7. 響の仕事 | 小説と未来

7. 響の仕事

  

 五十嵐邸の失敗から、数日が過ぎていていた。


 響は毎日に近いペースで通っていた居酒屋『ふくちゃん』にさえ行かなくなり、毎日を家で一人の時間を過ごしていた。


 今はソファーに寄りかかり、グラスに注いだスミノフをツマミも取らずにロックで飲んでいた。この数日間、ただ酒を飲むだけの毎日が続いている。


 一丁の拳銃がガラステーブルの上に置かれたままになっている。殻になったビールの空き瓶の横にドテッと置かれている。


 嶋殺しを指示した斉藤は五十嵐邸での失敗以後は現れていない。単純に、ミスした響を使う事を諦めただけなのか、今は様子見でやって来ないのか、響は頭を巡らせるがその答えはまだ出てこない。どこか別の適材でも探しているのだろうと、決めて落ち着きたい気持ちにはなっているが。


『10万円も、拳銃も、斉藤にとってはどうでもいい代物。金はおそらく大量にあって、可能な限り、嶋を殺すための金を使っている。可能性の一端として俺に任せ、試みてみたが失敗に終った。もう俺は用無しとなった。いちいち俺を消すのも余計な手間だ。だから斉藤は俺の前から何も言わずに姿を消した』

と考えて、響は斉藤の事を忘れることにした。



 斉藤の替わりに響の住処を訪れたのは、木崎(きざき)だった。

 木崎は、響に麻薬の受け取り場所を指示する男だ。背が高く、無口。少し響に似ているが、木崎は30過ぎくらいで、体もがっちりしている。背広を着ていてわからないが、彼の体はプロレスラー並みの鋼の肉体を持っている。がたいのいい男だ。

 木崎はいつものように、無口。少し周りを気にしながら響の隠れ家(マンションの裏口を地下に下りていったところにある一室)に入ってきた。


 響は拳銃を机の中にしまいこみ、木崎を迎え入れた。

 木崎はいつもと変わらず、一枚の指示書と50万の束が入った封筒、その半分の金が入った封筒を響に渡した。指示書は麻薬の受け取り場所と日時が書かれていて、50万の束は響のもの、その半分の物は麻薬を運んできた別の男に渡す金だ。

 麻薬そのものの金は裏口座で取引されている。彼ら(裏組織の者たち)には裏口座どころか隠し銀行も持っている。だから金のやり取りはそこで行われる。響のような末端の仕事をしている人間にはその銀行に入らせないよう、現金でやり取りが行われるわけだ。

 銀行だけでなく、彼ら(裏組織の者たち)は金でない物のやり取りも上手い。一目では金になるのかならないのかわからない物も取引に使っている。彼らはそういう点に関しては最も抜け目なくやり取りを行う。


『じゃあ、よろしく』とだけ言って、いつもならすぐに立ち去る木崎だが、その日はめずらしく一杯のビールを望んできた。

「すまんが、むしむしとしていてねえ、喉が渇いて仕方ない」

 木崎は真面目にそう願った。響は冷蔵庫からバドの缶ビールを木崎に渡した。木崎はそいつを空けると、グビグビと一気に飲み干した。


木崎:「すまんな」


 響:「いえ結構ですよ」


木崎:「助かったよ。じゃあな」


 ど太い声でそれだけ告げると、木崎は大きな図体を悠々と動かし、玄関の外へと出て行った。

会話はそれだけだった。


 響はいつもと違う木崎の行動を疑ったが、去ってゆく木崎を見て意味のない行為だとその疑いを振り払った。

 嶋殺害に関する件。

『単純に喉が渇いていただけだな』と認める。

 木崎は周りを気にする様子もなかった。周りを気にするタイプの男である事を、過去の木崎の行動から響の知識として得ていた。

 響と違い、運び屋にはあまり向かない男、ただ信用はおける真面目な男だ。だから嶋の直属なのだしかし響は木崎が何も聞かされていないだけなのか、嶋自体が気づいていないのか、まではわからず決して不安を払拭するには到らなかった。

 この指示書に罠が隠されているのかを思えば、響は少し不安を感じた。でも響は落ち着いていた。

『きっとまたいつもの繰り返しに戻るだろう』

と思うと同時に、また変わらない日々が続く事に気を重くした。

『俺の人生は変わらない。気に入らない女の下で永遠と裏の仕事を続けてゆく。豚箱に入れられない自信はある。死ぬ事はない』

 響の勘は働く。だが今のままの毎日を裏切る事を望んでいる心も、彼にはある。その感情が響を揺らす。その虚しさが響の心を荒ませている。

 どうしようもなく行き所のないような日々が、響は大きな溜息をつかせた。


                               


 麻薬の取引をする指定の日までにはまだ一週間ほどの猶予ある。響はしばらくのんびりと過ごす事とした。


8話へ続く。