58-2.嶋咲枝からの手紙 後半
嶋咲枝の手紙の続き
『政治家になる際、私は派閥と一つの取引をしていました。
それは派閥の裏金となる資金源を麻薬で稼ぐという事でした。
私はその裏の仕事をまとめ上げる役を受け、派閥からのバックアップにより衆議院選に勝ちました。
先日逮捕された暴力団が起こした麻薬事件には私も関わっているのです。
(柏木守が伊豆の工場から持ち帰った麻薬は、ある暴力団の幹部が逮捕される事で幕を閉じていた)
というよりは私が主導で彼らに持ちかけた犯罪なのです。
その頃の私は善も悪もなく、世をだます事も恐れてはいなかったのです。
だから裏金作りを楽しんでいました。
脱税の容疑となった会社〈ブロッサムスプレイ〉もその裏金を利用して、私が立ち上げた会社です。
政治界は麻薬と裏金の事実を何らかの方法で捻じ曲げて、表沙汰にはならないようにするでしょう。
しかし事実、私は麻薬を使って裏金を作っていたのです。
私は世に麻薬をばら撒き、世の常人を狂わせた元凶の一人なのです。
それは許されざる犯罪です。
そしてその犯罪を通して知り合ったのが、月島雅弘であり、私の息子である涼でした。
住む家のなかった私の息子は月島雅弘に拾われて、麻薬を運ぶ仕事を手伝っていました。
こんな出会いであった私たちにはもう平和に戻る形など失ってしまっていました。
だから私は息子の命の安泰を望みました。
自分の手の掛かるところで、形はどうあろうと置いておきたくなったのです。
私はせめてもの償(つぐな)いに、孤児院への寄付を始めました。
〈ブロッサムスプレイ〉での仕事の一つに、孤児院を調べ、そこに寄付をする事もありました。
あなたと出会ってからの数年間、私にも心と呼べるものが僅かでも戻っていたのかもしれません。
正しい形でないにしても、私は息子を思い、息子のような不幸を作らないために力を注ごうとしたのです。
孤児院調査には、月島雅弘の所にいる少年が、本当に私の息子なのかを調べるためでもありました。
私の思い込みで、本当は別の所に息子が預けられているのでは?という期待を持っていました。
しかし調べれば調べるほど、麻薬の手伝いをする少年が私の息子である事は確証されていったのです。
そして今から一年と五ヶ月前、私は月島雅弘を殺す事となりました。
「面倒な仕事はあのガキにやらせておけばいい。
失敗して死んだって、あのガキの身元はわかりゃしねえ。あんたにも及ばない。
その分、俺にはもう少し楽な仕事をさせてくれ」
そんな事を口にしたあの男が、私には許せなかったのです。
あの男だけでなく、私自身の性癖、それから中下への溜り込んだ怒りが胸の内を貫きました。
私はその男を殺そうとナイフを取り出し、男の胸を一突きしました。
まさか私に刺されるとは思ってもいなかった、その男はナイフを胸に驚いた顔をして死んでいました。
私もその男をそんなふうに殺す事になるとは考えてもいませんでした。
でも怒りは突如襲い、どうしようもなく理性を失わせるものでした。
それが人という生き物なのか、私という人間にのみ起きる事なのか、今でも私にはわかりません。
息子は私の事を恨むようになりました。
息子は育ててくれた男に恩義を感じるような優しい青年に育っていました。
私は涼に殺されるのなら、それが本望(ほんもう)だと感じていました。
最初はそう思っていたのですが、それは違っていました。
息子は私などが及びもしないくらい立派な青年に育っていました。
一ヶ月前に起こった伊豆の爆発事件も私の責任によるものです。
そこに集まった者たちは薬物を恨むものたちでした。
息子はその者たちの考えを理解し、私の仕事から手を引き、その者たちに加わったのです。
しっかりとした意思を持ち、何が正しく、何が誤りかを判断できるほどに成長していました。
何より涼は私を殺す事をしなかった。私への恨みを捨て、私をただ愚かだと言いました。
涼にはまだやり直せる道があるのです。
私はそれを感じ、立派に成長してゆく我が子の未来を望みました。
そして我が子の成長を感じながら、私自身も生きたいと望むようになりました。
こんな私をあなたがどのように思ってくれるかはわかりません。
でもここに書いた全てが私の事実です。
警察や政治家はこの事実を闇の中に葬り去ってしまうでしょう。
あなたが何を信じてくれるかはわかりません。
でもあなたなら、私の事を信じてくれるのではないかと信じております。
もし私の息子に会う事ができましたら、息子の手助けをしてあげてほしいと願います。
このようなお願いは厚かましい次第である事は重々承知しております。
しかし息子にはまだ手助けが必要です。
パスポートを渡し、海外で一からやり直すように勧める事まではできましたが、
パスポートしかない若者にはまだ多くの困難が待ち構えている事でしょう。
涼が一人の人間としてこの世に生きられるようになるまで、その力になってほしいのです。
本来なら私がその道を作らなければならないのですが、私にはそれができなくなってしまいました。
あなたにお願いするのは筋違いかと思いますが、他に頼れる人が思いつきませんでした。
どうか力になってあげてください。
嶋 咲枝 』
五十嵐卓人は嶋咲枝からの長い手紙に対して優しく微笑んだ。そして便箋10枚ほどになるその手紙を封筒に収め、静かに目を閉じた。
暖かい日差しのある冬始まる日の事だった。
59話へ続く