少しだけ別れ惜しくも思うが、どちらかというと元気が出てきた揮宇であった。