46. 追求 | 小説と未来

46. 追求

 上野響は嶋咲枝がどんな人物なのか、詳しくは知らない。

 嶋咲枝は政治家でありながら麻薬で金を儲けている女だという事しか知らない。嶋咲枝という名は世の中に広く知れ渡っている。だからその名を口にすれば、若手もすぐに解っただろう。響と嶋咲枝の繋がりがある事を伝えれば、普通に理解できないくらい驚くだろう。

 嶋咲枝は少なくても表向きにはクリーンなイメージの政治家だ。彼女がクリーンでないのは、そのルックスから来る男絡みの問題だけであって、その他の面ではクリーンだとして知られている。だから世の中にも受けがいいし、彼女を嫌う人間もいれば好き好む人間もいる。

 それが嶋咲枝に対する世論の評価といったところだ。


 真実の嶋咲枝は不思議な魅力を持っている。

 上野響は少なくとも彼女の事をそう捉(とら)えている。実際に会ったのは殺害を試みたあの一夜限りだ。響は嶋の不思議な魅力に心を揺さぶられた。

 その揺さぶりを掛ける感触を響はしっかりと覚えている。あの感触に誰もがやられていくのだろうと響は後で感じた。感触は女としての弱さ、その逆の内面の強さ、と同時に捉えきれない感情のようなもの。一種の女の勘とでもいうのか、嶋咲枝にはそういった女としての独特の感性を人一倍強く持っている感じだった。

 それが嶋の力である事を響は感じていた。



 若手と響の長い会話は続いていた。長い会話と言っても、無口になる時間が多く、話は一向に進まなかった。


 響はまさについての話をした。

 彼は麻薬の運び屋ではあったが、その面を除けば人のいいおじさんだった。誰もが持つ金欲や性欲を思うままに満たしている人だった。そして社会に対する欲を持たない人間だった。上手に稼げて、上手に遊べる金が欲しかっただけの男なのだ。響は若手に対してまさをそう説明した。

 若手はその人物が自分の間逆にいるタイプの人間である事を理解した。若手は自分が社会欲の強い人間だと感じている。そうでなければわざわざここまで麻薬に取り組んでこなかっただろうと何度か自分を見つめ直したこともあった。

 金や女に対してはさほどの興味がない。食欲や性欲がないと言ったら嘘になるが、欲望に順番付けばそれはとても低い方に値する。彼にとって大切なのはあくまで自分がこの世に何を残せるかという事だけだ。それを果たせずして、金も女も欲する気持ちにはなれなかった。


 響は木崎についての話も、名前こそ出さなかったが、若手にした。

 それはつまり響の仕事について教えたようなものだった。木崎がやってきて、金を受け取り、ある場所に麻薬の入った物を頂きに行く。そしてそれを手に入れて戻って木崎に渡すという事だった。そしてその人物=木崎はがたいがよく、真面目で硬い男だと、響は若手に説明してやった。


 嶋咲枝を取り囲む環境についての話はだいたいした。しかしその頂点に立つ本人の話になると、響の口は仁王像のようにつむって固まってしまった。響はどうしてもその先を口に出す事ができなかった。

 なぜ話す事ができないのか、響は一人になったときに何度も考えた。

 一つは若手との考え方の違い。響は嶋を殺す事を狙っているのに、若手は嶋を捕まえる事を考えているという狙いの違いからだ。

 でもその点に関する問題だけなら現状の篭城(ろうじょう)生活を続ける事には何の得もない。なぜなら嶋咲枝自身がこの場に失われた麻薬を取り戻しに来る事は到底考えられないからだ。

 響は現状からの抜け出す道として若手の仲間になる事を決めたが、それが嶋咲枝殺害へどう繋がるかまではその時まるで考えていなかった。

 一度思い切って殺害の狙いを若手に告げたが、実際にはとても無理難題である事も響は理解していた。

 有る可能性を考えるのなら、嶋咲枝という名を、若手に告げてしまったほうが得なのだ。殺害に関しては、嶋咲枝が追い込まれてからチャンスを窺(うかが)えばいい。現状追い込まれているのはむしろ響の方だ。打破するには若手に嶋咲枝という名を告げるべきだ。それを理解しても響は若手に嶋咲枝の名を口にする事ができないでいる。どうしてなのか、そこには嶋の不思議な魅力があるせいなのか、響はふとそんな事を思い浮かべていた。


