60-2.生まれ変わる日.〈終〉 | 小説と未来

60-2.生まれ変わる日.〈終〉

 成田空港に着いたのは、朝7時過ぎ、チェックインを通って、式羽と別れる。


「じゃあな」と式羽は嬉しそうな、悲しそうな笑みを浮かべる。


「いろいろと世話になったな」と、響。


「いろいろって、まあ、あっちばかり…」


『ポカ』と、 響がそこで式羽の頭を叩く。


 そんな感じで、式羽はいつもと変わらない。いつもと変わらない人がいなくなる。今度こそは本当に長い別れになる。その事を響は知っている。そして共に過ごすさくらとは長い付き合いの始まりでもある。今はまだうまくどうしていいか解り合えていない二人だが。

 式羽はそんな二人を心配しながら、遠くで手を振っていた。


 出発ロビーに辿り着く。

 朝のニュースでは、嶋咲枝に代わる補選の選挙人が選ばれた事をやっていた。

 彼女における捜査は進展のないまま、ニュースで報道されている。しかしこの不況の中では一議員のどうだこうだは野党の批判を浴びる程度で、総理大臣の顔に比べたら出番もとても少ない。

 補選の男は選挙区の街頭で大きな声を張り上げて、オバマのように叫んでいる。響はその顔を知っている。見た事のある顔、そして二度と会いたくない顔だ。しかしその顔がそこに映されている姿を見て、響は大きく安心した。

 その男は斉藤だ。

 いや、今は平田という名で演説をしている。正しくは平田、それが彼の名前だ。

 あの男は嶋咲枝が殺されて、勇姿を見せて立ち上がるというシナリオを描いていたのだろう。その思惑は失敗に終わり、今は与党を何とか立て直すための顔を見せている、ただの若手一議員にしか過ぎない。少なくても嶋咲枝の失脚でチャンスはやってきた。彼はその姿を必死で見せていた。

「時代は変わる。新しい力で、この苦しい時代を乗り切っていかなくてはなりません」

と、男は声を張り上げて演説している。

『いや、時代は変わらない。ただ、立場が変わるだけだ。おまえ自身がその事は一番よく知っているはずだ』

 響は心の中で、斉藤と名乗っていた男にそう言い返した。当然声は届かないが。


「どうかしたの?」と、さくらが不思議そうな顔をして響に聞く。

「いや、なんでもない」

 さくらはまだいろいろな事を知らない。響はまださくらに自分の十分の一も話していない。それはいずれ少しずつ語らなくてはならないことだろう。でも話はあまりに複雑で長すぎる。だから今は語れない。それに響もさくらの事を十分の一も知らない。二人はまだ互いの事を知らない事だらけなのだ。でも時間はまだまだ長くある。二人はまだ二十歳と十九歳だ。まだまだ長い人生の出発点にしか過ぎない。これまでの事はこれからの長い何十年という時間の中で語り合えるだろう。そして過去を語る以上に長い時間を共有しあえることになるだろう。


 パリ=シャルルドゴール空港行きの飛行機が搭載準備に入る。年の瀬も迫り、人々も多く見受けられる。いろいろな事が始めての二人に不安はつき物だ。

「さあ、行こう」と、響がさくらに声を掛ける。

 不安と喜びに胸を躍らせるさくらが頷く。

「俺たちにはこの先の未来がある。君の夢を叶えに行こう」と、響は言う。

 さくらは嬉しそうなはにかんだ笑みを浮かべる。

「ありがとう」と答える。

 響は俗世から離れる。その先には新しい俗世が待っている。響はその事を感じながらも、手に入れた一つの幸福を絶対に失わないように心に強く刻み込み、さくらの手を握り締めた。

 二人はゆっくりと搭載口の先へと歩みを進めた。


 二人は機内に乗り込んだ。

 そして外国人の方々に囲まれて、新たな世界を感じ始める。二人はそんな空気を感じながら互いを見つめ合う。そして互いは互いに安堵する。それが新しい世界での生活の第一歩となる。どんな不安も二人一緒なら乗り越えてゆけるだろう。


 上野響の物語はここで終わるが、ここからは嶋涼としての新しい物語が始まる。それは語られる事のない物語だが、長い長いこの先の嶋涼としての物語は彼自身が作ってゆくこととなるだろう。幸せな物語など誰に語るものでもないのだから、暗闇から抜け出した先にある世界の物語は、涼とそれを囲む人だけの物語としておこう。