31.馬込警部補に仕組まれた罠 | 小説と未来

31.馬込警部補に仕組まれた罠

 時は過ぎてゆく。どこかで何かが起こるのを待っている。そんなものを待つことほど苛立たしい事はない。選択してしまえばいいことなのに、響は未だ選べずにいる。


 何もしないまま、数日が過ぎた。

 日曜の夕暮れ時だった。最近はこの時刻になると雨が降り出す。

 響は1本の傘を手に家を出た。マンションの前には珍しい訪ね人がいた。馬込純平(まごめじゅんぺい)警部補だった。

 彼は響が声を掛けるより先に、響の存在に気づいた。と言っても気づいたのは響が馬込の事を10秒近く直視してからだった。

「お会いできてよかったです。今日できなかったらどうしようかと思っていました」

 馬込は響に近づいてきて、そんな挨拶を響にした。



 二人は居酒屋『ふくちゃん』に行った。

 客はほとんどいなかった。常連客も誰もいない。その日は歌い人がいた。しかし彼は歌を歌わずに、何か小さな音を奏でて、ギターの練習をしているようだった。

「いらっしゃい」と、ふくちゃんは言ったが、いつか見た例の警官が一緒だと思い、響の事を知らないふりをした。

 響は手前の座敷席に靴を脱いで上がった。馬込はそのあとについて、座敷席に上がった。座布団に座るなり、馬込は話し始めた。


馬込:「実は、わたくし、警察を辞めようと思っているんです」


響 :「急にどうかしたの?」


馬込:「この間、部署を異動されて、わたくし、内勤の仕事になりまして。

    日暮里の事件を追う事ができなくなりました。

    不甲斐(ふがい)ない限りで、一層のこと辞めてしまおうと考えているんですよ


響 :「俺には関係ない話ですね。辞めるなら好きに辞めてくださいよ。

    あ、瓶ビール2本くださーい!」


 響はカウンターにいるふくちゃんに声を掛ける。

 その日は娘の由佳がバイトしていた。ふくちゃんは娘の由佳に響の事を知らない人のふりをするように説明しているみたいだった。

 その通り、由佳はよそよそしく、瓶ビール2本とお通しを置いていった。響は2本のコップにビールを注いだ馬込は軽く礼を言って、そいつをグビッと飲んでから話を始めた。


馬込:「確かに、中本さん(響の偽名)には何の関係もない事ですよねえ。

    わたくしもそのように思っていますよ。

    ですが、どうしてもあなたにこの事をお伝えしなくてはならないと思いまして。

    いや、というよりは、わたくしまだ諦めきれていないのですかねえ。

    つまり、まだあなたから何かをお聴きしなくてならないと考えているんですよ」


響 :「俺は、前にも言ったように、まささんの事はよく知らない」


馬込:「どうしても引っかかるんですよ。

    何も知らないあなたがどうして、月島雅弘(まさ)さんのマンションを譲り受ける事ができたのか?

    それからどうしてただの運送屋(まさの職業)あれほどいいマンションを買う事ができたのか?

    庶民ならそうは簡単にならない。宝くじでも当てたというのなら話はわかりますが」


響 :「じゃあ、宝くじでも当てたんじゃないですか?」


馬込:「あなたは、そのマンションを住む人がいないからと言って譲(ゆず)り受けた?」


響 :「そうですよ。いいじゃないですか?」


馬込:「違う。

    わたしは、自信がある。そうではない。

    彼があのマンションを買ったのはあの爆破事件以後なんです。

    わたしは彼が何らかの報酬を得たと考えている。仕事を月島さんに与えた人物からです。

    中本さん、あなたもその人物と繋がっている

    だからあなたはあのマンションを譲り受ける事ができた。

    だからあなた自身は日暮里スーパー爆破事件の真相を知らないかもしれないが、

    あなたの上にいる人物は日暮里スーパー事件の真相を知っていると考えている」


『でもそれは違う

 まささんが嶋咲枝と繋がるようになったのは、日暮里スーパー爆破事件、つまり俺がまささんと会った日から2年後の事。少なくとも事件が起きた頃、嶋咲枝は一般市民だったし、それほどの力はなかった。俺もいろいろと調べたんだ。日暮里スーパー爆破事件と嶋咲枝とは何の関わりもない。俺はその事を知っている。馬込の言う事は一部、まささんと自分のボスが同じであるという点とかは当たってる。でも爆破事件の真相と、嶋咲枝が関係するとは思えない』

 響は頭の中で、そう考えていた。


響 :「残念だけど、そんな関係はありませんよ。

    俺は貧乏人。まささんがどうやってあのマンションを買ったかはわからない。

    あなたの言うように日暮里の事件で得たお金かもしれません。

   でも俺はただの金のない無職の難民ですよ。運がよかっただけです」

    と、自分とまさの関係を遠ざけるような言い回しを、響はわざとする


馬込:「わたしには時間がない。本来なら今日も休出して仕事をしろと言われていたんです。

    最近、思うのですが、わたしは何かの真相にぶつかろうとしているんじゃないかと感じるんですよ。

    そのせいで、誰かがわたしに真実を知らされないように動いている。

    冗談じゃなく、この事件は警察組織その物が絡んでいる気がするんですよ。

    内部事情を暴露してしまうなんて、正直もう警官として失格ですが、わたしはもうどうでもいい。

    あの事件の真相が知りたいだけになってきました。

    そのためなら自分の隠す部分の全てを見せてでも、あなたの知る限りの真実を知りたい」


 馬込の目は本気だった。だから響は酒を頼んだ。由佳が「浦ヶ霞」を一升瓶ごと持ってきた。響はコップに注ぎ、コップを馬込に渡す。


響 :「熱い話ですねえ。話せる限り、話したいですよ。思い出してみます」


 馬込は熱した勢いでコップに入った浦ヶ霞をグビグビ飲む。


響 :「まささんは、そうですねえ。酒が好きでした。自分でも酒を運んで、その酒をもらって、

    よく酔っ払ってましたよ」


馬込:「そんな事はどうでもいいですよ。それより月島雅弘は何かに恨みを持っていませんでしたか?」


響 :「どうかな。よくわからない性格ですが、特に人を恨むような人じゃなかったな」


馬込:「日暮里爆破の真相としては、恨みとか…」


 馬込は響に乗せられてどんどん酒を飲んでいった。話しては飲み、話しては飲んだ。馬込はだんだん響が言っている事がわからなくなり、仕舞いには自分が何を言おうとしているのかも忘れてしまった。