 不調和。この流れの中では何も見つからない。同じ流れの中では先に進む要素が見つからない。

 若手は今の打破を考える。


若手:「何か別の話をしよう」


響 :「何を?」


若手:「君にとって、楽しみとは何かか?」


響 :「酒、女、くらい。煙草は吸わない」


若手:「君はまだ20歳くらいだったかな?」


響 :「そうだけど」


若手:「ふふ、20歳とは思えない考え方だな。

    誰かに似たのか、それとももともとそういう人間性なのか」


響 :「人間なんてそんなものさ。実際はただの欲望の塊なんだ」


若手:「それは君の意見か?それとも君を育てた人の意見か?」


響 :「どっちでもいい。ただ、俺はそう思っただけだ」


若手:「じゃあ、君の育てた人の話はやめよう。それは聞いたからな(もちろん、まさの事である)。

    君の実の両親は健在か?」


 響は口を結んだまま、開かなかった。


若手:「そうだな。長い間、会っていないのだろうから、それもわからないのだろうな」


響 :「両親は、死んだ」


若手:「そうか、君も不幸な人生を送ってきたというわけか。

    不幸と言い切る事もできないし、君の人生は俺の人生とも違うから一概(いちがい)には言えないがね」


響 :「両親に対しても、まささんに対しても、不幸は感じていない。

    ただ、彼らを俺から奪ったものに恨みがあるだけだ


若手:「まさという男に対しては、君のボス。両親は?病死か?事故死か?

    君を見ていればわかる。両親は優しい人間だった。君はその愛情に育てられたのだろう」


 響は黙っていた。


若手:「子供の頃なら、酒や女じゃなく、別の楽しみもあっただろう。友達と遊んだ楽しみもあっただろう」


響 :「子供の頃に友達なんていない。俺は普通じゃないんだ。そういう育ち方はしていない。

    一般的な物の見方で判断されても困る」


若手:「そうか。ならどう違う?引越しが多かったとか、病弱だったとかか?

    君を見る限り、周りに虐められるような人間には見えないが、それともそういうことかな?」


響 :「どれも違う。俺は、独りで育ったんだ。ずっと狭い部屋で、俺は両親しか知らずに育った


若手:「なるほど、それは確かに変わっている。君の言うようにそれは一般的じゃないね」


 響の少年時代はずっと両親しかいなかった。遊びはいつも一人遊びで、嬉しい事といえば、勉強をして両親に褒(ほ)められることくらいだった。両親は響にテレビも見せなかったし、テレビゲームもやらせなかった。一般的な社会に関係する遊びをする事は一切拒んだ。それは両親(田山夫妻)が涼(響)に、自分が人と違う事を悟られないためにだった。それでも自然と物心が付けば、自分が何かおかしな生活をしている事に気づき出していたし、両親のいない時にテレビの盗み見もしていた。全くの監禁ではなく、外を知ることも出来たし、勉強もさせられていたから、知識は徐々に付いていっていた。


若手:「そして、君の両親は亡くなり、君は麻薬の運び屋であるまさに出会った。確かに変わっているな。

    普通じゃない」


 焦げ臭い、異臭の漂う匂いが鼻に付いて、若手は会話を止めた。


若手:「倉本!」


 若手は倉本を呼び寄せた。

 倉本は二人が話をする事務所へと駆けつけてきた。

異臭がする。睦美の昼食の調理ミスでもなければ、やつらが攻めてきているのかもしれない。食堂を覗いた後、木島と一緒に周囲を見渡せ。それから、これが毒ガスか何かでないか、金原に聞け。そうだったらすぐにマスクを用意させるんだ。いいな」

「わかったよ。確かに変なにおいがする」

と、倉本は答えた。


「話はしばらく中断だ。いや、本来なら中断している暇もない。何かが迫っているのかもしれない。全ての鍵は君が握るのだからな」

 若手のその言葉に響は黙っていた。

 どこからともなくやってくる不安な気持ちが響の心を取られていた。響の勘は別のところに働いていた。何かが攻めてくるというより、別の何かが起ころうとしてることを響は特別な勘から感じていた。


47話へ続く。