8. 人の心を読む女
水道橋駅、新宿行きのホームの長椅子に女は座っていた。
女の名前は玲香(れいか)、本当の名前かどうかは分からない。響(ひびき)にはそう名乗った。
「それってナンパしているの?」と彼女はストレートに聞き返した。
響は微笑んだ。
「ああ、ただ、初めてなんだ。なんて声を掛ければいいかわからなかった」
玲香は妖艶(ようえん)な瞳で響を見つめていた。響はうまくいったのかどうなのかその事が気になって仕方なかった。
「かわいいわね」
そう言われて、響は不服(ふふく)に思った。
玲香
年齢はだいたい24,5、しかしその落ち着いた態度から本当は30を少し越えているのかもしれない。
顔だけ見ていると、彼女は響と同じくらい(20くらい)にしか見えない。
彼女は派手な青い柄のワンピースを着ていた。海のうねりか、太平洋の天気予想図か、そんなよく
わからない模様のミニのワンピース。下には何も穿(は)いていないかのような露出感があった。
胸の谷間はくっきり見えて、白い美脚が太ももの上の方まで見えていた。
さらに今回の登場人物とここまでのおさらい
上野響(うえのひびき)
この物語の主人公。麻薬の運び屋。年齢20歳。身長190cm、すらっとしたいい男。それでも見た目はあまり目立たない大学生風。彼の輝きは彼を知ろうとすると見えてくる。普段は気配を消している。それは彼が幼い頃学校へも通わず、家にかくまって暮らしていたためである。
13歳の時に家出。まさという男に引き取られ、麻薬の運び屋に。そして昨年まさが殺され、一人で仕事を。まさを殺したのは、親玉である政治家の嶋咲枝(しまさきえ)。ひょんな事から響は嶋を殺せる(まさの敵討ちの)チャンスを与えられるが、失敗に終る。またいつもの運び屋の仕事に戻る。
式羽(しきば)
上野で風俗店を経営している。まさが常連だったために響も知り合いに。いろいろと下(しも)の部分で響が世話になっている兄貴分。背は低いが、ホスト風のいい男である。
数分前の事。
響と式羽(しきば)=風俗店の店長は、総武線沿いをうろうろしていた。
「今日は時間ないんだよ」と、式羽は言った。
その日、響はいつものように何か抑えきれないムラムラとした感情を持っていた。
17時に響は、MAKE LOVE 1 HOLE(式羽の経営する店)の前で式羽を誘い、一緒にナンパをしに街へ出た。今時、街で声を掛ける男も少ないが、式羽は十年来このスタイルを変えていない。それでも女はしっかり引っかかる。
響はいつも式羽の裏でスタンバる。
しかしこの日の式羽は、風俗店に女が面接にやってくるそうで、早く戻らなくてはいけなかった。
式羽の声;「おお、運がいい。響、よかったなあ」
響と式羽は御茶ノ水方面行きのホームから反対ホームを眺めていた。
「あそこに女がいるだろう(玲香の事)」
時間は18時。夜のお仕事じゃなければ、間違えなく、ただの暇なやりたい女だ。
俺が声を掛けるまでもない。自分で声を掛けろ、いいな」
「式羽さん」
「大丈夫だって」
響は久々にたじろいだ。が、式羽は次に来た電車に乗って戻っていてしまったため、仕方なく反対ホームへと一人で駆けて行った。
そして、最初に戻る。「どうなんだ。飯をおごるから」
玲香は響のその言葉ににこっと笑い、 「いいわ」と応えた。
二人は水道橋の駅をそのまま出て、東京ドームとは反対側の道を歩き、途中にあるこじんまりしたダイニングバーに入った。
お互いにほとんど会話はなかった。料理と酒の名前、それが好きか嫌いかという話だけした。
酒が出てきたらグビグビと飲み、料理が出てきたら黙々と食べた。
3,40分程度で二人はその店を出て、さらに歩いていったところにあったビジネスホテルに自然と入っていた。
そしてダブルの部屋に行き、玲香は服を脱いだ。「シャワーを浴びさせて」響が近づくと、玲香はそう言った。
その後で二人は抱き合った。響は玲香を強く抱きしめ、玲香も響を強く抱きしめた。激しく口付けをし合い、一気に熱を増し、そのまま行き着くところまでいった。激しく短時間の求め合いだった。
響の熱は20時前にはすっかり治まっていた。早い流れの出来事だった。
ベッドの上で二人は終った後の余韻に浸っていた。
玲香は響のへその周りをくるくると指でくすぐっていた。響は玲香の不思議な指の動きをただ眺めていた。
玲香:「本当に初めてなの?(ナンパね)」
響:「いや、一人では初めてだ」
玲香:「彼女はいないの?」
響:「いない」
玲香:「うそ!いないふりをしている。
あなたの周りにはたくさんの女の子がいるのにあなたはその気持ちに応えようとしていないだけ」
響:「そうだとしても、彼女はいない」
玲香:「あなたは何を隠しているの?」
響は玲香の顔を見つめた。
『警察?組織のもの?記者?恨みのある者?』