 酷く酔っ払って、気がつけば外にいた。雨は降っていなかった。腕にはめていた時計はまだ10時だった。しかし酷く酔っていた。

 一人の男が馬込に寄ってきた。馬込は最初、中本=響かと思ったが、それは違う男だった。確か居酒屋でギターを練習している男だと、馬込は思った。

 歌い人=柏木(かしき)は馬込に言った。

「だいぶ、酔っていますね。お送りしますよ。いや怪しいものじゃないです。そこの居酒屋にはいつもお世話になっているんで、ちょっとお客さんの事が心配になったという女将さんの代わりに僕が送りますよ」

 馬込は酔っていたので、そうして欲しかった。歩くのも面倒になっていた。


 何だかよくわからなくなって路上にどてっと座っていると、一台のコンパクトカーがやってきた。柏木は降りて、馬込の肩を抱え、後部座席に馬込を乗せた。

 乗ってしまうと、馬込は眠くて仕方なかった。そして目を瞑り、うとうとし出した。

『この車はどこへ行くのだろう?どこへ行くかも告げてない。でももう面倒だ。きっとどこかのホテルに連れて行ってくれるだろう』と馬込は頭の中で思った。


 やがて車は何処かに着いたようだった。

 見ず知らずの家だった。

「僕の家です。よかったら、泊っていってください」と柏木は言った。

 郊外の一軒家のようだった。築30年といった感じだろうか。若干古さを感じた。

 狭い家の玄関を上がり、客間に入れられた。ソファーに寝転がる。電機は付いたままだった。

 柏木は酔い覚ましの一杯の水を持ってきてくれた。

 馬込はそれを飲んで酔いを醒まそうとしたが、眠気を消すまでには至らなかった。柏木が出て行くと、そこにはもう眠りがあった。


 でも心地よい眠りをまた知らない男の声に起こされた。

「馬込君だね」と男は言った。男は何故か、自分の名前を知っていた。

「君は今、大きな局面を迎えている。俺は君がここに来てくれる事を待っていたんだ。そして君は俺の望みどおりここに来てくれた」

 薄目を開けるとそこには長髪の男の姿があった。一瞬、その男を馬込は中本=響だと感じたが、それは違った。その男はもっと鋭い顔立ちで、響より年を取っていた。

君は一つの真相を暴かなくてはならない。それは君がいる組織に関わる事だ。君は裏の顔を持つその人物を表の世界に引きずり出さなくてはならない。それは君一人で出来る事ではない。君には頼れる上司もいる。しかし自由に動けるのは君だけだ。真実を追って、求めればいい。ただ君の上司を信じるべきだ。市谷というのが君の側にいるはずだ。彼を信じ、君はもう少しだけ真実を求めろ。そしてその真実が少しだけ見えたとき、君は君の信じる答えに向かえ。まずは原点に戻り、君が調べ逃していたものを探るんだ。亡くなった被害者やその周りを調べてみるがいいさ。そうすれば必ず真実に辿り着ける。いいね」

「あなたは誰だ」と、寝ぼけ眼で聞いてみたが、長髪の男は何も答えなかった。

 馬込はいつの間にか眠りに落ちていた。深い眠りだった。


 翌朝、馬込は目覚めた。やけに気持ち悪かった。トイレで吐いていると、柏木がやってきた。


柏木:「大丈夫ですか?」


馬込:「いやあ、すみません。昨夜のことはあまりおぼえていないのですが」


柏木:「ものすごい酔ってましたから。ここ、分かります」


馬込:「ええ、どこだかはよくわかりませんが、あなたの家だという事はわかります」


柏木:「そうです。僕の家です」


馬込:「ところで、誰かと一緒に住んでいるのですか?」


柏木:「いや、一人ですけど」


馬込:「そうですか?昨夜、やけに僕の事に詳しい人がいて」


柏木:「そんなわけありませんよ。僕はたまたま女将さんの代わりにあなたを送ろうとして、

    車で寝てしまったものですから家に連れてきたんです」


馬込:「そうですよねえ」


柏木:「夢でも見ていたんじゃないですか?」


馬込:「夢?そうですね。夢ですねえ。あれは」


 それは夢ではなかった。

『いずれその事が馬込にわかる日が来るだろう』

 柏木守は心の中でその事を思っていた。馬込という人物が、若手旋斗(わかてせんと)のコマの一人である事がやがて理解できる。

 柏木は自分もどうなるのかはよくわかっていなかった。全ては若手の思いのままに進んでいた。やがて来るという警官を、柏木はずっと待っていただけなのだ。そしてその日が訪れた。何かが起ころうとしているという事だけを感じていた。

 全ては若手の仕組んだシナリオの上に成り立っている。柏木だけがその事を知っている。馬込も、響もその事実をまだ理解してはいない。若手の描いた結末に向けて、脚本どおりのシナリオが進められ始めただけだ。この物語に関わる全ての人物がその結末にやがて出会うであろう。



物語は32話へ続く