響は逆に玲香の顔から彼女の正体を勘繰(かんぐ)ってみようとしたが、彼女の顔は響が想像する的に当てはまらることはなかった。
「君は何の仕事をしているんだい?」
響は一度だけ寝る女に、かつてそんな質問を投げかけたことは一度もなかった。それは響が初めてする女への質問だった。
そんな質問をすれば余計な事を聞き返される。まさか自分が麻薬の運び屋だとは答えられない。余計な嘘をつくのも面倒なだけだ。だからなるべく関わらない。それが普段の響だった。だけど、その時に限っては別だった。
玲香:「ただのOLよ」
響:「それはつまらない質問をしたな。そんな事は聞くべきじゃなかった」
玲香:「そうね。つまらない質問ね。聞くのなら、もう少し別の事を聞いて欲しいわ。
私の質問にも答えていないのに」
響:「隠し事なんて、誰だっていくらでもあるだろう?」
玲香:「それはそうね。でもあなたはもっといろいろ深い何かを持っている。私にはそれが覗けない」
響:「覗けない?」
玲香:「そう、覗けない。私は意外と人の顔を見るだけでいろいろなことがわかるの。
その人の周囲の環境仕事、家族構成、その人の人間性。
私は気の晴れない日にはいろいろな男に抱かれるの。
出会い系とかじゃなくて、ちゃんと会ってその人の顔を見て決めるの」
響:「君を誘ったのは、俺の方だぜ」
玲香:「あなたじゃなくても、誰かがどこかで私を誘ったわ。
自慢じゃないけど、私はいくらでも男を誘えるのよ。
私はそうやって気に入った男にだけ抱かれるの。そしてその男を知るの。
お金のある いい男、それから一度きりでもう二度と求めてこない男、
私はいつもそういう男を求めているの。
あなたもその2つには当てはまっているはずよ。
でもたいていの男は、何処かの社長だったり、金持ちの小僧だったり、
IT関係で稼いだ男だったりするの。でもあなたはそのどれとも違う。
そういう男は家族環境もたいていマザコンに近いような男よ。
でもあなたには親の匂いがしない。一人っ子っていうのは当たってる?」
響:「もし当たってても、どっちでもいいだろ?」
玲香:「ええ、どっちでも構わないわ。ただ、私は人の事がわかる。そしてあなたの心も分かる。
あなたには好きな女性がいる。本当はその女の子を幸せにしてあげたい。
でもあなたは何かのためにそれを避けている。そうでしょ?」
響は何も答えなかった。全て当たっていた。
響はさくらという女の子を好んでいる。そしてその子の事を本当は愛したい。でも運び屋というどうしようもない自分と、まっとうな仕事(さくらは神主(かんぬし)の孫娘で、いわば巫女(みこ)さんである)をしてる彼女とでは到底つり合わない。女を抱く事に抵抗はないが、響にとってさくらは特別な存在、唯一心より惚れている女性なのだ。
だからむしろ、響は何も答えたくなかった。
玲香は続けた。
「私は思うの。あなたは幸せを掴める可能性を持っているんじゃないかな?でもあなたは普通じゃない。だから私にはこれ以上何も言えないわ。一つだけ言うのなら、あなたは今まで会ったどんな男より興味深い男ね」
響は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて、玲香を睨(にら)んだ。
玲香は微笑んでいた。
「そんな怖い顔しないでよ」
そしてずっと臍(へそ)の周りをクルクル指で撫でていた。
落ち着かない感情が響を包んだ。響は再び玲香に覆いかぶさった。形のいい、大きな乳房が揺れた。響はそいつを弄(もてあそ)び、おもいっきり先に吸い付いた。玲香は甘い吐息を上げた。
「ちょっとお、いきなり…」
それから二度目に突入した。
『おまえはただの女だ。俺がナンパした女だ。偉そうに上から者を言うな!』
響は心の中でそう叫んでいた。そしてその女を支配するように、響は玲香のたわわな体を嘗め回した。
その全てに響は満足していった。
『俺の気持ちに触れようなどと、この女!』
よくわからない苛立ちが響にはこみ上げていた。そしてその思いの全てを性欲に替え、玲香を抱きしめた。
『ただの女だ』
さくらと彼女とに一線を置こうとしていたのだろう。響は玲香をただの女としたかった。
そのただの女が人間味を持つ事が許せなかった。だから響は激しく、激しく、玲香を女にしていった。
支配してやろうとした。『俺はただ、落ち着かない感情を抑えたいだけなんだ』
その感情の全てが治まるまで、その激しい肉欲(にくよく)の行為は続いた。
運び屋の仕事まではまだ数日ある。1ヶ月に一度程度のその仕事に全神経を集中する。
だから今は全てを忘れていたい。性欲も食欲も全ての欲望をむき出しにして、その日その時に余計なものに誘われないようにしている。金を楽して稼ぐにはそれなりの力が必要なのだ。響はその事に自信を持っている。だから全ての欲望を吐き出す行為を肯定している。その日のために。
9話へ続く